家族は起きていたが、昨日の運転疲れを気遣ってか、起こさずにいてくれたようだ。
のんびり部屋で支度をして、部屋を出たのは10時半になっていた。
昨日は「9時半に出て、新島旧邸には10時に着きたい」と言っていたのは全く嘘になってしまった。
一応、新島旧邸の予約は10時から13時までの間となっているので、差し障りはない。
ナビで新島旧邸を検索したが、全くヒットしない。
ナビが悪いのか、はたまた新島旧邸がナビの情報として公開していないのか?
っとに、役に立たないヤツだ!とイラッ!
しかし、場所は分かっているので、手探りでセットし、スタートだ。
ナビによれば出町まで行き、そのまま河原町を行かせる。
<北白川DONQ>
河原町通り?と思ったが、ナビの誘導を無視して、私は白川通を南下して銀閣寺道まで出るルートを走ることにした。
何せ、白川通は学生時代に良く歩いた懐かしい道だったからだ。
特に北大路から南の白河通は良く歩いたものだ。
そして、途中にあるDONQでバゲットを買って銀閣寺のアパートに帰ると、プチ贅沢な気持ちになったものである。
あのDONQはまだあるだろうか?危ないと分かっていても、ついついキョロキョロしてしまう。
京都は歩行者も強い!走っていると、道路の中央分離帯に何人も立って、隙あらば渡ろうとしているではないか!
どうなってんだぁ?ビュンビュンの車に、ママチャリがスイスイ、歩行者ウロウロ。
これでホントに愛知県より事故少ないんですかねぇ?
あった、あった!DONQがあった!
建物はもちろん新しくなっている・・・しかも店舗がどう見たってデカくなってるぞ!
40年前は普通にマンションのテナントとして入っている程度だったと思うのだが、今のは専用一戸建てで立派すぎる。やはり40年の月日の流れは決して小さくはないようだ。
今は「白川通今出川」とその交差点を呼ばせるらしい。
昔は絶対「銀閣寺道」だったと思う。
ナビは天王町まで行かせて、そこから丸太町を西進させるつもりらしいが、私は迷わず今出川通りを西に向かう。市電に乗って、あるいは歩いて、たまにはタクシーで毎日通った道である。京大の前を通って百万遍、そして鴨川を渡る。
寺町通りの市営駐車場に車を留めることができた。
数ヶ月前に家内が友人と来ていて、駐車場の場所まで覚えている。
なかなか使えるナビである。
<新島旧邸>
新島会館の周囲には、既に何人かのジジババがたむろしている。
はやり此処もジジババばかりのようだ。
旧邸見学の前に展示物を見学。
最初に出迎えてくれたのは八重さんのイラスト・キャラクタだ。
既に八重さんのお姿を写真で見ているのだが、このキャラクタを見たとたん思わず吹きだしてしまった。案外ご本人に似ているのだ。ゴメンナサイ。
新島会館ではあるが、今の主役はやはり八重さんのようだ。
手紙などを拝見するにつけ、実に美しい字を書かれていたと感心してしまう。
もちろん襄先生しかり。昔の人はそれだけで本当に素晴らしい!
当時の旧邸の写真もある。今の新島会館の場所は何も無く野菜が植わっている写真だ。この写真は何度か目にしていたが、実際にその場所に立ち当時の風景を想像してみる。これだから観光は素晴らしい。決してインターネットや書物では味わうことの出来ない体験がそこには在る。
そしていよいよ旧邸内部へ。
袋に入れた靴を持参しながら中に入る。入口はどうやら台所らしい。
一般的に見る「へっつい窯」より焚口が上にあって、しゃがみ込まなくても火の管理ができる。
流しは木製で八重さんの腰高に合わせて少し低い。
実に合理的にできているものだ。
各部屋にある家具・調度品がどれも凝った作りで見ごたえがある。和室の襖の引き手も凝っている。また鏡台の可愛らしさが時代を感じさせる。
書斎の机は実に立派なものである。書架の本は当時学生の図書館代わりに使われたというから、きっと私達の大先輩は此処に立ち寄り、貪るように本を読んでいたのだろう。そんな事を思い浮かべているだけで楽しいものだ。
<同級生を探せ!>
ようやく、今回の主目的である、同級生探しが始まる。
家族をロビーに待たせて、私は少し緊張した思いで校友会の受付窓口に向かった。
タイミング悪く、お昼時だったらしい。
しかし、別に窓口には何も但し書きが無かったので、かまわず声をかけた。
食事中だった女性職員が窓口に来てくれた。
「実は消息不明になっている同級生に連絡を取りたいと思っているんですが、以前、こちらの方にメールで確認したら、メールで教えることはできないが来て貰えれば名簿の閲覧も可能だという回答をもらったですが・・・」
「えっ?・・・・ちょっと待って下さい」
と奥の男性職員に確認を取り始めた。
出てきたのは50才台とおぼしき男性職員。ニタニタ薄笑いを浮かべながら
「そういうことはできないんですよ。個人情報ですからね~・・・・同窓会かなんかですか?」
「いいえ、あくまでも個人的な問題です」
「じゃあ、できませんね。」
「しかし、以前、こちらの職員の方にメールで確認したら、問題無いし、むしろそういうお手伝いをすることも我々の仕事ですから、と云ってくれたんですがねぇ!」
「こちらに名前を書いてくれれば、先方さんに我々から連絡を取ってみて、了解が得られればその連絡先をお教えする、という形を取ってますんで・・・・」
一枚の紙が渡された。しかもコピーを何度も繰り返して文字が潰れたような紙切れだ。
「分かりました・・・・」
と渋々自分を納得させた私は自分の名前・住所・電話番号等を記入する。
おや?大切な事を書く欄が無い。
卒業年度、学部、学課、専攻・・・等の情報を記入する場所が無いのだ。
これでは私の確認すらできないではないか?
仕方なく、欄外に私は「文・文・美芸 76卒」と勝手に記入した。
「で、探したい方のお名前は?」と訊かれるが、当然そんな事を書く欄は無いし、相手は何の指示もしない。仕方なく、私は紙を裏返ししてそこに友人の苗字を書き込んだ。
「下の名前は?」
「忘れてしまったんですよ・・・もう40年も前のことですから」
「分かりました・・・ちょっと待って下さい。調べますから」
と言い名簿を見にその場を離れた。
少し時間が経って
「おタクの卒業年度はいつでした?」
「76年です。そこに書いてあるでしょ?」
「あ~、これね?文学部・・はぁ、はぁ、美学ですか?」
書く場所が無いから、こっちとら気を利かせて言われる前に書いたんだ。
ひょっとしてそんなこと書く必要も無く、口頭で言えば良いってわけか?
なんだ、こいつら?何様のつもりだ?
結局、女子職員と二人がかりで、すったもんだの末に私の確認と先方の確認ができた。
「じゃあ、こちらから連絡を取ってみますから、了解してもらえればこちらからまた連絡します」
顛末としてはこれだけのことだ。
しかし、大きな問題点を感じたので、敢えてここで揚げておきたい。
(1)個人情報云々が障害になることは充分予想されので事前にメールでその点の確認をし、名簿閲覧の了解を得ていた。しかし、実際の対応は180度違っていた。
(2)個人情報を楯にする割に、私は身分証明書等の提示を全く求められなかった。この事は矛盾しないか?
思い起こしてみると、旧邸の所々で監視している(決して案内している風ではない)中年男子職員の態度は全くなっていない。
私が靴を履くために椅子に掛けようとしたら、そこに持ち主不明の携帯電話があったので、近くにいた男性職員の一人に手渡した。
「これ、落し物じゃないですか?」それに対し中年男子職員は
「あ~、XXXXのかもしれん」とのんびりした反応だ。
と近くにいた別の客に確認を取り始めた。
結局、誰も持ち主は判明せず、その職員は
「ほな、落し物かな?」
それで終り。何かおかしい!
普通の常識的な人間なら、まず受け取った時に、もう少し慌てないか?
大体、何を監視しているのだ?
それに、それを発見した私に対し、感謝とは言わないまでも、それなりの対応があってしかるべきではないだろうか?
少なくとも最後には「落し物のようですから、こちらで預かっておきます」程度の挨拶があってもよかろう。
私は悲しい気持ちになってしまった。
上司以外に頭を下げるという経験をしたことが無い連中なのだ。
母校とはいえ、この非常識さは何なのだろう?恥ずかしい限りである。
すったもんだの渦中、友人のフルネームを知ることができたのだ。
同志社校友会の職員からは進展を望むことはできないが、フルネームさえ分かれば、一歩前進できるかもしれない。
気を取り直して、次のイベント「御所見学」に行こう!
<京都御所>
寺町御門から御所に入った。京都御苑の塀沿いを歩いていく。
ここも砂利が敷き詰められている。
それは良いとして、そこを警察の車が往復しているのだ。砂埃を巻き上げながら・・・
何の為に車を走らせているのか良く分からないが、どうせ走るなら、水を撒きながら走れよ!
懐かしい「猿が辻」は、遥か彼方だ。
昨日よりは多少涼しいとは言え、直射日光は厳しい。
蛤御門あたりからは砂利道を避け、大きくなった林の中を歩く。
林の中は別天地であるかのように涼しい。しかも足元は土の上に枯れた松葉が積み重なり、まるでクッションの上を歩くように足に優しいのだ。
気持ち良く歩き、内裏の清所門前まで来て時間まで待つ。
御所の予約時間は13時半となっている。
修学旅行生らしい男子高校生が清所門前に徐々に集まってくる。
何だよ・・・修学旅行生徒一緒かよ~参ったなぁ。
どうせ、こいつら喋ってばかりで、ろくにガイドの言うことも聞かないんだろうなぁ・・・うっとうしいなぁと思いながら、我々は一足先に入場した。
ここでも、昨日の修学院離宮と同じく、出発前にビデオを見せられる。宮内庁管轄なので、同じシステムと思われる。
来た来た~例の男子高校生の団体がさあ!
ビデオが終わると、ジジババ連は先を競って外にでた。
皆同じ気持ちなのだろう、修学旅行生がガイドさんに近い所を占領されたら、説明が聴こえなくなるって。我々も同じ行動を起こし、足早に外に飛び出し、ガイドさんに近寄った。
今度のガイドさんはメガネをかけた愛想良いおネエちゃんだ。
全員が集まるまで待っているのだが、高校生団体がなかなか集まらない。
おネエちゃんが、時間を気にしながらも、しきりと最後尾を気にしている様子だったので、私は間髪置かず「もう、良いんじゃないですか?」と言ってやった。ちょっと意地悪爺?
おネエちゃんは僕の助言どおり説明を始めた。それで良いのだ。
場所を買え、少しずつ説明を聞いていたが、案外高校生は静かだ。見れば、ワルっぽいヤツも居なさそうだ。家内の話だと早稲田の付属高校らしい。なかなか躾が行き届いており、よろしい!
紫宸殿での説明で興味を引いたのが、高御座(たかみくら)と呼ばれる玉座が承明門よりも大きいということ。また、昭和天皇まで即位式はこの京都御所の高御座が使われたこと。今上天皇(平成天皇)の即位式ではこの高御座を一度バラし、ヘリコプターで東京まで運び、東京で組み立てられ、そして即位式に使われたこと。はるか遠く、承明門越しに見ることしかできないので、その全貌は全く分からないが、伝統を守る皇室の姿勢がしのばれる。
奥にある御常御殿は文字通り天皇が寝起きしていた御殿だが、明治天皇までが実際にお使いになっていたらしく、カーテンレールがあったり、時折電気コンセントまでが見られ、生活者としての天皇を思い起こさせる風景であった。
昨日の修学院離宮と言い、今日の京都御所と言い、非常に簡素な印象を受けた。すこぶる上品ではあるが、決して華美ではないのだ。
このような皇室の考え方・伝統は今に生きていると思うし、日本人の感覚の基礎になっているのかもしれない。
私は大学入学直後の「5月の一般公開」以来の41年ぶりの御所見学だったが、やはり来てよかった。
<松屋常盤>
帰り道は寺町御門までを林の中を可能な限り直線コースを選んで、車ま
で戻った。
さあ、まだ企画はあるぞ!
次はナビをセットして味噌松風の「松屋常盤」を目指す。
御所からは目と鼻の先。
妻が思っていた店だったようだ。
車を店先に停車させ、妻と娘で味噌松風を買って来た。
日持ちはしないようである。
<東福寺>
次は最後の見学地「東福寺」。
あるサイトを見たときに「京都の名所ベスト50」という企画があって、上から順に見てみると、当然行ったことのある場所が多い。その中でベスト20の中で言ったことのない場所があったのだ。それが東福寺。説明を見たら、境内に木造の橋がある。そう言えば見たことあるぞ!
やはりその橋が印象的で、時代劇の撮影に良く使われるとか。
私が覚えていたのは、中越典子さん主演の単発スペシャルドラマ「初秋」だった。
役所広司が共演した年齢差のある恋愛物語がテーマだったと思うが、なかなか印象深く、その印象にこの東福寺も大きく貢献していた。
「松屋常盤」から二条に出てそれを東進。東大路を南下したまでは良かったが、九条辺りから妙に狭い道を行かされる。徐々に不安になるい気持ちを抱えながらもナビの仰せのとおり進むと、突然東福寺の駐車場前に到着。ふ~!きっと一方通行とかの事情で、ナビ君もやむを得ずこんなルートを選ばざるを得なかったのだろう。
駐車場代もかからないみたい。なんとラッキーな。
いや、これはきっと儲けている証拠だ・・・。
車を降りて暫し歩くと、前方に見覚えのある景色が・・・・オーッ!あの橋だ!
「臥雲橋」という名前がついている。
そこから本堂の方向を見上げれば、通天橋が・・・なんと美しい。
その二つの橋の間には無数のかえでの葉が雲のように横たう。
こりゃ、秋はたまりませんね!無論ワンサカ人が訪れるに違いありません。
こんなお寺、全くノーチェックだったという私は、あまりに世間知らずでしょうか?
今度は拝観料を払って、上の通天橋から臥雲橋を見下ろします。
もちろん、これも表現できないくらい美しい景観。
残念ながら、4時半にはもう閉まってしまうので、他の建物の中は見学できなかった。
今度また、と家族でリベンジを誓って、車に戻ったのありました。
大きな拾い物をしたようで、得した気分だ。
<ちりめん山椒やよい>
京都での最後のイベント「ちりめん山椒を買う」である。
これも妻が以前購入したお店のが美味しいから、という事だけを頼りに、八坂神社周辺に向かいます。以前家族旅行で泊まった旅館の近くにあった、ということで、その辺りを目指す。
付近で車を止め、妻は店を探しに外へ。
やがて、合図があり、歩行者に気をつけながら向かう。
それは、八坂神社の南にありました。「やよい」だ。
愛想の良いおネエちゃんが、店の前にドーンと車を止めて良い、というので、遠慮なく店の前に車の留め店内に・・・ツーんと山椒の香りが鼻を刺激する。
色々な商品がありましたが、全て試食できる。
定番の「ちりめん山椒」はもちろんだが、妻は椎茸の佃煮がお気に入りの様子。
私と娘は、山椒の佃煮の一つで、実山椒の佃煮「鞍馬山椒」が大のお気に入りに。
ピリリと舌に残る味がたまりませんなあ。
結局、ちりめん山椒を二箱、椎茸を一箱、鞍馬山椒を一包み購入。
会社のお土産用にも買いました。
包んでもらってる間、お茶を頂き、京都の最後の時間を楽しんだのであります。
さあ、あとは一路帰宅。
帰りの運転はひどく疲れた。
途中で眠くもなり、いっそ実山椒を食べながらなら眠くもならないかも、などと考えながら、ひたすら家路を急いだ。
21時20分に帰宅。明日の仕事を考えれば良い時間だ。
今日の歩数は9066歩。
ちなみに、車の走行距離は395.6Km。旅行での平均燃費は29.7Km/L。
高速道路のウェイトが多いとは言え、AQUAの燃費、恐るべしである。
つまり、京都旅行一式で消費したガソリンは13.31Lということだ。
満足、満足!
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