食事のバリエーションも豊富である。種類は多くはないが生野菜も置いてある。
スイカはナイフとフォークで食べると案外良いもんだとは始めて知った。
スイカはナイフとフォークで食べると案外良いもんだとは始めて知った。
とにかく、疲れを避けるためにゆっくり朝食を摂り、出発もマイペースだ。
なかなかオシャレな部屋の冷蔵庫 |
今日はサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に行き、近くのレストランのディナーを予約し、フォロ・ロマーノに行く予定だ。
清潔なロビー |
ロビーで場所を確認して大変なことに気付いた。予定していたレストランが日曜休みなのだ。迂闊だった。ここは先日、M税理士と情報交換したトラットリアだ。
残念だけど休みなら止むを得ない。ま、どこでも良いか、というヤケクソな気分。
とにかく出発。
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂はホテルから至近距離。歩いて行ける。
内部は、それに相応しく、荘厳であることこの上ない。
この真正面に「かいば桶の断片」があります |
特に、イエスが産まれて寝たという「かいば桶」の断片が祀ってあり、容器越しにそれを見ることもできる。これには感動を通り越した畏敬の念で胸を打たれざるをえなかった。
ズームインした「かいば桶の断片」 文字まで書かれています |
イタリア国旗を掲げた一団が入って来た。勿論、話し声は無く、あくまでも整然とした入場だ。時々ガイド(?)らしき人が壁を指差し説明している。地方からの巡礼ツアーなのかも知れない。
『かいば桶の断片』は地下に安置されているのだが、その前に降りて行くと、全員で賛美歌の斉唱し始めた。あくまでも静かに…祈りながら。
隈なく絵画や彫刻を見、静かに椅子に腰をかけ瞑目する。
私達は去りがたい思いを振り切り、外に出た。
いっそ、もう一つヴァチカンの教会に行こうという話にまとまっていた。
サンピエトロに法王庁が移る前に法王庁があったという、ヴァチカン第二の教会であるサン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂だ。
近くには地下鉄A線S.Giovanniという駅もあるので、ついでにホテルでトイレを済ませてからテルミニ駅からラテラーノ大聖堂に行こうという事になった。部屋まで行く必要は無いので0階のロビーのトイレに入った。
男女の区別はしっかりと確認した。アメリカ人のオジサンがいたので間違いはない。
ところが個室に入ろうとした瞬間オジサンは『ここは男性用だ。女性用は別だ。』と私を咎めるではないか。
私は思わず『はぁ!』と声を荒げてしまった。
その声を聞いたオジサン『Oh Sorry!』だってやんの!
冗談じゃないっての!こんな還暦ジイサン捕まえて、男女の区別もわからんのかい?!
怒り心頭である。
妻に話したら大笑いされたが、笑ってすむ話でもない。まぁ思い起こせば、ヨーロッパに来て女性に間違われたのも一度や二度じゃない。妻と一緒の時にもそんな事があった。ピンク系のシャツはアメリカのオッサンだって着てるだろうに。私のどこがいけないの?
ヨーロッパでこれだからアメリカに行ったら無事で帰れるとも思えない。
アメリカに行くのは止すことに決めた。
さあ、気を取り直してサン・ジョバンニ・ラテラーノ大聖堂にむけ出発。
昨日の地下鉄は何も問題なくチケット購入できたが、今日はちょっと手間取った。
一回分のチケットを二枚買おうとしたのだが、お札を受け容れてくれない。
何度か繰り返しているうちに、ほらほら・・・怪しげな輩が近づいてくる。
正直言って、不潔そうな人だったので、それを避けて他の自販機売り場へ急ぐ。
あまり人の居ない自販機なので安心して購入しようとリトライするもお札は帰ってきてしまう。
ネクタイ締めて紳士然とした人ウロウロしていたので、尋ねたら、理由は直ぐに分かった。
メトロのチケットは購入額によって受容れ可能なコイン、紙幣が変わるのだ。
しかもその情報は自販機のディスプレイに画像として表示されていたのだ。
私達は文字と数字だけを見て購入しようとして画像などに目もくれていなかった。
迂闊だったなぁ・・・・・・
だから、やはりある程度の小銭は用意すべし、ということである。
そうか、なかなか良くできているな~と感心していると、その紳士が私の目の前で掌を広げた。
「教えたんだから、つり銭を頂戴!」ということらしい。
私は「No!」と応えて即刻その場を立ち去った。
小銭ぐらい与えても良かったかな~?と思わないでもなかったが、そういうビジネスモデルに慣れていない私はそんな反応しか出来なかった。
どうやら、ローマにはその種の事をメシの種にしている人達も少なくなさそうだ。
もちろん、Noと応えてトラブルになることは無いので心配する必要も無いが・・・・
地下鉄S.Giovanniで下車。
案内はよく分らず、人が押し寄せるわけでもないので少し迷う。
しかし、そんな時にもスマホは活躍します。
この辺りは、ほとんど観光地化されておらず人が少ないのが嬉しい。
(何で、こんな良い場所に来ないんだろう?)
教会の近くには古代ローマ時代の城壁が無造作に横たわっている。
ラテラーノ大聖堂は外に施されている彫刻が素晴らしい。
勿論内部の装飾・彫刻も素晴らしい。
数ある内部の礼拝堂の一つでは賛美歌が歌われミサが行われていた。
この教会は聖ペテロと聖パウロの頭部が収められているという。
ここでもカトリックの世界をしっかり時間をかけて十分に堪能して前の扉から外にでた。
最終目的地であるフォロ・ロマーノに行く。
バスを諦め、フォロ・ロマーノまで歩く。前回来た時のように時間に余裕があればバス利用も楽しいものだが、今回のように短期滞在の場合には読めない時間がイライラさせる。
距離はあるが、教会横の広場を抜ければ一本道。遥かかなたにコロッセオが見えた。徐々に近づくコロッセオを見ながら、前回の思い出話をしながら歩けば足取りも軽い。
そして『まるで僕たちの旅も巡礼みたいだね。』
以前昼食に入ったPizzeriaも健在だ。
足はくたくたになっていたが、コロッセオを前にして気分は高揚していた。
一見すると東端の部分は幾筋かのひび割れがあり、いつ崩壊しても不思議じゃないくらいだ。
事実、今回はかなり大規模に修復の為の足場が組まれていた。
心から人類共通の財産なのだと思う。
本当にイタリアは大変だ。文化財の維持・修復にどれほど予算を投入しているのだろう?
イタリアは世界で一番世界遺産の多い国だ。
その経済的負担を考えると、イタリア人の大きな誇りに感謝せざるを得ないし、少々の入場料・宿泊税アップ程度で日本人はゴタゴタ言ってはいけない。
それに比べたら日本では、文化財の維持にどれほどの予算を投じているのだろうか?
知ったら愕然とするんじゃないだろうか?
「鎌倉市」が「武家社会発祥の地」として世界遺産を目指しているらしいが、そのことを立証できるものが一つも存在しないとか。
頼朝が政治を行ったという幕府が何処にあったのかは分かっているのらしいが、そこが今では住宅密集地となって掘り起こすのは無理なのだそうだ。
じゃあ、最初からあきらめるべきだし、最初から申請する資格もないだろう。
観光客の増加の為に世界遺産を目指しているとしたら、それは全く本末転倒である。
何年、何十年かかってでも、その住宅地を掘り起こしていくんだ、というくらいの市民の気の永い熱意と行政の決意がないのなら早々とあきらめたほうが良いだろう。
西日に照らされたコロッセオを見上げながら隣のフォロ・ロマーノを目指す。
もう、時間が時間なので入場する気はないが、隣接する道路からでも十分その遺跡を眺めることができる。
道路の一カ所には看板が掲げられていた。
フォロ・ロマーノの発掘当時の工事写真、今の航空写真と古代の想像配置図。古代ローマ時代の想像イラストなどだ。
こういう画像を見ると、私のロマンは広がる一方だ。
どうやら地下鉄のC線ができるらしい。LINEA Cである。
それが『コロッセオ駅』で現在のB線と交わり、それに伴い駅の大規模リニューアルが計画されているようだ。
確かに『コロッセオ駅』は乗降客がやたら多い割に、駅の設備が貧弱である。
切符の自販機も2台しか無く、今日も長蛇の列を作っている。
道の両側に広がる遺跡を眺めながら古代ローマ人へのロマンを胸いっぱい満喫する。一部には未だに行われているだろう発掘調査の為の足場もある。ここは何度訪れても見飽きるということはない。
夕陽に映えるフォロ・ロマーノを後にして『コロッセオ駅』に着いた頃には辺りはとっぷりと日は暮れていた。
さあ、今日は最後の晩餐だ。
予定していたレストランは日曜日にフラれてしまっていたので、いっそホテル近隣にオープンスペースを広げているレストランで良いか、という事にはなっていたが、それでも多少は選びたい。
4~5軒をメニューを見ながら歩いて一軒を決めた。店から魚貝類を調理する匂いがしたからだ。確かに他の店では、皆さんありきたりのパスタ、ピザ類しか食べていないのだ。
私の嗅覚は結果的に大正解だった。
しかし、「日本語を語る従業員が居て、日本語メニューがあるお店は絶対に不味い」という私の信念は脆くも崩れ去った。
7~8人の行列も出来ている。最後尾にいた男性に『並んでるの?』と尋ねたら『そう、ここは値段も良いからね。』とにやっとした。
何故だかローマに来ると、外国人であろうと気楽に声を掛けることができる。それが不思議だ。
「イタリアに住んでいるのか?」と訊かれたので
「まさか、ツーリストさ!」と言ったら、「俺たちもツーリストだよ」
訊けばスペインのバルセロナから来たと言う。親子三人連れだった。
私も大昔にバルセロナに行ったことがある、と言うと彼は嬉しそうに我が町自慢を始めた。
その時ガウディの「サグラダ・ファミリア」の事が頭に浮かばなかった事が悔まれる!
突然、近くで怒号が聞こえた。
イタリアではアフリカ系移民が観光地で物売りをしている。
最初は私も気味悪く思ったものだが、No!と言えばそれ以上しつこく付き纏う事は無いので危険を感じたことは無い。
その物売りが白人の男に突き飛ばされ、石畳に倒れたのだ。頭を打ったようでその音まで聴こえてきた。突き倒したのは近くのレストランの従業員らしい。何度も大きな罵声を浴びせ店のほうに戻っていった。恐らく店の客に物売りしたことに腹を立てたのだろう。
なにもそこまですることは無いだろうに・・・・・
黒人仲間は無論のこと、通りすがりの白人も大丈夫かと気遣っている。
倒れた男も立ち上がっていたが、事態は収まらない。
そのうち、救急車が来て、警察官も事情聴取にやってきた。
突き倒したイタリア人がその後どんな処分を受けたのかは不明である。
イタリアに限らず、移民の存在というものは何も無ければ存在自体を無視して済ますことができるが、いざ何かが起きれば、実は普段から抱えているフラストレーションが大きなトラブルを呼んでしまう・・・・・そんな難しい社会なのだと実感した。
事件を心配そうに見守っていた私たちをよそに、忙しく立ち回っていた日本語を話せるボーイが店の中からテーブルを運び出し無理やり席を作って私達を招いた。
日本語ボーイは以前、福岡と東京に居たことがあるという。道理で日本語が上手い筈だ。
マルゲリータのピザ、ムール貝のワイン蒸し、魚貝類のミックスグリルを注文したが、超が付くほど忙しい店は、一向に料理を運んで来ない。
ようやく料理が来たかと思えば、殆ど一斉に出てきた。
狭いテーブルはぎっしりだ。それを写真に収めようと妻が四苦八苦している姿に周囲から笑いが起きた。これを機に周辺の空気は徐々に和み始めた。
隣のテーブルの男性は、『私が写真を撮るから二人並んで!』と言ってくれ、カメラを構えたものの、カメラが全く上下逆さまなことに周囲はまた大笑い。そして、彼の撮ってくれた写真の角度が気に入らず「ちゃんと料理も写真に入るように」と妻が注文した時には、周囲は笑いの渦になっていた。
一番奥から食べ終わった遊び人風親父が出て行く際には『ここはインターナショナルだね。彼はロシア人、俺はイタリア人、お隣はオーストリアさ。君達は?』
『日本です。』と答えると『ワンダフル!インターナショナル!』と叫んで上機嫌で立ち去って行った。
最初、オーストラリアと聞き間違えた私たちに、隣のご夫人は「ノー!ノー!オーストリア!」
「妻は2年前にウィーンに行ったんですよ。私は行った事ないけど、ザルツブルグには行きたいと思っているんです。」
「ザルツブルグは綺麗ですよ!」
「そうですよね?私は子供の頃見たサウンド・オブ・ミュージックが大好きで・・・・」
「 サウンド・オブ・ミュージック?そうね!」
「私は子供のころ、ウィーン少年合唱団、知ってるでしょ?そこに入りたかったんです」
「音楽が好きなんだね?誰が好き?」
「シュトラウス!」
「Oh!!素晴らしい。ちなみにうちはザルツブルグから8Kmくらいの街さ」
「へぇー!それは素晴らしい!」
実はお隣のオーストリア人は母と息子のカップルだった。お母さんが案外若く、息子がいささかオッサンぽく、実に仲良く話しているので私はてっきり年の差婚なのかな?と思っていた。
「仲が良いんだね?」と言うと
「うん、仲良いよ」と事もなげに言う。
「信じられない!」
週末を利用して三日間のイタリア旅行なのだそうだ。
夜行列車で帰ると言う。
「近くて良いね。こちらは長時間の飛行機でくたくただよ」
妻はお二人の写真を、更に私を入れた写真を撮った。
「E-mailアドレスがあれば教えて下さい。送るから」とメモを渡すとお母さんがアドレスを書いて手渡してくれた。
向こうの人のアルファベットはクセがある(本当は逆?)ので、息子が一文字一文字確認して読んでくれた。彼は不器用なくらい真面目である。
「写真を送ってくれたら、僕らの町の山の景色の写真を送り返すよ。あと8週間もすれば雪が降り始まるんだ。」
「ヘェー!こちらは年に2~3回しか降らないよ」
雪深い街で暮らし、わずかな夏の時間をイタリアで過ごし、空気の暖かさ、人の温かさに触れて帰っていくのだろう。 決して裕福とは思えない彼らの実直な生活を思いやった。
空いていた奥のテーブルには今度はブラジル人女性二人組みが入ってきた。
特にそのうちの一人はおしゃべり好きで、オーストリアお母さんとひっきりなしに喋り始めた。
私はオーストリア息子と、EUについての話をしながら、料理を口に運んだ。
少し離れたテーブルからは混声合唱コーラスが聴こえてきた。
グループで食事に来たのだろう。
学生か社会人かは定かではないが、一人のテナーを中心に素晴らしい混声コーラスが繰り広げられている。
お酒の酔いも手伝ってか、皆顔を真っ赤にして歌っている。
コーラスが終わると、こちらの客は勿論のこと、通りを挟んだ向かいのレストラン客からも盛大な拍手。テナーがそれに応えてガッツポーズを決める。若いって良い!
料理はすこぶる美味しかった。
ムール貝も、マルゲリータも、魚介類のグリルも最高に美味かった。
私はマルゲリータなど日本では食べたことが無い。不味いに決まってるから。
この基本中の基本であるピッツァが美味しいということはきっと何でも美味しいのだろう。
それにバルセロナ男の言ってたとおり、値段が超安かったのも嬉しい話だ。
予定していたレストランはダメだったけど、こんな開放的な場所で色んな国の人達と会話できるのもローマを置いて他にはあるまい。
今日が日曜日で本当は大正解だったのだ。
明日は6時起きで日本に帰ると伝え席を立つと、オーストリアお母さんが
「その頃は私は寝てるわ。私が元気なうちにぜひオーストリアにいらっしゃい!」
オーストリア息子も
「山、山、山の世界だけど、とても綺麗なところなんだ。ぜひ来てくれ!」
と右手を差し出した。
私は息子と硬い握手をして「きっと、また会おう!」と言い残し、ホテルに帰った。
最後の晩餐は、プチ国際交流という大きなおまけまで付いた、最大の思い出となった。
ひょっとして次のヨーロッパ旅行はオーストリア行きになるのかなぁ?
明日は6時起床。
7時23分発のレオナルド・エクスプレスに乗ってFiumitino空港を目指し、日本に帰る・・・大きな大きなお土産を胸に抱いて。
『かいば桶の断片』は地下に安置されているのだが、その前に降りて行くと、全員で賛美歌の斉唱し始めた。あくまでも静かに…祈りながら。
隈なく絵画や彫刻を見、静かに椅子に腰をかけ瞑目する。
私達は去りがたい思いを振り切り、外に出た。
いっそ、もう一つヴァチカンの教会に行こうという話にまとまっていた。
サンピエトロに法王庁が移る前に法王庁があったという、ヴァチカン第二の教会であるサン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂だ。
近くには地下鉄A線S.Giovanniという駅もあるので、ついでにホテルでトイレを済ませてからテルミニ駅からラテラーノ大聖堂に行こうという事になった。部屋まで行く必要は無いので0階のロビーのトイレに入った。
男女の区別はしっかりと確認した。アメリカ人のオジサンがいたので間違いはない。
ところが個室に入ろうとした瞬間オジサンは『ここは男性用だ。女性用は別だ。』と私を咎めるではないか。
私は思わず『はぁ!』と声を荒げてしまった。
その声を聞いたオジサン『Oh Sorry!』だってやんの!
冗談じゃないっての!こんな還暦ジイサン捕まえて、男女の区別もわからんのかい?!
怒り心頭である。
妻に話したら大笑いされたが、笑ってすむ話でもない。まぁ思い起こせば、ヨーロッパに来て女性に間違われたのも一度や二度じゃない。妻と一緒の時にもそんな事があった。ピンク系のシャツはアメリカのオッサンだって着てるだろうに。私のどこがいけないの?
ヨーロッパでこれだからアメリカに行ったら無事で帰れるとも思えない。
アメリカに行くのは止すことに決めた。
さあ、気を取り直してサン・ジョバンニ・ラテラーノ大聖堂にむけ出発。
昨日の地下鉄は何も問題なくチケット購入できたが、今日はちょっと手間取った。
一回分のチケットを二枚買おうとしたのだが、お札を受け容れてくれない。
何度か繰り返しているうちに、ほらほら・・・怪しげな輩が近づいてくる。
正直言って、不潔そうな人だったので、それを避けて他の自販機売り場へ急ぐ。
あまり人の居ない自販機なので安心して購入しようとリトライするもお札は帰ってきてしまう。
ネクタイ締めて紳士然とした人ウロウロしていたので、尋ねたら、理由は直ぐに分かった。
メトロのチケットは購入額によって受容れ可能なコイン、紙幣が変わるのだ。
しかもその情報は自販機のディスプレイに画像として表示されていたのだ。
私達は文字と数字だけを見て購入しようとして画像などに目もくれていなかった。
迂闊だったなぁ・・・・・・
だから、やはりある程度の小銭は用意すべし、ということである。
そうか、なかなか良くできているな~と感心していると、その紳士が私の目の前で掌を広げた。
「教えたんだから、つり銭を頂戴!」ということらしい。
私は「No!」と応えて即刻その場を立ち去った。
小銭ぐらい与えても良かったかな~?と思わないでもなかったが、そういうビジネスモデルに慣れていない私はそんな反応しか出来なかった。
どうやら、ローマにはその種の事をメシの種にしている人達も少なくなさそうだ。
もちろん、Noと応えてトラブルになることは無いので心配する必要も無いが・・・・
地下鉄S.Giovanniで下車。
案内はよく分らず、人が押し寄せるわけでもないので少し迷う。
しかし、そんな時にもスマホは活躍します。
この城壁をくぐると大聖堂だ |
この辺りは、ほとんど観光地化されておらず人が少ないのが嬉しい。
(何で、こんな良い場所に来ないんだろう?)
教会の近くには古代ローマ時代の城壁が無造作に横たわっている。
当たり前のように古代遺跡が存在し街の風景になっている |
勿論内部の装飾・彫刻も素晴らしい。
数ある内部の礼拝堂の一つでは賛美歌が歌われミサが行われていた。
美しい |
圧倒されっぱなし |
シスターまでもがカメラを構える |
この教会は聖ペテロと聖パウロの頭部が収められているという。
ここでもカトリックの世界をしっかり時間をかけて十分に堪能して前の扉から外にでた。
前の扉から出るとこの広場に出ます |
最終目的地であるフォロ・ロマーノに行く。
バスを諦め、フォロ・ロマーノまで歩く。前回来た時のように時間に余裕があればバス利用も楽しいものだが、今回のように短期滞在の場合には読めない時間がイライラさせる。
距離はあるが、教会横の広場を抜ければ一本道。遥かかなたにコロッセオが見えた。徐々に近づくコロッセオを見ながら、前回の思い出話をしながら歩けば足取りも軽い。
そして『まるで僕たちの旅も巡礼みたいだね。』
以前昼食に入ったPizzeriaも健在だ。
足はくたくたになっていたが、コロッセオを前にして気分は高揚していた。
ようやく近づいたコロッセオ。 手前にも遺跡はあります |
一見すると東端の部分は幾筋かのひび割れがあり、いつ崩壊しても不思議じゃないくらいだ。
大丈夫かな? |
事実、今回はかなり大規模に修復の為の足場が組まれていた。
心から人類共通の財産なのだと思う。
本当にイタリアは大変だ。文化財の維持・修復にどれほど予算を投入しているのだろう?
イタリアは世界で一番世界遺産の多い国だ。
その経済的負担を考えると、イタリア人の大きな誇りに感謝せざるを得ないし、少々の入場料・宿泊税アップ程度で日本人はゴタゴタ言ってはいけない。
それに比べたら日本では、文化財の維持にどれほどの予算を投じているのだろうか?
知ったら愕然とするんじゃないだろうか?
「鎌倉市」が「武家社会発祥の地」として世界遺産を目指しているらしいが、そのことを立証できるものが一つも存在しないとか。
頼朝が政治を行ったという幕府が何処にあったのかは分かっているのらしいが、そこが今では住宅密集地となって掘り起こすのは無理なのだそうだ。
じゃあ、最初からあきらめるべきだし、最初から申請する資格もないだろう。
観光客の増加の為に世界遺産を目指しているとしたら、それは全く本末転倒である。
何年、何十年かかってでも、その住宅地を掘り起こしていくんだ、というくらいの市民の気の永い熱意と行政の決意がないのなら早々とあきらめたほうが良いだろう。
大掛かりに足場が組まれている |
もう、時間が時間なので入場する気はないが、隣接する道路からでも十分その遺跡を眺めることができる。
道路の一カ所には看板が掲げられていた。
フォロ・ロマーノの発掘当時の工事写真、今の航空写真と古代の想像配置図。古代ローマ時代の想像イラストなどだ。
こういう画像を見ると、私のロマンは広がる一方だ。
古代はこんなだった? |
フォロ・ロマーノでは発掘以前、家畜が飼われていたという話は有名 |
掘れば遺跡。地下鉄の深度はハンパない |
それが『コロッセオ駅』で現在のB線と交わり、それに伴い駅の大規模リニューアルが計画されているようだ。
確かに『コロッセオ駅』は乗降客がやたら多い割に、駅の設備が貧弱である。
切符の自販機も2台しか無く、今日も長蛇の列を作っている。
道の両側に広がる遺跡を眺めながら古代ローマ人へのロマンを胸いっぱい満喫する。一部には未だに行われているだろう発掘調査の為の足場もある。ここは何度訪れても見飽きるということはない。
夕日に映えるフォロ・ロマーノ |
やや疲れた表情 |
なんでイタリアの空はこんなに綺麗なんだ!? |
夕陽に映えるフォロ・ロマーノを後にして『コロッセオ駅』に着いた頃には辺りはとっぷりと日は暮れていた。
さあ、今日は最後の晩餐だ。
予定していたレストランは日曜日にフラれてしまっていたので、いっそホテル近隣にオープンスペースを広げているレストランで良いか、という事にはなっていたが、それでも多少は選びたい。
4~5軒をメニューを見ながら歩いて一軒を決めた。店から魚貝類を調理する匂いがしたからだ。確かに他の店では、皆さんありきたりのパスタ、ピザ類しか食べていないのだ。
私の嗅覚は結果的に大正解だった。
しかし、「日本語を語る従業員が居て、日本語メニューがあるお店は絶対に不味い」という私の信念は脆くも崩れ去った。
7~8人の行列も出来ている。最後尾にいた男性に『並んでるの?』と尋ねたら『そう、ここは値段も良いからね。』とにやっとした。
何故だかローマに来ると、外国人であろうと気楽に声を掛けることができる。それが不思議だ。
「イタリアに住んでいるのか?」と訊かれたので
「まさか、ツーリストさ!」と言ったら、「俺たちもツーリストだよ」
訊けばスペインのバルセロナから来たと言う。親子三人連れだった。
私も大昔にバルセロナに行ったことがある、と言うと彼は嬉しそうに我が町自慢を始めた。
その時ガウディの「サグラダ・ファミリア」の事が頭に浮かばなかった事が悔まれる!
突然、近くで怒号が聞こえた。
イタリアではアフリカ系移民が観光地で物売りをしている。
最初は私も気味悪く思ったものだが、No!と言えばそれ以上しつこく付き纏う事は無いので危険を感じたことは無い。
その物売りが白人の男に突き飛ばされ、石畳に倒れたのだ。頭を打ったようでその音まで聴こえてきた。突き倒したのは近くのレストランの従業員らしい。何度も大きな罵声を浴びせ店のほうに戻っていった。恐らく店の客に物売りしたことに腹を立てたのだろう。
なにもそこまですることは無いだろうに・・・・・
黒人仲間は無論のこと、通りすがりの白人も大丈夫かと気遣っている。
倒れた男も立ち上がっていたが、事態は収まらない。
そのうち、救急車が来て、警察官も事情聴取にやってきた。
突き倒したイタリア人がその後どんな処分を受けたのかは不明である。
イタリアに限らず、移民の存在というものは何も無ければ存在自体を無視して済ますことができるが、いざ何かが起きれば、実は普段から抱えているフラストレーションが大きなトラブルを呼んでしまう・・・・・そんな難しい社会なのだと実感した。
事件を心配そうに見守っていた私たちをよそに、忙しく立ち回っていた日本語を話せるボーイが店の中からテーブルを運び出し無理やり席を作って私達を招いた。
日本語ボーイは以前、福岡と東京に居たことがあるという。道理で日本語が上手い筈だ。
マルゲリータのピザ、ムール貝のワイン蒸し、魚貝類のミックスグリルを注文したが、超が付くほど忙しい店は、一向に料理を運んで来ない。
ようやく料理が来たかと思えば、殆ど一斉に出てきた。
狭いテーブルはぎっしりだ。それを写真に収めようと妻が四苦八苦している姿に周囲から笑いが起きた。これを機に周辺の空気は徐々に和み始めた。
隣のテーブルの男性は、『私が写真を撮るから二人並んで!』と言ってくれ、カメラを構えたものの、カメラが全く上下逆さまなことに周囲はまた大笑い。そして、彼の撮ってくれた写真の角度が気に入らず「ちゃんと料理も写真に入るように」と妻が注文した時には、周囲は笑いの渦になっていた。
一番奥から食べ終わった遊び人風親父が出て行く際には『ここはインターナショナルだね。彼はロシア人、俺はイタリア人、お隣はオーストリアさ。君達は?』
『日本です。』と答えると『ワンダフル!インターナショナル!』と叫んで上機嫌で立ち去って行った。
最初、オーストラリアと聞き間違えた私たちに、隣のご夫人は「ノー!ノー!オーストリア!」
「妻は2年前にウィーンに行ったんですよ。私は行った事ないけど、ザルツブルグには行きたいと思っているんです。」
「ザルツブルグは綺麗ですよ!」
「そうですよね?私は子供の頃見たサウンド・オブ・ミュージックが大好きで・・・・」
「 サウンド・オブ・ミュージック?そうね!」
「私は子供のころ、ウィーン少年合唱団、知ってるでしょ?そこに入りたかったんです」
「音楽が好きなんだね?誰が好き?」
「シュトラウス!」
「Oh!!素晴らしい。ちなみにうちはザルツブルグから8Kmくらいの街さ」
「へぇー!それは素晴らしい!」
実はお隣のオーストリア人は母と息子のカップルだった。お母さんが案外若く、息子がいささかオッサンぽく、実に仲良く話しているので私はてっきり年の差婚なのかな?と思っていた。
「仲が良いんだね?」と言うと
「うん、仲良いよ」と事もなげに言う。
「信じられない!」
週末を利用して三日間のイタリア旅行なのだそうだ。
夜行列車で帰ると言う。
「近くて良いね。こちらは長時間の飛行機でくたくただよ」
妻はお二人の写真を、更に私を入れた写真を撮った。
「E-mailアドレスがあれば教えて下さい。送るから」とメモを渡すとお母さんがアドレスを書いて手渡してくれた。
渡したメモにメルアドをかいているお母さん 海外旅行にメモとペンは必須である |
向こうの人のアルファベットはクセがある(本当は逆?)ので、息子が一文字一文字確認して読んでくれた。彼は不器用なくらい真面目である。
「写真を送ってくれたら、僕らの町の山の景色の写真を送り返すよ。あと8週間もすれば雪が降り始まるんだ。」
「ヘェー!こちらは年に2~3回しか降らないよ」
雪深い街で暮らし、わずかな夏の時間をイタリアで過ごし、空気の暖かさ、人の温かさに触れて帰っていくのだろう。 決して裕福とは思えない彼らの実直な生活を思いやった。
オーストリア母子と |
特にそのうちの一人はおしゃべり好きで、オーストリアお母さんとひっきりなしに喋り始めた。
私はオーストリア息子と、EUについての話をしながら、料理を口に運んだ。
少し離れたテーブルからは混声合唱コーラスが聴こえてきた。
グループで食事に来たのだろう。
学生か社会人かは定かではないが、一人のテナーを中心に素晴らしい混声コーラスが繰り広げられている。
お酒の酔いも手伝ってか、皆顔を真っ赤にして歌っている。
コーラスが終わると、こちらの客は勿論のこと、通りを挟んだ向かいのレストラン客からも盛大な拍手。テナーがそれに応えてガッツポーズを決める。若いって良い!
料理はすこぶる美味しかった。
ムール貝も、マルゲリータも、魚介類のグリルも最高に美味かった。
私はマルゲリータなど日本では食べたことが無い。不味いに決まってるから。
この基本中の基本であるピッツァが美味しいということはきっと何でも美味しいのだろう。
それにバルセロナ男の言ってたとおり、値段が超安かったのも嬉しい話だ。
予定していたレストランはダメだったけど、こんな開放的な場所で色んな国の人達と会話できるのもローマを置いて他にはあるまい。
今日が日曜日で本当は大正解だったのだ。
明日は6時起きで日本に帰ると伝え席を立つと、オーストリアお母さんが
「その頃は私は寝てるわ。私が元気なうちにぜひオーストリアにいらっしゃい!」
オーストリア息子も
「山、山、山の世界だけど、とても綺麗なところなんだ。ぜひ来てくれ!」
と右手を差し出した。
私は息子と硬い握手をして「きっと、また会おう!」と言い残し、ホテルに帰った。
最後の晩餐は、プチ国際交流という大きなおまけまで付いた、最大の思い出となった。
ひょっとして次のヨーロッパ旅行はオーストリア行きになるのかなぁ?
明日は6時起床。
7時23分発のレオナルド・エクスプレスに乗ってFiumitino空港を目指し、日本に帰る・・・大きな大きなお土産を胸に抱いて。
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