2013年6月23日日曜日

乙川優三郎 著「花映る」(短編集「闇の華たち」より)

久しぶりに乙川優三郎の本を読んだ。

たまたま、書類の整理をしていたら、その中に埋れていた。
手にとってパラパラと捲ってみると、確かに読んだ記憶のある作品もあれば、全く新たな出会いを感じさせる作品もある。
どうやら、読んでいる途中で書類近くに置き忘れ、何時の間にか埋れてしまったのだろう。
短編集を読む時、しばしばこんな事になる。
長編ならきっと「置き忘れた」感に急き立てられ、何ヶ月も何年も放っておけるわけない。
再発見したのが乙川優三郎の作品だったというのも、大いに頷ける。
これは氏への賛辞である。

彼の描く世界は時代小説という形を借りた現代小説だと思う。
主人公はおよそ生真面目であり、ひたむきに生きている。
そこには奇想天外な物語があるわけでもなく、ヒーローの存在に胸踊らされることもない。
しかし読み進めるうちに、いつしか主人公の心に同化してしまう。
氏は「苦悩を描かない小説などあり得ない」と発言したらしいが、実際、彼の小説に登場する人物は苦悩するのだ。だから、氏の作品は暗いという人は多いだろうと思う。
しかし「苦悩の無い人生などあり得ない」し「苦悩の無い人物など、居たとしても付き合うに値しない」のだから、知らぬうちに主人公の人生を「心の動き」という一面において共に生きることになる。
しかし氏の作品は苦悩だけで終わることは決してない。
最後には僅かではあっても、将来への光明を指し示し、地道に生きることの尊さを決して押し付けることなく、そっと置いて行く。
数十頁の短編とは言え、読み終えた時には、そっと本を閉じ瞑目して主人公のその後の人生に想いを馳せるのだ。あと一頁めくれば次の物語に入っていける事は分かっているが、私にはそんな勿体無い事は到底できないのである。

長い言い訳のようになってしまったが、「花映る」は案の定二度目だった。
物語としては、不本意に死んでしまった友の仇討ちであり、これから始まるかも知れない、未亡人と共に生きる人生だと言えば良いだろうか。
ただ、人を斬ることの不快感、自分の愚かさへの嫌悪、これらの心の動きが妙にリアリティを伴う。

私は時代小説を読む時、必ず藤沢周平と比較しながら読み進める。
他の作家の方々には甚だ失礼な事だと承知しているが、私にとって藤沢周平は特別な存在であり、彼を越える作家は後にも先にも出てこない。
藤沢周平が亡くなって久しいが、その穴を埋めようとして様々な小説家の作品に接してきた。乙川優三郎もその中の一人である。
藤沢周平という作家は実に幅の広い作家であり、コミカルで軽妙な表現から、息を飲む一瞬の心の動きを無駄のない言葉で語ることまで、右に出る者のいない巧みさを持っている。
乙川優三郎はそのうちのシリアスな心理描写と緻密な表現という面において、藤沢周平の後継者というに充分過ぎる程の筆の力を持っていると思う。

私と同じ1953年生まれといことも、身勝手な親しみを感じさせる要因かもしれない。

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