当初考えていた「トスカーナへの小旅行」は諦めることにした。とにかく連日の町巡りで体力は限界に達し、古そうな協会でもあろうものなら、スッと惹きずりこまれてしまう。これでは、予定はこなせない。小旅行は諦めて、とにかくマイペースで納得の行くフィレンツェにしたい。
いつも通る道をWestin Excelsiorまで行くと、その手前にOrnissanti教会がある。
良く通る場所なので我々は「大西さんち」と覚えてしまった。今日は入場できる時間帯だ。
アメリゴ・ヴェスプッチの家計に繋がるらしい。左側の修道院への入り口を入って行くと、署名と国籍だけを書かされ食堂に入れてもらう。
ギルライダンオのフレスコ画「最後の晩餐」がある。これは、後にダヴィンチの最後の晩餐に影響を与えたと言われる名画である。他にもフレスコ画が素晴らしい。
もちろん礼拝堂も素晴らしい! |
今日は偶然にも長年の憧れだったバッグをようやく見つけた。
以前見かけた、濃い茶色にブルーの縁取りがある個性的なバッグ。
PIQUADROというブランド名であろことも初めて知った。
シリョーリア広場の近くだ。
喜び勇んで店に入り肩にかけてみる。う〜ん、大きい。形と色は大のお気に入りだが、如何せん大き過ぎてはみっともない。
ワンサイズ小さいバッグはデザインが変わってしまう。
残念だが、諦めることにした。
しかしバッグを買おうという気持ちに火がついてしまった。
新市場のロッジアには露天が集まっている。
先日来、通るたびに見てはいるが、ロクなデザインがない。
20数年前と同じようなバッグも並ぶ。触ってみても手触りが良くない。
諦め掛けていたところに、若い子がやっているお店が目に入った。他とはちょっと違うデザインだ。店のお兄ちゃんをモデルに観察。なかなか良いかな?
よしこれに決めた。20ユーロ程度をディスカウントさせ、ようやくお買物成立。妻も革のペンケース、小物入れを購入した。
三色旗を掲げて歩く巡礼団? |
今日の一番の目的はサンタクローチェ教会である。
いつものようにシニョーリオ広場を横切って東に進むと古そうな教会が目に入った。サン・フィレンツェ教会とういうベタな名前であり、ガイドブックにも全く案内も無い、が落ち着ける良い教会であることは間違いない。外の雑踏がうそのようである。
サン・フィレンツェ教会 |
そこを出てさらに東進。
サンタクローチェの周りにも皮革店、工房が多い。
私に刺激を受けたのか、妻も買う気充分である。その周辺では比較的大規模な店舗に入って行く。さすがに品揃えが豊富だ。
妻は入った時目に飛び込んできた赤いバッグから離れられない。色んな商品を試すものの、やはり赤いバッグに戻ってしまう。いつものことながら、熟慮に熟慮を重ねた結果、それを手に入れた。
サンタクローチェ広場にも数店の露天がある。以前から目につけていた、露天のバッグがあったのだが、55ユーロからまけないという。
こちらも既にひとつ手に入れているので、強気で突っぱねた。
45にしてくれれば、買ってやったのに…
ようやくサンタクローチェ教会。正面のファサードも美しい。
サンタクローチェ |
今日はちゃんとオープンしていた。チケットもスムースに買えて中に入る。
ノベッラもそうだが、こういう教会にはうるさい団体客は決して来ない。
皆静かに、フレスコ画に見入り祈りを捧げ、そして静かにシャッターを切る。
そう、フラッシュは厳禁だが写真そのもは咎められることはない。
この教会もフレスコ画が素晴らしい。
トイレに先に行った都合で修道院から観ることになってしまった。
何と言ってもチマブーエの「十字架像」が痛々しい。
1966年、アルノ川は氾濫しここサンタクローチェ地区は特に大きな犠牲を被ったのだ。
5メートル以上の冠水だったという。その時、協会はもちろん泥まみれになり、特にこのチマブーエの十字架像の傷みが酷かったようだ。普段は功利的と言われるフィレンツェ市民も、この時ばかりは身を惜しんで教会の修復に臨んだとのこと。剥がれ落ちた絵の具の断片を拾い集めたという。
が、それでも傷みは激しい。まるで、人間の罪を一身に負ったイエスの姿そのもののようである。
ジョットによる「聖フランチェスコの死」も損傷が激しい。
それでも素晴らしいフレスコ画は数多く残っている。
私がここでもう一つ観たかったものが、ドナテッロの「十字架像」だ。
ロープが張られ近くに行って観ることができなかったのは残念だったが、カメラの望遠レンズを通して観れば、ブルネッレスキが言ったことが頷けた。
二人は友人同士で、ドナテッロが自慢気に見せた十字架像を見たブルネッレスキが、酷評して「君が彫ったイエスはまるで、そこらの農夫のようじゃないか!」と言った。
怒ったドナテッロは「じゃあ、君が作ればどうなると言うのだ!」と切り返した。
そうして製作されたのが、サンタマリア・ノベラのブルノッレスキの十字架像なのだ。たしかに、ドナテッロのイエスは頭の薄くなった、オッサンに見える。
しかし、それもリアリズムという点から言えば秀作だと思う。
実はこの教会は有名人のお墓があることでも知られている。ロッシーニ、ガリレオ、ミケランジェロ、マキャベリだ。
天体望遠鏡を持つガリレオ |
ダンテの記念碑だけがあるといのも、もの寂しい。彼は政治的に身に覚えのない横領の罪でフィレンツェを追われ二度と故郷フィレンツェに戻ることはなかったという。恐らく、フィレンツェ市民は偉大なるイタリア文学の祖を追放してしまったことへの贖罪の気持ちから、この記念碑を作ったのではないだろうか。
ダンテの記念碑 |
修道院との間にある中庭も広々とし、青い空とのコントラストがとても素晴らしい。
お天気に恵まれて良かった!
この教会でも、実に良い時間を過ごすことができた。
それに引き替え、その後に行ったメディチ家ゆかりのサンロレンツォ教会はつまらなかった。
教会の様式も比較的あたらしく、フレスコ画大好き人間からすると、妙にリアリティがある画も心を打たない。
唯一印象深かったのは、係員にトイレの場所を訊いて行く途中、祖国の父と言われるコジモの棺の横を通って行った事だ。
普通、有料で入る教会にはトイレがあり案内表示もされているのだが、実はここはトイレの表示もなく、尋ねられれば教えるというスタンス。
これもメディチ家のプライドか?
まあ、目玉といえばドナテッロの「説教檀」くらいのものだった。
私達はルネサンスと言えば、ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロを直ぐに思い浮かべる。
確かに3人とも天才だし、正しい事に違いないのだが、実は彼らの前には幾人もの先人達がいて、その先人たちの影響を強く受け、 たまたま彼らの時代に花が咲いたに過ぎないのではないだろうか?という気がする。
その先人達、あるいは同時代に影響を与えあった芸術家達を私達はもう少し知るべきなのではないだろうか?
外に出ると、そこから中央市場に向かう道の両側は露天がびっしり。商店の営業妨害にならないかと心配したが、何の事はない、両脇の店舗がその前に出店を出しているに過ぎなかっただけだ。しかし、ここにもバッグとの出会いは無かった。
そこからは駅を通りながらホテルに帰る。
途中、先日忘れていたノベッラの薬局も探してみる。
入口は狭いが中に入ると豪華な雰囲気。
80%は日本人女性客だ。こういう場所で日本女性は案外健闘している。
どこに行っても中国人団体客のパワーに押されがちだっただけに、少し嬉しくなる。
が、何の香りもしない石鹸一つが10ユーロと聞いて、正直アホらしくなる。
近くに居た女性も「一度お土産で頂いたので・・・・」という程度。
若い女性陣もその馬鹿らしさに店をあとにする人も多い。
私達は?と言えば、勿論、そそくさとホテルへの家路を急いだのだった。
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