2013年6月21日金曜日

還暦の手習い

イタリア語の勉強について、ここに書き込むつもりなど全く無かったのだが、学習始めて3日目、私の中では今のところ、こいつが大きなウェイトを占めていて、これを書かないと書くものが無くなっちゃう。
ま、それも今のうちだけ・・・?
また、自分の性格からして、多少のプレッシャーを与えておかないとサボるからなぁ。
ここは誰にも読まれていないと言う前提に立ちながらも、折に触れイタリア語学習についてレポートしてみるのも良いかもしれない。
とにかく還暦の手習いは始まった。

イタリア語は全く初めての体験。
テキストは”Ecco un Vaporetto”『ほら、ブァポレット(水上バス)だよ』という言葉から始まった。
舞台はヴェネツィアだからブァポレットが登場するのだが、のっけから男性名詞、女性名詞の違いだ。
確かにこの手の違いに慣れておかないと後が大変になるのは必定。
英語では無かったけど、殆ど忘れている独語でも「男性名詞」「女性名詞」はあったような気がする。
名詞の語尾が"o"なら普通は男性名詞、"a"なら女性名詞。"e"は両方有り得る。
当然、それによって不定冠詞は変化する。"un"が"una"に変わるという訳だ。
Eccoという単語はどうも伊語独特の言葉のようで、これは単純に表現を覚えてしまうしかなさそうだ。
最初の頃は英語に関連付けて覚えようとしたが、それは無意味な事と思うようになってきた。
楽なのは、殆どローマ字読みで行けそうな言葉が多いことだ。もちろんその通りにならない発音もある。
"gli"の発音など『舌の中央部を上顎に付けて"リ"と発音する』との説明があるのだが・・
???全然上手く発音出来ない。
早くも課題出現?
「切符」という意味の"biglietto"、更に「切符売り場」を意味する"biglietteria"には既に苦戦を強いられている。
しかし、ひょっとしたら、新しい言葉を学習するって面白いかも…って少し思ってる。
まぁ、始めて三日目なので大きな口を叩く事は止めておいた方が良さそうだ。

さてここで、私の学習を取り巻く環境を説明しておきたいと思う。
命題は、「どこに居ても学習できる」というニーズにどこまで応えるか、だった。
「雑誌オンライン」で購入したテキストは、①会社のPC ②自宅PC ③iPad ④スマホ で読む事ができる。
これは電子書籍を、とりわけ「雑誌オンライン」を選択した大きなアドバンテージだと思う。
本をいちいち持ち歩くなんぞ、考えられない。
さてCDはどうするか?
結局私はCDからPCに落とした音声ファイル(mp3)を「Nドライブ」というクラウド・サービスにアップロードした。
気紛れな私としては、「勉強したい」と思ったその時が勉強したい時なのであって、その時に「CDを持ってないから聴けな~い!」などという事態は許せないし、そのうちCDが何処へ行ったか分らない事態に陥るのは自明の理だからだ。
音声ファイルをスマホにコピーして持ち歩く、という方法も考えないでは無かったが、家の中ではスマホを何時も持ち歩いているかと言えばそうでもないし、音声ファイルの管理をきっちりしていかないと、我がオンボロ・スマホは直ぐに動作がノロくなる。
それで出た結論がクラウド・サービス。中でも「Nドライブ」は容量が30GBまで無料なので、使い倒せる!
家でも会社(昼休み)でもPCを使う時には、一つの画面で、片やWEBでテキストを開き、片やNドライブ上の音声ファイルを再生させる。
寝る前に、寝室ではiPadでNドライブの音声ファイルを再生させながら、スマホでテキストを読む。
お~!なんとITな学習環境!!
あ、勘違いしてない?
これら(会社の昼休み&帰ってPCで&寝る前も)を全て毎日実施しているわけではない。
環境を整えた、という意味である。
ただ、今日発覚した問題がある。
外出時どうするか?である。
基本的に車でどうするか?ということだが、私は一応、考えていたのだ。
もちろん、運転しながらなのでテキストを読むことは必要ない。
音声ファイルはNドライブに預けてあり、それをスマホで開く事はできるのだから・・・・
ところがである・・・外でのNドライブは使えない、とうことが分った。
ファイルを指定して音声が出てくるまでに時間が掛り過ぎるということだ。
これはNドライブのサービスに問題が有る訳ではない。
う~ん、やっぱボロ・スマホの問題か~?
家でも会社でもWiFi環境は整っているので、何らストレスは感じなかったのだが、外に出れば回線は3Gだけが頼りなのだ。WiFiと3Gではこれほどまでに違いがあるのか?
やっぱり早いとこLTE対応のスマホにせねば・・・・でもまだ約半年のお年季が残っている。
それまでは、当面学習する範囲のファイルを事前にスマホにダウンロードしておくしか方法が無さそうだ。
う~ん・・・なかなか現実は難しいものだ。
万が一、この一文を読んだ人の中で、別の方法が考えられる方はぜひご一報願いたい。

今日は、もう一つどうしても書いておきたい事がある。
昨晩NHK BSで放映した「BS歴史館」を観た人はどれほど居ただろうか?
昨日フォーカスしていたのは和算で有名な関孝和。
私が書くまでも無く、関は和算の天才として有名だし、私自身もその存在は昔から知っていた。
しかし、昨日見知った彼は、そんな存在では無かったのだ。
曰く「算聖」という。
天才は数多くいるが(それも凄いことだけど)、更にその上、神と言うべき存在だという意味らしい。
同時代のガリレオ、ライプニッツという西洋の学者に決してひけはとらない。
お叱りを覚悟で明かせば、今まで私は「和算」とは、せいぜい算数レベルかと思っていた。
関孝和もその範囲での天才なのかと・・・
しかしそれは全く違い、それまでの和算(中学レベル)を突然大学の専門数学レベルまで押し上げたのが関なのだという。
彼は弟子の育成も怠りなく、そのことが関流和算として明治維新まで綿々と受け継がれることになる。
解説者によれば、日本人が西洋数学を素早く取り入れ、西洋の技術を身につけていった背景には、この流れがあったればこそ、だと言う。
つまり関孝和とその弟子の流れが、日本人の数学的な基礎を作り、近代日本への変革を後押ししたということだ。
もっと我々は、関孝和の事を知り、彼を誇りに思うべきなのでは?
彼を主人公にした小説も刊行されているようだが、クチコミも殆ど無いことから推測するに余り売れているとも思えないのが残念だ。
しかし当時の江戸市民の間で「和算」が流行り、一般町人も競って問題を解くことに熱中していたという事も驚愕すべきことだ。
我々には、そんなDNAが少なからず流れている筈。
数学を学ぶ面白さを、もっと子供達に教えなくてはいけないのではないだろうか。
私自身、和算を含め、数学を「還暦の手習い」に加えたいところなのだが・・・人生、短すぎるか?

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