2013年6月30日日曜日

ウィンブルドン

若い人達は知らないだろうが、かつてヨーロッパに行く時には、南周りを除いて全てアンカレッジ経由だった。

パリへの新婚旅行に向かう私達もアンカレッジで旅情を楽しんでいた。
そこに現れたのは見慣れた顔だった。
それはスウェーデンの貴公子ともスウェーデンの鉄仮面とも言われたボルグ。
妻は興奮してボルグの洋服に触りながら「ボルグ…!」と呼びかけてはみたものの、やはりボルグは鉄仮面だった。

そう、その頃はブームと言われるほどテニスが盛り上がっていたのだ。
今のようにサッカーが盛り上がっているわけでもなく、WBCが有るわけでもなく、国際的なスポーツと言えばオリンピックとウィンブルドンだった。

憎らしいほど沈着冷静なボルグ、やんちゃ坊主のマッケンロー、粘り腰のコナーズ。
いつもこの三人がコートの主役だった。
誰もが彼等に憧れてラケットを握ったもので、かく言う私もその最後尾を追いかけていたものだ。
だから毎年この時分には寝不足で出勤せざるを得なかったのだが、上司も御同類
と見えて目を真っ赤にしている。
敢えてテニスの話題は昼休みの楽しみにとっておいたものだった。

いつの間にか、彼等がコートを去り、私も体力の衰えと共に、コートからそしてウィンブルドンから遠ざかってしまった。

しかし、今年のウィンブルドンは違う。
錦織圭君の活躍ぶりは、かつてのテニスボーイを興奮させるに充分だ。
あの頃のウィンブルドンのコートには、日本人は、少なくとも日本人男子はいなかったのだ。
それが11位というランキングを引っさげて堂々たる試合ぶりなのだから興奮しない訳がない。

今日は初の四回戦を目指してイタリアのSeppiとの対戦。
イーブンで迎えた第3セットはタイブレイク。
厳しい応酬です。
簡単には勝たせて貰えませんね~

おー!
ようやく錦織君が制しました。
これでゲームカウント 2ー1。

さあ、結果はどうなるでしょうか?
ぼちぼち、休みます。

伊達さんも頑張れ!

⇒ 二人とも残念でしたね。でも久々にテニスでエキサイトさせてくれて有難う!

2013年6月29日土曜日

遠回り

先月亡くなった叔母の忌明け法要に参列するため、静岡県磐田市にやって来た。
この地域に親戚が多く、最近になり仏事が増えつつある私は、同市内にある妻の実家に泊まることが多い。
一人暮らしをしている義母の様子を見る為でもある。

実家は東名高速の浜松インターを降りれば直ぐの所なのだが、今日は少しばかり遠回りをすることにした。
何ヶ月か前にできた新東名高速を走るためである。
新東名は相当北を走っている。
この新しい道路の沿線には全く既知の人も居なければ、用事もなぃ。御殿場より東を目指すのでなければ、メリットもなさそうなので、いささか強引に今回の計画を思い立った。
浜北インターを降りて南下すれば磐田には行ける。

三ヶ日ジャンクションから北に折れて進む道は将来、奥三河を通って信州飯田へと向かう『三遠南信道路』になるのだろう。

走るうちに、車は方向を大きく西に向け始めた。
これでは名古屋に戻ってしまう。
「そんな筈はない」とは思いつつ不安な気持ちも膨らむ。
そのうち南下を始めた。
ようやく合点がいった。
右に90度曲がる為に、左に270度回転させるという寸法だ。
これでようやく新東名高速の本線に入ったことになる。

道路は片側三車線で気持ち良い。
トンネルを抜ければ浜松サービスエリアだ。
建物は予めネットで見ていたように、外壁にピアノの鍵盤をモチーフにしたデザインが施されている。
いや、しかし待てよ…どうも変だ。
何度見返しても、本物の鍵盤とは配列が異なる。
これではピアノは弾けないべ?
このサービスエリアは『楽器の街』浜松をアピールしている筈なのに、これで良いのかな~?
ふと、視線を回してみると、大きな山の峰に何台かの風車が威風堂々と建って回転している。案外、身近な所で風力発電が進んでいる。
建物の中は、大きなワンフロアにお土産物売り場とフードコートが周囲に配置されている。
さすが、浜松餃子のお店もあるが、あまり美味しいという印象のない私は、隣にあった『中華の鉄人』陳さんのお店で担々麺を頼み、もう一つは『若鶏の三和』で親子丼を頼んだ。
担々麺980円は残念!
これでは陳さんの名前に傷つかないだろうか?
近所にある四川料理のお店や、名古屋『錦城』の方が格段に美味しいと思うのだが…
三和の親子丼は、『名古屋コーチン』を謳うだけあって、鶏肉の旨味を充分に味わえる。値段も880円と普通だし、さほど期待していなかっただけに、大満足の親子丼だった。
浜松で名古屋コーチンも正直どうかと思うが、お勧めかも…
そんなこんなで、いつもは一時間余りで到着する妻の実家に 着いたのは、家を出てから三時間後だった。

案の定、義母は相当待ちわびたようだ。

2013年6月28日金曜日

植物ってすごい

今朝、会社に来て驚きのニュースが飛び込んできた。
な、な、なんと!あの「Nドライブ」が11月30日でサービスを終了するという。
Nドライブのサイトに行っても、「サービスを終了いたします」としか書かれていない。
不親切だな!理由ぐらい書いといて!
あ~、それにしてもショック!
このブログにも登場しているように、私の生活では今や欠かせない存在になっているというのに・・・・まぁ、無料サービスなので、突然サービス終了と言われても文句は言えないが。
私の周囲にいる同ユーザーも一様にショックを隠せないでいる。
30GBの無料クラウドサービスなんて、そうそう有るもんじゃない。
11月末までに、善後策を考えるとしよう。

今日は「植物」の事を・・・
今月16日NHKラジオ第二放送で放送された「日曜カルチャー【植物って、すごい!(3)】」をようやく昨夜聴く事ができた。
私は Radika というPCソフトで、気に入ったラジオ番組を録音し、音声ファイルをくだんのNドライブ上に置いて後日いろいろな場所で聴いている。
最近はイタリア語学習の為に時間が圧迫されて、それらをなかなか聴く事ができないでいたが、昨日は一区切りついたことで、自分への御褒美としてこのラジオ番組を聴くことにした。

講師は甲南大学理工学部教授の田中修先生。
実は、私は以前からこの先生の隠れファンなのだ。
というのも、 このセンセ、毎年夏休みの頃になると始まるNHKラジオ第一放送「夏休み子供科学電話相談」の植物分野での回答教師をずっとされており、私はこの名調子が大好きなのだ。
この番組のファンは私の周囲でも結構多い。
子供と回答教師のなかなか噛み合わない感じ、それでも必死に分って貰おうと努力している先生方、分ろうとする子供、明らかに途中で投げ出してる感の漂う子供・・・世代を越えたこの人間模様がたまらなく面白いのだ。
大体の子供、最初はとても元気に質問をするのだ。
しかし、先生が説明をし始めると、徐々にトーンが下がって来る。それは先生が途中で投げかける「分るかな?XXちゃん!」という問いに対する応答で想像がつく。
最後の「分ったぁ?」という問いに対して、多くの子供は殆ど消え入りそうな声で「・・・うん・・・」と答えるのだ。
きっと、この遣り取りを一番楽しんでいるのは、私の様な大人なのだろう。
その中でも、植物の話題になると、あくまでも辛抱強く、優しい関西弁で語りかけるのがこの田中修先生なのだ。先生の話には子供達に対する愛、植物に対する愛を非常に感じる。

私は理科の中では、生物系とりわけ植物系は大の苦手だった。
ところが、田中先生の話を聞いていると、植物にも興味が湧いてくるから不思議だ。
昨夜聴いた話も、副題として「植物の生き方に学ぶ」とあるくらいで、植物の持つ「生き抜くための賢さ、逞しさ、したたかさ、粘り強さ」がテーマであり、決して一元的に植物の生態を講義している訳ではない。
つくづく、こういうのが文化だなぁ~って思う。
毎日こんな話を聞いていたいと思う。

内容はとても私の筆で書き著すことなどできないが、特に印象に残った事だけを・・・
「植物は最良のタイミングを見計らって行動する」ということだ。
例を上げると「発芽」。
植物が発芽する条件として
①水分
②適切な温度
③酸素
が必要とされているが、実際には大半の植物にとっては発芽した後の光合成の為に
④光
も必要だ。
そして、これら条件が整わない限り決して発芽しないのだそうだ。
植物は発芽しないで、条件が整うまでじっと待つのだという。

知っている人は知っているのだろうが、20世紀にツタンカーメンの副葬品としてエンドウ豆が発見された。そしてこれを発芽させることに成功し、それが今では「ツタンカーメンのエンドウ豆」として流通しているとのこと。
つまり、私達は古代エジプト人が口にしたものと同じエンドウ豆を食べることができるのだ。
その事に大いなるロマンを感じると同時に、3500年という途方も無く長い時間を、エンドウ豆がじっと待っていたということに、私は強い感動をおぼえた。
セミも偉いけど、エンドウ豆はもっと偉い!
耐えて、耐えて・・・・条件が整えば一気呵成!
これは、殆ど生き方かも?
そして、子孫を残す事への執念だ。

日本にも弥生時代の蓮の種子を発芽させた「古代ハス」があるとのこと。
ハスの種子は、蜂の巣に似ているらしく(私は全く知らなかったが)、「ハチノス」→「ハス」になった、という小ネタもご披露してくれていた。

種子が季節を把握している事、光を認識している事、温度を監視している事・・・それらを実験結果も交えて説明してくれた。
私の説明では誠に心もとないが、ご興味がお有りの方にはぜひ先生のお話を聞くことお勧めしたい。

一貫して感じたのは、生き抜くことへのチカラ、そして子孫を残すことへの執念だ。
人間も、とりわけ日本人も、かくありたいと思う。

それにしても、Nドライブどうしよう・・・?

2013年6月27日木曜日

遅咲きの活躍ぶり

今日の昼休みで「NHKまいにちイタリア語4 月」を終えた。

え~と・・・始めてから何日経ったのかな?
こういう時にブログを書いておくと便利だ。
お~っ!始めたのが19日・・・・というこ とは9日間かかったということだ。
まぁ、まぁですね。 特に早いということもないでしょう。
というのも、カリキュラムは月曜日から水曜 日までが基礎編で、木曜日と金曜日は応用編 になっているみたいなのだ。(みたい、とい うのは実際にラジオを聞いたことが無いから 分らない)
その「応用編」に関しては、今のところ「学 習」の対象になっていない。
つまり「基礎編」3×4=12日間分を9日 でやった、というだけの話だ。

その「応用編」というのは「スクリーンが映 し出すイタリアの現在」と銘打って、現代イ タリア社会の問題点等を映画を通して紹介す るという内容である。
そこでは、今の若者達が抱えている様々な問題、社会の歪と共に、新しい言語表現に触れ ることができる。
日本でも日々、渋谷系の若者を中心として新 しい言葉が創られるが、イタリアでも事情は 同じなのか?
今日、イタリアの若者の失業率が40%以上 になっており、政府はその為の財政出動を決 めたとのニュースが入って来た。これは相当 に深刻な問題だ。経緯を見守りたいと思う。

しかし、この応用編、始めて8日間という超初心者には取付く島すら無い状態で、今は黙 ~って聴いているだけの状態。
いったいNHKはどういう意図で番組編成を 行ったのかな?
基礎編は一週間ずっと基礎編でやっててよ! というのが超初心者の本音である。
ま、イタリア語はまだまだマイナーな存在な ので別の時間枠を設けることができない、と いうことかな?と勝手に判断しております が?

さて、8日間とは言え、なかなかに難しく なってきましたね~・・・
予想通り、連日「男性名詞」「女性名詞」に悩まされて いるのだ。
動詞の活用は無論、形容詞も変化する。
しか もイタリア語の形容詞は基本的に名詞の後ろ だって!
白い鞄 ⇒ la borsa bianca となるそうな・・・・ 仏語や独語はどうだっけ?
少なくとも私は忘 れている。
ま、いっか、そういうものだと素直に受け入 れるしか無さそうだ。

さ、次は今までの「基礎編」をテキストなし で復習しようと思う。 できるだけ、文字に頼らず、耳で聞いたこと だけで、反応できるようにしたい。
同じく9日間程度で納得のいく復習ができれ ば5月分に進む予定。

新しい武器も登場している。 数年前に購入した電子辞書にイタリア語が 入っていたのを思い出したのだ。
もちろん、旅行用に買ったのだが、正直あま り使ってはいなかった。
相手が居る局面で、しかも時間の制約もある 状況下では、こういう武器はなかなか使えない。
つまり、戦国時代の戦の現場で、大砲・鉄 砲の類は予め準備され狙い定めて撃つという 点においては大きな成果を上げるが、兵と兵が接近する局面になれば所詮鉄砲は役に立たない。
つまり機動力という点で刀に劣ってい たということだ。
言いたいのは、まだIT機器は戦国時代の鉄砲なのだ。(もう少しなのだが・・・)
確かに音声入力して他言語に変換する機能も あり昨年は実際に使ってみたが、ボロ・スマ ホということもあってか、そのレスポンスに イライラしないではなかった。
しかし、学習には電子辞書は役に立つ!

だから私のベッドでは、iPad/Androidスマ ホ/電子辞書が並び、就寝前の学習で大活躍 をしている。
今や大活躍! CASIO EX-word 伊和辞典

2013年6月23日日曜日

乙川優三郎 著「花映る」(短編集「闇の華たち」より)

久しぶりに乙川優三郎の本を読んだ。

たまたま、書類の整理をしていたら、その中に埋れていた。
手にとってパラパラと捲ってみると、確かに読んだ記憶のある作品もあれば、全く新たな出会いを感じさせる作品もある。
どうやら、読んでいる途中で書類近くに置き忘れ、何時の間にか埋れてしまったのだろう。
短編集を読む時、しばしばこんな事になる。
長編ならきっと「置き忘れた」感に急き立てられ、何ヶ月も何年も放っておけるわけない。
再発見したのが乙川優三郎の作品だったというのも、大いに頷ける。
これは氏への賛辞である。

彼の描く世界は時代小説という形を借りた現代小説だと思う。
主人公はおよそ生真面目であり、ひたむきに生きている。
そこには奇想天外な物語があるわけでもなく、ヒーローの存在に胸踊らされることもない。
しかし読み進めるうちに、いつしか主人公の心に同化してしまう。
氏は「苦悩を描かない小説などあり得ない」と発言したらしいが、実際、彼の小説に登場する人物は苦悩するのだ。だから、氏の作品は暗いという人は多いだろうと思う。
しかし「苦悩の無い人生などあり得ない」し「苦悩の無い人物など、居たとしても付き合うに値しない」のだから、知らぬうちに主人公の人生を「心の動き」という一面において共に生きることになる。
しかし氏の作品は苦悩だけで終わることは決してない。
最後には僅かではあっても、将来への光明を指し示し、地道に生きることの尊さを決して押し付けることなく、そっと置いて行く。
数十頁の短編とは言え、読み終えた時には、そっと本を閉じ瞑目して主人公のその後の人生に想いを馳せるのだ。あと一頁めくれば次の物語に入っていける事は分かっているが、私にはそんな勿体無い事は到底できないのである。

長い言い訳のようになってしまったが、「花映る」は案の定二度目だった。
物語としては、不本意に死んでしまった友の仇討ちであり、これから始まるかも知れない、未亡人と共に生きる人生だと言えば良いだろうか。
ただ、人を斬ることの不快感、自分の愚かさへの嫌悪、これらの心の動きが妙にリアリティを伴う。

私は時代小説を読む時、必ず藤沢周平と比較しながら読み進める。
他の作家の方々には甚だ失礼な事だと承知しているが、私にとって藤沢周平は特別な存在であり、彼を越える作家は後にも先にも出てこない。
藤沢周平が亡くなって久しいが、その穴を埋めようとして様々な小説家の作品に接してきた。乙川優三郎もその中の一人である。
藤沢周平という作家は実に幅の広い作家であり、コミカルで軽妙な表現から、息を飲む一瞬の心の動きを無駄のない言葉で語ることまで、右に出る者のいない巧みさを持っている。
乙川優三郎はそのうちのシリアスな心理描写と緻密な表現という面において、藤沢周平の後継者というに充分過ぎる程の筆の力を持っていると思う。

私と同じ1953年生まれといことも、身勝手な親しみを感じさせる要因かもしれない。

2013年6月22日土曜日

ライブ決まる

夏のライブが決まりました。
恒例『Endless Summer 2013』は9月7日(土)に決まりました。。
今年もハワイアン・バンド『Nateva』とのジョイントライブです。
今日の練習はドラムス以外は出席。
新曲『Do It Again』にチャレンジです。
意外にも!最初の練習にも関わらず、形になっていましたねぇ!
こんな事は珍しいことです。
この曲は、うちのバンドでは稀ですが、歪んだ音から始まるエイトビート。相変わらずコーラスは難しい。
しかし、この調子ならもう一曲くらい新曲が出来るかも?
夏らしく『Catch a Wave』でもしましょうか?

2013年6月21日金曜日

還暦の手習い

イタリア語の勉強について、ここに書き込むつもりなど全く無かったのだが、学習始めて3日目、私の中では今のところ、こいつが大きなウェイトを占めていて、これを書かないと書くものが無くなっちゃう。
ま、それも今のうちだけ・・・?
また、自分の性格からして、多少のプレッシャーを与えておかないとサボるからなぁ。
ここは誰にも読まれていないと言う前提に立ちながらも、折に触れイタリア語学習についてレポートしてみるのも良いかもしれない。
とにかく還暦の手習いは始まった。

イタリア語は全く初めての体験。
テキストは”Ecco un Vaporetto”『ほら、ブァポレット(水上バス)だよ』という言葉から始まった。
舞台はヴェネツィアだからブァポレットが登場するのだが、のっけから男性名詞、女性名詞の違いだ。
確かにこの手の違いに慣れておかないと後が大変になるのは必定。
英語では無かったけど、殆ど忘れている独語でも「男性名詞」「女性名詞」はあったような気がする。
名詞の語尾が"o"なら普通は男性名詞、"a"なら女性名詞。"e"は両方有り得る。
当然、それによって不定冠詞は変化する。"un"が"una"に変わるという訳だ。
Eccoという単語はどうも伊語独特の言葉のようで、これは単純に表現を覚えてしまうしかなさそうだ。
最初の頃は英語に関連付けて覚えようとしたが、それは無意味な事と思うようになってきた。
楽なのは、殆どローマ字読みで行けそうな言葉が多いことだ。もちろんその通りにならない発音もある。
"gli"の発音など『舌の中央部を上顎に付けて"リ"と発音する』との説明があるのだが・・
???全然上手く発音出来ない。
早くも課題出現?
「切符」という意味の"biglietto"、更に「切符売り場」を意味する"biglietteria"には既に苦戦を強いられている。
しかし、ひょっとしたら、新しい言葉を学習するって面白いかも…って少し思ってる。
まぁ、始めて三日目なので大きな口を叩く事は止めておいた方が良さそうだ。

さてここで、私の学習を取り巻く環境を説明しておきたいと思う。
命題は、「どこに居ても学習できる」というニーズにどこまで応えるか、だった。
「雑誌オンライン」で購入したテキストは、①会社のPC ②自宅PC ③iPad ④スマホ で読む事ができる。
これは電子書籍を、とりわけ「雑誌オンライン」を選択した大きなアドバンテージだと思う。
本をいちいち持ち歩くなんぞ、考えられない。
さてCDはどうするか?
結局私はCDからPCに落とした音声ファイル(mp3)を「Nドライブ」というクラウド・サービスにアップロードした。
気紛れな私としては、「勉強したい」と思ったその時が勉強したい時なのであって、その時に「CDを持ってないから聴けな~い!」などという事態は許せないし、そのうちCDが何処へ行ったか分らない事態に陥るのは自明の理だからだ。
音声ファイルをスマホにコピーして持ち歩く、という方法も考えないでは無かったが、家の中ではスマホを何時も持ち歩いているかと言えばそうでもないし、音声ファイルの管理をきっちりしていかないと、我がオンボロ・スマホは直ぐに動作がノロくなる。
それで出た結論がクラウド・サービス。中でも「Nドライブ」は容量が30GBまで無料なので、使い倒せる!
家でも会社(昼休み)でもPCを使う時には、一つの画面で、片やWEBでテキストを開き、片やNドライブ上の音声ファイルを再生させる。
寝る前に、寝室ではiPadでNドライブの音声ファイルを再生させながら、スマホでテキストを読む。
お~!なんとITな学習環境!!
あ、勘違いしてない?
これら(会社の昼休み&帰ってPCで&寝る前も)を全て毎日実施しているわけではない。
環境を整えた、という意味である。
ただ、今日発覚した問題がある。
外出時どうするか?である。
基本的に車でどうするか?ということだが、私は一応、考えていたのだ。
もちろん、運転しながらなのでテキストを読むことは必要ない。
音声ファイルはNドライブに預けてあり、それをスマホで開く事はできるのだから・・・・
ところがである・・・外でのNドライブは使えない、とうことが分った。
ファイルを指定して音声が出てくるまでに時間が掛り過ぎるということだ。
これはNドライブのサービスに問題が有る訳ではない。
う~ん、やっぱボロ・スマホの問題か~?
家でも会社でもWiFi環境は整っているので、何らストレスは感じなかったのだが、外に出れば回線は3Gだけが頼りなのだ。WiFiと3Gではこれほどまでに違いがあるのか?
やっぱり早いとこLTE対応のスマホにせねば・・・・でもまだ約半年のお年季が残っている。
それまでは、当面学習する範囲のファイルを事前にスマホにダウンロードしておくしか方法が無さそうだ。
う~ん・・・なかなか現実は難しいものだ。
万が一、この一文を読んだ人の中で、別の方法が考えられる方はぜひご一報願いたい。

今日は、もう一つどうしても書いておきたい事がある。
昨晩NHK BSで放映した「BS歴史館」を観た人はどれほど居ただろうか?
昨日フォーカスしていたのは和算で有名な関孝和。
私が書くまでも無く、関は和算の天才として有名だし、私自身もその存在は昔から知っていた。
しかし、昨日見知った彼は、そんな存在では無かったのだ。
曰く「算聖」という。
天才は数多くいるが(それも凄いことだけど)、更にその上、神と言うべき存在だという意味らしい。
同時代のガリレオ、ライプニッツという西洋の学者に決してひけはとらない。
お叱りを覚悟で明かせば、今まで私は「和算」とは、せいぜい算数レベルかと思っていた。
関孝和もその範囲での天才なのかと・・・
しかしそれは全く違い、それまでの和算(中学レベル)を突然大学の専門数学レベルまで押し上げたのが関なのだという。
彼は弟子の育成も怠りなく、そのことが関流和算として明治維新まで綿々と受け継がれることになる。
解説者によれば、日本人が西洋数学を素早く取り入れ、西洋の技術を身につけていった背景には、この流れがあったればこそ、だと言う。
つまり関孝和とその弟子の流れが、日本人の数学的な基礎を作り、近代日本への変革を後押ししたということだ。
もっと我々は、関孝和の事を知り、彼を誇りに思うべきなのでは?
彼を主人公にした小説も刊行されているようだが、クチコミも殆ど無いことから推測するに余り売れているとも思えないのが残念だ。
しかし当時の江戸市民の間で「和算」が流行り、一般町人も競って問題を解くことに熱中していたという事も驚愕すべきことだ。
我々には、そんなDNAが少なからず流れている筈。
数学を学ぶ面白さを、もっと子供達に教えなくてはいけないのではないだろうか。
私自身、和算を含め、数学を「還暦の手習い」に加えたいところなのだが・・・人生、短すぎるか?

2013年6月19日水曜日

イタリア語と電子書籍

とうとう、手を出してしまった。
始めから断っておくが、決して成就することはないのです。と、エクスキューズからスタートしたのは…もちろん大層自信が無いからである。
勿体ぶるまでもなくタイトルを読めば一目瞭然なのだが、何ともこれが気恥ずかしい。
まともに英会話も出来ないのに何がイタリア語だよ~!という気持ちが長年私を支配していて、それでいて英会話を学ぼうともせず、今日に至ってしまったというのが正直なところだ。
あ~それなのに、それなのに、自らの怠惰な性格も省みず、禁断の毒入りリンゴに手を出してみようと思い立ったのは、ある人のブログを読んだからだ。
サンジミニャーノとシエナの旅をどうしようかと考えてネットで情報収集して見つけたブログだ。筆者は私と同年輩と思しき男性。やはりバスの乗り換えが大変だった事が書かれてあり、私としては有益な情報に違いないのだが、それ以上に興味を持ったのは、彼の奥さんがNHKラジオのイタリア語講座を一年間勉強したおかげで、バスを待つ間、現地のお爺さんと親しげに話していた、という一文だ。
NHKのラジオで?
たった一年間で?

だって、こちとら10年も英語を学習したにも関わらずこの何ら実践に役立ったという実感がないのだから。
一度なんて「スピードラーニング」試してみようかな?と思った事もある。
だが、世の中にはマスコミ等では大騒ぎなのに、身の周りでは全く体験者が居ない、という事象はよくあるもので、このスピードラーニングもそんな一つだ。
CMでは、学校の先生兼住職の人がさもスピードラーニングで英会話ができたみたく言ってるけど、ネットで調べてみれば「聞くだけで英語が喋れるようになる訳が無い!」と断言している人が大勢だ。「英語を聞いているだけでペラペラ喋れるようになったらノーベル賞ものよね?」って誰かは言っているかも知れない。
まあ、「スピードラーニング」の真偽の程は置いておいて・・・話が脱線した。
問題は、同年輩ご夫妻イタリア旅行のブログです。
『じゃあ、ひょっとして自分も?』って思い込むのも無理はないっしょ?
悪魔の耳元でささやくのだ”お前にもできるよ”って。
気持ちは直ぐに決まった。
(その奥さんがどの程度の会話をしたのかは定かではないのだが・・・・)

毎日決まった時間にラジオを聴く事は無理だ。また、PCでラジオ番組を録音する事も可能だが、NHKも不測の事態には予告なしに番組編成を変える事があるので不安が残る。それに、教育番組は4月スタートが多く、こんな中途半端な時期から始めるにはバックナンバーが要る。
なら、CDを購入するよりない。1ヶ月分1,580なり。Amazonなら送料無料。
テキストはどうするか?
一カ月分の紙テキストは本体400円に送料が60円。合計で460円である。
それに比べ、電子書籍だと350円と大幅に安い。こりゃ電子書籍に決まりだね!


実は私は既に電子書籍の利用者である。
使っている端末はAmazonのKindle。
数年前iPadを購入した時には、電子書籍に大いに期待したものだったが、当時は未だ日本の出版社にはそれを迎え撃つ体制が全くできておらず、まともなものと言えば、著作権の切れた古典のみだった。(そのお陰で漱石や芥川を久々に読むことができたのだが…)
あれから数年が経ち、状況は変わった。Koboを始め廉価なリーダーも増え、対象となる書籍も増加してきた。
書架に収まりきらない自分の本に困り果てていた私は決心をした。
これからは電子書籍だ!



Amazonの製品に決めたのは、それまでもAmazonのサイトで本を購入していたからという単純な理由である。
しかし、今のところこれで満足している。
電子ペーパーなので、液晶に比べても目に優しい。
また、ページめくりの時とバックライト以外には電池を消費しないという。一度の充電で、軽く3週間はもっているようだ。
それに何と言っても、寝る前の読書には最適なのだ。紙の本だと、どうしても部屋の明かりを点けなければならず、同室者に遠慮も必要。ところが、電子ペーパーは輝度調整も簡単なので、暗闇の中でも最低の輝度で読めば眼は疲れない。 
眠くなったら、カバーを閉じれば自然に電源は切れる。

もう一つ優れた点を挙げるとすれば、それは辞書機能が連動する、という点だ。
分らない言葉に出くわした時、その言葉を選択すると、辞書が勝手に起動され、その意味が表示されるのだ。
「自分で辞書を引きなさい」とは、子供の時分から母親に良く言われた事だが、ヨミすら分からない漢字に遭遇した時の辞書を引く手間ときたら、 ミラノへ行くのに香港トランジットで10時間待たされるようなものだ。
「自分で辞書を引くから身に着くのよ」と言われた言葉は、「はい、その通りです」としか言えないが、「効率良く身に着けますので」と勘弁してもらうしかない。

もちろん、電子書籍になっていない著作物も多い。
作家さんによっては、紙本にこだわっている作家も少なからず居ると聞く。
その気持ちは私にも充分理解できる積りだ。
私が好きな宮部みゆきさんもその一人か?
しかし、人間何十年も生きてれば、読んだ本の量もハンパ無く、さりとて好きで買った本を売り払うことにも抵抗がある。
こんな庶民の事を考えて、少しは電子書籍化に前向きになってくれないだろうか? 

さて、話を戻すとしよう。
NHKテキストは、Kindleコンテンツとしては販売されていなかった。
私が選んだのは、「雑誌オンライン」というサイトである。
メリットは、ここの購入したコンテンツはPC、iPad、iPhone、Android全てで(残念ながらKindleは対象外)読む事ができ、しかも印刷可能だった事である。

さあ、これで道具立ては整った。
あとは、自分の努力次第。
冒頭から逃げ腰なように、さっぱり自信は無いが、自分のイタリア好きを奮い立たせて頑張ってみよう。
まあ、来年あたりの旅行に少しでも成果が出ると良いのだが・・・・・



 

2013年6月17日月曜日

フィレンツェの宿

ようやくフィレンツェの宿が決まった。

結局はホテルに落ち着いた。 

ついこの間まで、アパートに泊るつもりでいたのだが、現実はなかなか思い通りにはならないものだ。
 最大の問題は、「エレベータ」の有無だ。 勿論、エレベータ付きの部屋も有るには有るのだが、既に空室がなかったり、エレベータは有っても、ドアを開けるとすぐに階段を上がらないといけない、という状況だ。
トランクをゴロゴロさせて行く年寄りにとっては、自力でトランクを持って階段を登ることなど到底不可能だ。
 ホテルなら、ボーイに少々のチップを払って部屋まで運んでもらう事も可能だが、それもアパートメントでは不可能。
それともう一つ、フロントというものが無く、宿の人が24時間居ないということだ。 チェックインとチェックアウトの時間を知らせておいて、その時刻に管理人(或いはオーナー?)が来るのだそうだ。 ということは、フライトの都合で到着時間がずれたような場合、自分で管理人に連絡をしなければならない。 これは言葉が不自由な身としては、なかなかハードルが高い。
実は、フィレンツェには在住の日本人がアパートの斡旋をしているケースもある。 こういう場合には連絡も日本語でOKだし、滞在中も何かと心強い。
私としてもそこを狙ったのだが、なかなか条件に合う物件が無かった事が残念だ。

どうしてフィレンツェには短期滞在型アパートメントが多いのだろう?
ひょっとして、フィレンツェ以外も多いのか、今まで私が気付かなかっただけなのか?
以前、インターネットの記事でイタリアの現状をレポートした記事を目にした。
何故、そんな事を調べたか?と言えば、日本からイタリアへの移住は可能かどうかを確かめたかったからである。
答えは簡単・・・ほぼ不可能ということだった。
旅行における滞在期間も短く制限されている。
現地の雇用を創出できるなら、それは可能だろうということだった。
そんな中で出くわした記事だった。
タイトルは「頭脳流出」だという事だったと思う。
要するにイタリアでは優秀な若者が大学を出ても、それを生かせる就職先が見つからず、アメリカに渡るケースが非常に増えているということだ。
若者はイタリアでは夢が叶わないと言う。
また、イタリアの若者は給料が安く、なかなか結婚できないともいう。
 だから、パートナーが居ても親元に同居するケースも多いとか。
そういう状況を考えてみると、なかなか都会の立派なアパートには住める人は減少しているのかもしれない。
それが、短期滞在型アパートメントという形で宿泊客に提供するということに繋がっている。
そんな気がしてならない。

日本人の中には、イタリア人は怠惰だと誤解している人も多い。
しかし、実際には私はむしろ「イタリア人は勤勉だ」という印象の方が強い。
確かに休み時間は多いし、バカンスも長い。
しかしそれは長い歴史が育んだ伝統である。
勤務時間中は非常に真面目に、責任感と誇りを持って仕事をしている。
勿論、都会では油断のならない輩が旅行者の懐を狙っていることは確かだが、それは世界中どこに行っても同じだ。
少し都心を外せば、人懐っこいイタリア人に触れることができだろう。
それが私のイタリア旅行の楽しみでもある。

ま、とにかくこれでフィレンツェの宿が決まり、一安心。
ホテルは Hotel Exective
オルヴィエートと同じくアーモイタリアのお世話になった。
ホテルからウフィッツィ美術館の予約を入れてくれるのも嬉しい!

残るはローマの宿の手配と、途中の列車の目途を立てておくこと程度かな?

2013年6月13日木曜日

同級生を探せ! ・・・・解決編

同志社校友会の低次元な対応から6日経過した昨日、昨年来のテーマであった「同級生を探せ!」がいきなりの解決をみた。

もちろん、同志社校友会の御尽力お陰...ではない。

ただ校友会での唯一の収穫であったフルネーム情報の取得が大きな貢献をした、ということからすれば、感謝すべきなのか?

同級生Kのフルネームを知り得た私は、京都から帰った当日、疲れ切った身体でインターネットでの検索を試みた。同姓同名の人も日本中には居るもので、私は更に検索条件を加えた。「大阪市」という単語である。それは勿論、彼の出身地が大阪市であり 、存命ならば今もその場に居住している可能性が高いと考えたからだ。
当たった!
それは、大阪市の宗教法人リストだった。
そこには、宗派を問わない施設の住所と代表者名が記載されていたのである。そしてその代表者にKの名前があった。
彼の実家は仏教寺院だったのだ。
そして、彼には兄弟が居なく、父親の跡を相続している可能性が高いと私は踏んでいたからだ。
小躍りする気持ちを抑え、堀を少しずつ埋めていく作業にとりかかった。


次は、その寺院の住所と名前で地図検索をした。
するとどうだろう・・・まさに40年前に訪れた、彼の実家へのルートが思い起こされるではないか。人の記憶というのは、実にいい加減なところもあるが、時として驚くべき力を発揮する場合もある。これはまさに後者であろうか?梅田(東通商店街?)で痛飲し、若干フラフラしながら、彼に連れて行かれた、その場の空気が蘇る。
思わず、私はGoogleストリートビューを駆使して、あたりの風景を見回してみた。
日頃、ストリートビューなんぞというものは不要の長物と思っていたものの、こういう場面では実に役立つものだ。文明の利器恐るべし。
鉄筋コンクリートの寺院らしくない建物。
併設されている幼稚園。
私の記憶通りだ。

期待は確信に近づいた。
更に寺院名だけで検索をしてみた。
お寺のホームページがあるかと思ったからだ。
見つかったのはブログだった。
やはり写真が何枚か掲載されている。
これはもう間違いない。
同じブログの別ページを見てみた。
山登りっぽい記載が有ったり、仏像の写真が載せてあったりと彼の趣味に合致する内容もあるのだが、ハワイ旅行の記載もやたら多い。
ん~?
なにか違和感を感じてよく考えてみたら、自分が運営している寺院名を、特定の日のブログタイトルに使う訳は無い、とようやく気付いた。
何の事は無い、お寺好きで、山好き、ハワイ大好き人間のブログだったわけだ。

とにかく、これで連絡をすることはできるという確信を持った。

しかし、同志社校友会にくだんの依頼をしている以上、もう少し待とうと考えた。
それが仁義だろう。
何せ、校友会事務所では「直ぐに連絡をとります!」と言ったのだから・・・・・・

そうして昨日まで待った。
相変わらず校友会からは何の連絡も無い。
もう仁義など気にすることはないだろう・・・同志社校友会の「直ぐ」が何日を現しているかは不明だが。

電話番号は直ぐに分った。個人名義の電話番号では無いので、それは簡単だ。
仕事が終わり社員も退けた19時。相手も仕事は終わっているだろうし、失礼にもあたらない時刻だ。
ドキドキしながらプッシュボタンを押す。5回程コールした。
決して狭い家ではないので、それは仕方ない。
出た。
「XX寺です」
彼の声?多分間違いない。
「私、粟倉と申しますが・・・そちらの御住職さんはKさんと仰いますか?」
「はい、そうです、私ですが・・・」
「あ、そうですか・・ひょっとして同志社大学ご出身でしょうか?」
「はい・・・そうですけど?」
「美学・芸術学に72年入学ですか?」
「はい、そうです」
ビンゴ!!
ようやく探し当てた!

彼には全く心の準備ができていなく、戸惑いながら始まった会話だった。
やはり同志社校友会からは何の連絡もなかったのであろう。
私が昔のエピソードを語っても、彼はなかなか思い出せない。
私が詳しい状況を少しずつ語って行くと、彼も少しずつ思い出す・・・こんな風に話が進んでいく。
長い間、閉じられたままだった記憶の扉が少しずつ開いていくのが伝わってくる。
30分近くも語り合っただろうか?
彼も他の美学の友人とは音信不通らしい。
携帯電話も嫌いらしく、持ってはいるが使わないとのこと。
うん、うん!こういう頑なな性格だった。
嫌いな物は頑として受容れない。
何にでも流されていく私は、彼のそんな性格が羨ましくもあり好ましく思ったものだ。
そんな事も思い出していた。
私の携帯番号を伝え、再会を誓い合い私達は受話器を降ろした。

仕事で大阪に行く機会はめったに無くなったが、何とかして機会を作りたいものだ。
最近知った、憧れの居酒屋「ながほり」で飲むのも悪くない。
(彼はお酒飲まないのだが・・・)
いや、やはり東通商店街か?

しかしながら、今更思う。
同志社校友会とは一体何者?
今回の同級生探しに校友会の力を借りようと思ったきっかけになった「卒業生同士の旧交を温める為のお手伝いをする。これも校友会の仕事ですから」という言葉が、宙をさまよう。
もし、その言葉に訂正が無いのだとしたら、実際の対応・活動はその任を怠っていると断ぜざるを得ないのである。

話は変わって・・・・誰も「梅雨のズル休み」だなどと言わなくなった。
笑い事では済まされない状況だ。
昨日の台風3号の接近も、名古屋周辺には殆ど影響が無かった。
このままでは水不足が心配である。
お茶碗にラップを貼って、その上にご飯を盛って食べた事を思い出す。

2013年6月6日木曜日

充実の二日目

携帯のアラームをOFFにしていたので、起きたのは8時過ぎになってしまった。
家族は起きていたが、昨日の運転疲れを気遣ってか、起こさずにいてくれたようだ。

のんびり部屋で支度をして、部屋を出たのは10時半になっていた。
昨日は「9時半に出て、新島旧邸には10時に着きたい」と言っていたのは全く嘘になってしまった。
一応、新島旧邸の予約は10時から13時までの間となっているので、差し障りはない。

ナビで新島旧邸を検索したが、全くヒットしない。
ナビが悪いのか、はたまた新島旧邸がナビの情報として公開していないのか?
っとに、役に立たないヤツだ!とイラッ!
しかし、場所は分かっているので、手探りでセットし、スタートだ。
ナビによれば出町まで行き、そのまま河原町を行かせる。

<北白川DONQ>
河原町通り?と思ったが、ナビの誘導を無視して、私は白川通を南下して銀閣寺道まで出るルートを走ることにした。
何せ、白川通は学生時代に良く歩いた懐かしい道だったからだ。
特に北大路から南の白河通は良く歩いたものだ。
そして、途中にあるDONQでバゲットを買って銀閣寺のアパートに帰ると、プチ贅沢な気持ちになったものである。
あのDONQはまだあるだろうか?危ないと分かっていても、ついついキョロキョロしてしまう。

京都は歩行者も強い!走っていると、道路の中央分離帯に何人も立って、隙あらば渡ろうとしているではないか!
どうなってんだぁ?ビュンビュンの車に、ママチャリがスイスイ、歩行者ウロウロ。
これでホントに愛知県より事故少ないんですかねぇ?

あった、あった!DONQがあった!
建物はもちろん新しくなっている・・・しかも店舗がどう見たってデカくなってるぞ!
40年前は普通にマンションのテナントとして入っている程度だったと思うのだが、今のは専用一戸建てで立派すぎる。やはり40年の月日の流れは決して小さくはないようだ。

今は「白川通今出川」とその交差点を呼ばせるらしい。
昔は絶対「銀閣寺道」だったと思う。
ナビは天王町まで行かせて、そこから丸太町を西進させるつもりらしいが、私は迷わず今出川通りを西に向かう。市電に乗って、あるいは歩いて、たまにはタクシーで毎日通った道である。京大の前を通って百万遍、そして鴨川を渡る。

寺町通りの市営駐車場に車を留めることができた。
数ヶ月前に家内が友人と来ていて、駐車場の場所まで覚えている。
なかなか使えるナビである。

<新島旧邸>
新島会館の周囲には、既に何人かのジジババがたむろしている。
はやり此処もジジババばかりのようだ。

旧邸見学の前に展示物を見学。
最初に出迎えてくれたのは八重さんのイラスト・キャラクタだ。
既に八重さんのお姿を写真で見ているのだが、このキャラクタを見たとたん思わず吹きだしてしまった。案外ご本人に似ているのだ。ゴメンナサイ。
新島会館ではあるが、今の主役はやはり八重さんのようだ。
手紙などを拝見するにつけ、実に美しい字を書かれていたと感心してしまう。
もちろん襄先生しかり。昔の人はそれだけで本当に素晴らしい!
当時の旧邸の写真もある。今の新島会館の場所は何も無く野菜が植わっている写真だ。この写真は何度か目にしていたが、実際にその場所に立ち当時の風景を想像してみる。これだから観光は素晴らしい。決してインターネットや書物では味わうことの出来ない体験がそこには在る。

そしていよいよ旧邸内部へ。
袋に入れた靴を持参しながら中に入る。入口はどうやら台所らしい。
一般的に見る「へっつい窯」より焚口が上にあって、しゃがみ込まなくても火の管理ができる。
流しは木製で八重さんの腰高に合わせて少し低い。
実に合理的にできているものだ。
各部屋にある家具・調度品がどれも凝った作りで見ごたえがある。和室の襖の引き手も凝っている。また鏡台の可愛らしさが時代を感じさせる。
書斎の机は実に立派なものである。書架の本は当時学生の図書館代わりに使われたというから、きっと私達の大先輩は此処に立ち寄り、貪るように本を読んでいたのだろう。そんな事を思い浮かべているだけで楽しいものだ。



<同級生を探せ!>
ようやく、今回の主目的である、同級生探しが始まる。
家族をロビーに待たせて、私は少し緊張した思いで校友会の受付窓口に向かった。
タイミング悪く、お昼時だったらしい。
しかし、別に窓口には何も但し書きが無かったので、かまわず声をかけた。
食事中だった女性職員が窓口に来てくれた。
「実は消息不明になっている同級生に連絡を取りたいと思っているんですが、以前、こちらの方にメールで確認したら、メールで教えることはできないが来て貰えれば名簿の閲覧も可能だという回答をもらったですが・・・」
「えっ?・・・・ちょっと待って下さい」
と奥の男性職員に確認を取り始めた。
出てきたのは50才台とおぼしき男性職員。ニタニタ薄笑いを浮かべながら
「そういうことはできないんですよ。個人情報ですからね~・・・・同窓会かなんかですか?」
「いいえ、あくまでも個人的な問題です」
「じゃあ、できませんね。」
「しかし、以前、こちらの職員の方にメールで確認したら、問題無いし、むしろそういうお手伝いをすることも我々の仕事ですから、と云ってくれたんですがねぇ!」
「こちらに名前を書いてくれれば、先方さんに我々から連絡を取ってみて、了解が得られればその連絡先をお教えする、という形を取ってますんで・・・・」
一枚の紙が渡された。しかもコピーを何度も繰り返して文字が潰れたような紙切れだ。
「分かりました・・・・」
と渋々自分を納得させた私は自分の名前・住所・電話番号等を記入する。
おや?大切な事を書く欄が無い。
卒業年度、学部、学課、専攻・・・等の情報を記入する場所が無いのだ。
これでは私の確認すらできないではないか?
仕方なく、欄外に私は「文・文・美芸 76卒」と勝手に記入した。
「で、探したい方のお名前は?」と訊かれるが、当然そんな事を書く欄は無いし、相手は何の指示もしない。仕方なく、私は紙を裏返ししてそこに友人の苗字を書き込んだ。
「下の名前は?」
「忘れてしまったんですよ・・・もう40年も前のことですから」
「分かりました・・・ちょっと待って下さい。調べますから」
と言い名簿を見にその場を離れた。
少し時間が経って
「おタクの卒業年度はいつでした?」
「76年です。そこに書いてあるでしょ?」
「あ~、これね?文学部・・はぁ、はぁ、美学ですか?」
書く場所が無いから、こっちとら気を利かせて言われる前に書いたんだ。
ひょっとしてそんなこと書く必要も無く、口頭で言えば良いってわけか?
なんだ、こいつら?何様のつもりだ?
結局、女子職員と二人がかりで、すったもんだの末に私の確認と先方の確認ができた。
「じゃあ、こちらから連絡を取ってみますから、了解してもらえればこちらからまた連絡します」
顛末としてはこれだけのことだ。
しかし、大きな問題点を感じたので、敢えてここで揚げておきたい。
(1)個人情報云々が障害になることは充分予想されので事前にメールでその点の確認をし、名簿閲覧の了解を得ていた。しかし、実際の対応は180度違っていた。
(2)個人情報を楯にする割に、私は身分証明書等の提示を全く求められなかった。この事は矛盾しないか?
思い起こしてみると、旧邸の所々で監視している(決して案内している風ではない)中年男子職員の態度は全くなっていない。
私が靴を履くために椅子に掛けようとしたら、そこに持ち主不明の携帯電話があったので、近くにいた男性職員の一人に手渡した。
「これ、落し物じゃないですか?」それに対し中年男子職員は
「あ~、XXXXのかもしれん」とのんびりした反応だ。
と近くにいた別の客に確認を取り始めた。
結局、誰も持ち主は判明せず、その職員は
「ほな、落し物かな?」
それで終り。何かおかしい!
普通の常識的な人間なら、まず受け取った時に、もう少し慌てないか?
大体、何を監視しているのだ?
それに、それを発見した私に対し、感謝とは言わないまでも、それなりの対応があってしかるべきではないだろうか?
少なくとも最後には「落し物のようですから、こちらで預かっておきます」程度の挨拶があってもよかろう。
私は悲しい気持ちになってしまった。
上司以外に頭を下げるという経験をしたことが無い連中なのだ。
母校とはいえ、この非常識さは何なのだろう?恥ずかしい限りである。

しかし、収穫が無かったわけでもない。
すったもんだの渦中、友人のフルネームを知ることができたのだ。
同志社校友会の職員からは進展を望むことはできないが、フルネームさえ分かれば、一歩前進できるかもしれない。

気を取り直して、次のイベント「御所見学」に行こう!

<京都御所>
寺町御門から御所に入った。京都御苑の塀沿いを歩いていく。
ここも砂利が敷き詰められている。
それは良いとして、そこを警察の車が往復しているのだ。砂埃を巻き上げながら・・・
何の為に車を走らせているのか良く分からないが、どうせ走るなら、水を撒きながら走れよ!
懐かしい「猿が辻」は、遥か彼方だ。
昨日よりは多少涼しいとは言え、直射日光は厳しい。
蛤御門あたりからは砂利道を避け、大きくなった林の中を歩く。
林の中は別天地であるかのように涼しい。しかも足元は土の上に枯れた松葉が積み重なり、まるでクッションの上を歩くように足に優しいのだ。
気持ち良く歩き、内裏の清所門前まで来て時間まで待つ。
御所の予約時間は13時半となっている。
修学旅行生らしい男子高校生が清所門前に徐々に集まってくる。
何だよ・・・修学旅行生徒一緒かよ~参ったなぁ。
どうせ、こいつら喋ってばかりで、ろくにガイドの言うことも聞かないんだろうなぁ・・・うっとうしいなぁと思いながら、我々は一足先に入場した。

ここでも、昨日の修学院離宮と同じく、出発前にビデオを見せられる。宮内庁管轄なので、同じシステムと思われる。
来た来た~例の男子高校生の団体がさあ!
ビデオが終わると、ジジババ連は先を競って外にでた。
皆同じ気持ちなのだろう、修学旅行生がガイドさんに近い所を占領されたら、説明が聴こえなくなるって。我々も同じ行動を起こし、足早に外に飛び出し、ガイドさんに近寄った。
今度のガイドさんはメガネをかけた愛想良いおネエちゃんだ。
全員が集まるまで待っているのだが、高校生団体がなかなか集まらない。
おネエちゃんが、時間を気にしながらも、しきりと最後尾を気にしている様子だったので、私は間髪置かず「もう、良いんじゃないですか?」と言ってやった。ちょっと意地悪爺?
おネエちゃんは僕の助言どおり説明を始めた。それで良いのだ。

場所を買え、少しずつ説明を聞いていたが、案外高校生は静かだ。見れば、ワルっぽいヤツも居なさそうだ。家内の話だと早稲田の付属高校らしい。なかなか躾が行き届いており、よろしい!
紫宸殿での説明で興味を引いたのが、高御座(たかみくら)と呼ばれる玉座が承明門よりも大きいということ。また、昭和天皇まで即位式はこの京都御所の高御座が使われたこと。今上天皇(平成天皇)の即位式ではこの高御座を一度バラし、ヘリコプターで東京まで運び、東京で組み立てられ、そして即位式に使われたこと。はるか遠く、承明門越しに見ることしかできないので、その全貌は全く分からないが、伝統を守る皇室の姿勢がしのばれる。
奥にある御常御殿は文字通り天皇が寝起きしていた御殿だが、明治天皇までが実際にお使いになっていたらしく、カーテンレールがあったり、時折電気コンセントまでが見られ、生活者としての天皇を思い起こさせる風景であった。
昨日の修学院離宮と言い、今日の京都御所と言い、非常に簡素な印象を受けた。すこぶる上品ではあるが、決して華美ではないのだ。
このような皇室の考え方・伝統は今に生きていると思うし、日本人の感覚の基礎になっているのかもしれない。
私は大学入学直後の「5月の一般公開」以来の41年ぶりの御所見学だったが、やはり来てよかった。

<松屋常盤>
帰り道は寺町御門までを林の中を可能な限り直線コースを選んで、車ま
で戻った。
さあ、まだ企画はあるぞ!
次はナビをセットして味噌松風の「松屋常盤」を目指す。
御所からは目と鼻の先。
妻が思っていた店だったようだ。
車を店先に停車させ、妻と娘で味噌松風を買って来た。
日持ちはしないようである。















<東福寺>
次は最後の見学地「東福寺」。
あるサイトを見たときに「京都の名所ベスト50」という企画があって、上から順に見てみると、当然行ったことのある場所が多い。その中でベスト20の中で言ったことのない場所があったのだ。それが東福寺。説明を見たら、境内に木造の橋がある。そう言えば見たことあるぞ!
やはりその橋が印象的で、時代劇の撮影に良く使われるとか。
私が覚えていたのは、中越典子さん主演の単発スペシャルドラマ「初秋」だった。
役所広司が共演した年齢差のある恋愛物語がテーマだったと思うが、なかなか印象深く、その印象にこの東福寺も大きく貢献していた。
「松屋常盤」から二条に出てそれを東進。東大路を南下したまでは良かったが、九条辺りから妙に狭い道を行かされる。徐々に不安になるい気持ちを抱えながらもナビの仰せのとおり進むと、突然東福寺の駐車場前に到着。ふ~!きっと一方通行とかの事情で、ナビ君もやむを得ずこんなルートを選ばざるを得なかったのだろう。
駐車場代もかからないみたい。なんとラッキーな。
いや、これはきっと儲けている証拠だ・・・。
車を降りて暫し歩くと、前方に見覚えのある景色が・・・・オーッ!あの橋だ!
「臥雲橋」という名前がついている。

そこから本堂の方向を見上げれば、通天橋が・・・なんと美しい。
その二つの橋の間には無数のかえでの葉が雲のように横たう。
こりゃ、秋はたまりませんね!無論ワンサカ人が訪れるに違いありません。
こんなお寺、全くノーチェックだったという私は、あまりに世間知らずでしょうか?

今度は拝観料を払って、上の通天橋から臥雲橋を見下ろします。
もちろん、これも表現できないくらい美しい景観。
残念ながら、4時半にはもう閉まってしまうので、他の建物の中は見学できなかった。
今度また、と家族でリベンジを誓って、車に戻ったのありました。
大きな拾い物をしたようで、得した気分だ。




<ちりめん山椒やよい>
京都での最後のイベント「ちりめん山椒を買う」である。
これも妻が以前購入したお店のが美味しいから、という事だけを頼りに、八坂神社周辺に向かいます。以前家族旅行で泊まった旅館の近くにあった、ということで、その辺りを目指す。
付近で車を止め、妻は店を探しに外へ。
やがて、合図があり、歩行者に気をつけながら向かう。
それは、八坂神社の南にありました。「やよい」だ。
愛想の良いおネエちゃんが、店の前にドーンと車を止めて良い、というので、遠慮なく店の前に車の留め店内に・・・ツーんと山椒の香りが鼻を刺激する。
色々な商品がありましたが、全て試食できる。
定番の「ちりめん山椒」はもちろんだが、妻は椎茸の佃煮がお気に入りの様子。
私と娘は、山椒の佃煮の一つで、実山椒の佃煮「鞍馬山椒」が大のお気に入りに。
ピリリと舌に残る味がたまりませんなあ。
結局、ちりめん山椒を二箱、椎茸を一箱、鞍馬山椒を一包み購入。
会社のお土産用にも買いました。
包んでもらってる間、お茶を頂き、京都の最後の時間を楽しんだのであります。

さあ、あとは一路帰宅。

帰りの運転はひどく疲れた。
途中で眠くもなり、いっそ実山椒を食べながらなら眠くもならないかも、などと考えながら、ひたすら家路を急いだ。

21時20分に帰宅。明日の仕事を考えれば良い時間だ。

今日の歩数は9066歩。

ちなみに、車の走行距離は395.6Km。旅行での平均燃費は29.7Km/L。
高速道路のウェイトが多いとは言え、AQUAの燃費、恐るべしである。
つまり、京都旅行一式で消費したガソリンは13.31Lということだ。
満足、満足!











2013年6月5日水曜日

修学院にて

8時20分、予定を20分遅れての出発。
京都への三人揃っての家族旅行は9年ぶり位にはなるだろうか。
とりたてて急ぐ旅でもなし、トイレに行くだの、仕事の電話が入っただの、お腹が空いただのと、その都度休憩である。
おまけにパーキングエリアでは珍しくもない物を、買うでもなくコメントしながら見て廻るのを我が家の女性陣は喜びとしているので、こちらとしても無駄な抵抗はしないのだ。

結果として、京都東インターを出たのは正午を過ぎ、最初の目的地である詩仙堂前の駐車場に車を止めたのが13時となった。
この時点で、京都ラーメン街で美味そうな店を探してラーメンを食べるという計画は、呆気なく頓挫したのである。

急ぐ旅ではないとは言うものの、15時には修学院離宮見学の予約を入れてある。それには間に合わせなければならない。
ようやく皆の気持ちに時間の意識が芽生えて来たらしぃ。
頑張って歩くぞ!
しかし、今日の京はとにかく暑い!
最近よく耳にする『梅雨のズル休み』というヤツらしい。
「ズル休み」って言う割には、愛想も無く強烈過ぎない?

<金福寺>
先ずは『金福寺』。松尾芭蕉ゆかりの庵を後の与謝蕪村が復興したらしい。
暑い中、人が少ない事だけが救いだ。
訪問客は、数組のみ。

鄙びた山庵に、のどかな空気が流れて行く。
やはり、この辺りの寺の繁忙期は秋らしく、見ればなるほど新緑のかえでが鮮やかである。
庵の少し上まで登ると、京都市内の北半分くらいは一望できる。

<詩仙堂>
さて、続いて詩仙堂。
名前はよく聞いていたが訪れるのは実は初めて。
門をくぐり抜けると、竹林が我々を出迎えてくれる。




建物の中に入ると、嘘のように涼しい。
ホッ・・・

暗い建物内部から美しい庭園を眺めれば、暫し暑さを忘れる。
詩仙堂は、非常に細かな白砂に囲まれており、庭園もそれを強調した配置だ。砂の白、新緑、皐月の花の濃いピンクが強烈な日差しに映えている。スリッパを借りて庭を散策してみると、所々にあやめなのか菖蒲なのかよくは判らないのだが、それ系の花が咲いている。
少し休憩をさせてもらった気持ちだ。

本当はもう一つ、曼殊院にだけは行きたかったのだが、そろそろ時間切れ。
次の機会としよう。

私は狭い路地をノロノロと修学院離宮を目指して車を進めるのだが、地元の車は結構ビュンビュン飛ばしている。怖いことこの上ない。
更には、京都では自転車が多い事も目をみはるのだが、実はこの自転車、車に負けていないのだ。前後に子供を乗せ涼しい顔をして車の隙間を走り抜ける。子供に怪我をさせてはいけないと、私は殆ど車を止めてしまう。
これでは絶対に事故を起こすなぁ~、と思うのだが、その実、愛知県が毎年交通事故死ワースト1付近をウロチョロしているところからすると、これは私の杞憂に過ぎないのだろうか?
京都のママチャリ、怖~い!

さて、狭い路地を抜け、修学院離宮の手前にある駐車場に落ち着く。
私も大学入学から1年近く修学院道付近に住んでいたことがあるので、来る道々の周囲を観察していたのだが、全く面影は無い。多分、街の様子が変わった事と、40数年前の記憶が遥か彼方に追いやられている事がそうさせているに違いない。
当時は田圃が広がった田園風景の中、川沿いを中心に住宅が立ち並ぶ、という程度の土地だったように思う。後から聞く「修学院村」という名前に相応しかったような気がする。

<修学院離宮>
修学院離宮の入り口まで歩いて行くと、15人程のジジババが所在無さげにたむろしている。訊いてみれば、皆さん15時に予約を入れた、我らのお仲間らしい。
う~ん・・・・ウチは結構若手かな?娘も居るし・・・
予約時間の20分程前になると「立入禁止」と書かれた柵が取り除かれた。
それぞれ予約票を見せて中へ。
受付では代表者の身分証明書の提示が求められ、人数を確認する。
なかなか厳重なチェックではないか。
受付を済ませると待機場所となっている建物に入り、開始10分前になると修学院離宮の概要を説明するビデオが流れる。
さて、定刻になると外に出され、ガイドのお兄ちゃんについて、25人程度のジジババ(我が娘を除いて)が歩いて回るツアーの始まり!始まり!
自己紹介に始まったガイドのお兄ちゃん、どう見ても「昭和」な子だ。
髪はストレートで、70年代のフォーク歌手のようだし(そうそう、デビュー当時のさだまさし風)、狭い肩幅からずり落ちそうな地模様の入ったドレスシャツ、グレーのスラックス、ほとんど無い腰にベルトを巻いて落ちそうなズボンをやっとの思いで留めているとった風である。
昭和くん
しかも目鼻立ちが、いわゆるお公家さん風なので、娘は思わず「この人貴族?」
歩きだして見てみると、昭和くん、摺り足なのだ。やっぱ貴族か?
あの~・・・・埃っぽいんですけど・・・・
修学院離宮は砂利が敷きつめてあり、そこに摺り足で容赦なく歩くものだから、後に続く我々は砂塵にまみれての行軍とならざるを得ない。
しかし、昭和くん、知識はハンバ無し、声も良く通る!
執拗な爺さん連中の質問にも臆することなくテキパキと答えていたのには驚く。
ガイドとしてはプロかな?

内部はさすがに宮内庁予算の賜物か、非常に管理が行き届いている。

昭和くんの説明は聴きたいのだか、スマホで撮る、デジカメも撮る、と大忙しの私は、後でパンフレット見ようと諦め最後尾に近い所を付いて行く。
私より後ろに人の気配が・・・・・胡乱な雰囲気を出している。
良く見てみると、胸に「POLICE」のバッジだ。
お~、胡乱なのは私でございました。
A POLICE MAN
昭和くんが鍵で或る区画の入口を開け我々を誘う。グループ全員がその区画に入りきったことを判断して、この胡乱な人物(いや、POLICE)が入口を閉めて封鎖してしまう。
その区画が終わると、ガイドが出口を開け、全員の退出を見計らってPOLICEが出口を閉じる。
このようにしてツアーが進められて行く。
私は、ディズニーランドのアトラクションと、昨年行ったミラノに「最後の晩餐」を思い出していた。
最後の場所では、写真を撮ることに夢中になっていた私はPOLICEに「皆さん、待ってるんで・・・」と、追い出しを食らってしまった。
「あ~、済みません!」と爺さんダッシュ!
それぞれの場所で人数もチェックしている。妙な場所に潜り込んだりしない為の最低限のセキュリティと見た。

楽しい1時間半のツアーだった。のどかな田園風景、整備された庭園、簡素であるが上品な建物・調度品・・・

でもさ、昭和くん!あの摺り足は止めた方が良いと思うよ。
爺さんは愛を以って彼にアドバイスしたい・・・彼の革靴も砂埃で真っ白なのだから。

さて、これでほぼ一日の予定は消化。
これから一旦ホテルにチェックインして食事に出掛ける予定だ。

16時半、「エクシブ京都離宮」を目指す。
途中、「三宅八幡」を通り過ぎる。この辺りも学生時代に友人が住んでいて、一度は訪れた事があるので、例によってキョロキョロ。
しかし、ぜ~んぜん面影無い!
だってあの頃、文字通り、この辺は何も無かったもんねえ!!
それが鉄筋コンクリートの建物が建っているではないか?
少なくとも道路沿いには住宅がみっちりだ。
40年なんて、過ぎてしまえばあっという間の人生の、片道に過ぎない想いだったのだが、やはり実際には街の風景を一変させるに充分な時が流れた、ということだ。

エクシブは、予想通り可も無く不可も無くという綺麗な建物。
チェックインして546号室へ。
既に足は疲れているが、ここでほっこりしてしまうと、食事に出掛けるのが億劫になるに決まっているでの、私は靴も脱がずに暫し休息し、17時半前に出発。

ホテルに来る前に場所は確認してあったので、迷わず「アルザス]へ。
近くのコインパーキングに車を留めた。丁度18時だ。
案外、京都にも駐車場はあるものだ。
少なくとも名所旧跡の周辺にはあるものらしい。今日はおかげで助かっている。
とは行っても、異様に細い道が多いので、「車庫入れ」には苦労する。
見てみると、駐車場のポールであるとか、柵には沢山の擦り傷があるのは、その難しさを物語っているようだ。小さい車にしておいて良かったなあ!

<アルザス(Alsace)>
さて、アルザスの店内は思った以上に狭い!
間口は270Cm程度か?
入り口全面開放!
入って左側の壁に向かい合わせの二人用デーブルが三組縦に並ぶ。
右側には4人掛けテーブルが二組。これが全て。
奥はキッチンになっていて、そこから愛想の良いマスターが迎えてくれる。
どうやら私達は今日最初の客だったようだ。
食いっぱぐれは怖いので予約してきたが、平日早い時間ならば飛び込みもOKらしい。
フレンチではあるが、レストランというよりビストロだ。全てはアラカルト・メニューで、ワインを飲みながら食事を進めるのが良さそう。私は無粋にもノン・アルコール・ビールが有るかどうか確認したが、さすがにNONとのこと。そうですよねぇ・・・・お水で良いで~す。
最初に頼んだのは、ココヤシのサラダ、ニンジンのサラダ、エスカルゴ、イワシの香草焼き。
最初にパンが運ばれる。それをかじりながらメニューを見て待つ。

ココヤシのサラダなんて初めてだ。評判が良いから頼んだのだが、これが期待以上。
例えて言えば、タケノコが成長する前の竹の新芽であるように、これは成長前のココヤシの幹とのこと。これにバルサミコ酢ベースのドレッシングがかけてある、と思えば良い。
これが実に美味しいのだ。しかもきちんとフレンチの味になっている。

ニンジンのサラダも同様なバルサミコ酢っぽいドレッシングで美味しい。
お皿いっぱいふんわり盛ったニンジンが見る見る減っていく。

勿論、エスカルゴは何をか言わんや。
少々小ぶりなカタツムリが6個だが、味付けはしっかりしている。
これが900円というから余りに安い!
当然だが、このエスカルゴのソースがまたイケるのだ。
たこ焼きキットのような鉄板に、少し細くしたパンを押しつけソースを染み込ませる。

イワシの香草焼きも、心配していた程の塩分は無く、オイルに付けられた味は案外上品である。

さて、そろそろ、他のお客も入って来た。
仕事帰りに買い物してきました風のオバちゃんが、「あとで娘と来るから」といって席の予約をして、「エスカルゴだけ取り敢えず頼んどきます」と言って出て行った。常連さんでもないみたい。
他に若いカップルが二組。一組は予約客らしい。
しかし、一人で店を切り盛りしている割に、段取りが良く、それほど待つ、という感じも無い。

一皿あたりのボリュームが判らないので、少しずつ注文していたが、追加の注文した「牛肉のホワイトソース煮」がいよいよ来た。
う~ん、これも美味しい!!
大きくカットされたお肉には下味がしっかりと付いている・・・・なんだろうな?
横にはライス。ドリア風に、しっかりと「しん」がある。
カリフォルニア米かな?とも思ったが、形状をみるとジャポニカ米のようだ。
その肉とライスの上にしっかり、多すぎもせずトロんとしたホワイトソースがかかっているのだ。
もう、大満足!!

あちらのテーブルでは母娘のエスカルゴが終わったらしく、マスタがタコ焼きセットを引き上げようとしたら、さすが母!
すかさずマスターの手を軽く遮って、笑顔で「これは・・・・」
誰も同じことを考える。
母娘で鉄板にパンを擦りつけていた。

さあ、ここらで大冒険!
「豚の血ソーセージ」なるものを頼んでみた。
ドイツの紹介番組などで、作るシーンは見た事がある。細かな肉片と血を集めて作るソーセージ。
まず色が凄い!どす黒いと言えば良いのか・・・・
家内は早々に退却宣言。
味も個性的である。決して血の臭い、血の味がするという訳でもないが、やはり味わったことの無い初めての味である。慣れればクセになるかも?

もう、この辺でお腹はイッパイである。
最後のシメは「コーヒー・アイス」なり!
コーヒー味のアイスではなく、アイスクリームにエスプレッソがかかっていると思えば良いのか。
一個600円でボリューム満点。
これが3個運ばれて来た時には、他のお客さんの視線はウチに集まっていた。歓声を上げている人も居る。訳の分んない優越感?
これが、絶品でした!
ひと匙ごとにエスプレッソのビターな味の絡み方が違い、それがアイスクリームの味の違いを生み出している。
3人とも、感動しながら一気に完食!

さあ、これでお会計は・・・・7,500円!
え?ウソッ?マジ?
なに?この安さは?
その後の家族の会話・・・・「こんなお店が近くにあったら、少なくとも毎月食べに来るのに」

お料理の味とボリューム、マスタの好印象に大満足の末、3人は大きなお腹を抱えてホテルに戻ったのであります。

<エクシブ離宮京都>
まだ9時だ。
さあ、お風呂だお風呂。
エレベータを乗換え、グランドフロアーの大風呂へ。
エクシブの特徴として、アップダウンの多い土地に建てるものだから、階数が分り難い。
この京都離宮も1階だと思っていたロビーは3階で、地下だと思っていた駐車場は1階。お風呂は更にその下グランドフロアーというわけだ。
帰りに同じエレベータに乗り合わせたオバちゃん連中も「上だ」「下だ」と大騒ぎ。
降りる時に私に「ホント、エクシブって分り難いですよねえ?」と。
「ですよね?」と穏便なお答えを・・・・見りゃ分るだろ!とは決して言わないのです。

部屋に戻ってみると、家内が「お部屋変わるから」と涼しい顔で言う。
聞いてみるとどうやらこの部屋には蚊が居て刺されららしい。娘も同様。
言われてみれば私も足首が・・・・
私が風呂に入っている間に、フロントに電話をしたらしく、電子蚊取機を持って来てくれたのだが、それでは収まらず、部屋を変えて貰うことにしたらしい。
リラックスした格好してるのに、また荷物をまとめて移動ですか?
ま、決まった事は従いましょう。
今度は同じフロアの522号室。
荷物持って短パンで移動です。
「ホテルの清掃が悪いのか?蚊君が悪いのか?交渉した家内が偉いのか?」と呟きながら歩いて行ったのであります。
おっ?今度の部屋はちょっと様子がおかしい。
電気をつけてみると、なんと今度の部屋は広いのです。
さらに、ソファーなどの調度品も無駄に豪華です。
いや~、何だか得しちゃったなぁ!
「蚊君、ありがとう!」と娘と私は、掌を反したように感謝したのは言うまでもありません。


これで、足首が布団からはみ出しても、痒くなることなく眠られます。

今日の歩数は7,330歩。歩いたなぁ!