2016年1月27日水曜日

そして今日僕は退院した

唐突だった。
整形外科病棟が満床なので退院して欲しい、と言われたのは昨日の朝。

術前と術後の画像を比較し、「ここをのみで削って・・・」との説明。
「のみ」って?少々チカラが抜ける。
心の準備は全くなかったが、主治医に大丈夫と言われて抵抗する術もないし、抵抗する意味もない。
不安はある。ここからどうやって筋力・体力を増強していくかだ。
それに対しては医大の別施設である「療育センター」を紹介してくれた。
ここと、いわばスポーツジムのような場所であるが、患者のカルテ情報等が共有され、理学療法士の元で個々のプログラムが組まれる。

午後からのリハビリも突然の退院を前にし、自分で行うストレッチ方法などを急遽教えて貰うことになった。
リハビリセンターも基本的には入院患者のみを対象とするのだが、無理を言って暫くは付き合ってもらうことにした。まあ、それくらいの我儘は聞き入れてもらおう。

夜、担当理学療法士が顔を出してくれた。色々気を使ってもらい感謝している。
その後、ドクターも顔を出した。
急な退院を詫びるとともに、外来での再会を約束した。
彼が羨ましがるような旅行を企画せねば!

あー、これで一人のんびりと眠ることができる。

今朝は初めて寝坊をした。
看護師に起こされてしまった。
昨日から荷物を減らしていたので、準備にも時間はかからない。

11時前にに妻が迎えに来た。
久しぶりの外界の空気は本当に冷たかった。今日はまだましだと言う。ふーん・・・

途中でお昼を食べていくことに・・
「思いっきりジャンキーな物が食べたいなぁ!」
「味噌煮込みうどん」vs「香辛料たっぷりのハンバーグ」で迷ったが、結局ハンバーグに決定!
あー、身体に悪そっ!旨い!

家に着く前、近所の池の横を通った。
鶴と亀が居た。
咄嗟には何なのか分からなかった。
しばらく、言葉が出なかった。
妻にそのことを告げたのは、通り過ぎた後だ・・・・
あれは幻だったのかもしれない。

2016年1月25日月曜日

22日 忙しい入院Life(後編)

お昼を食べた後はリハビリ。
今日は3階のリハビリテーションセンターまで一人で歩いて行かねばならない。
ゆっくりと手摺の近くを歩いて辿り着いた。
昨日と同じように、世間話をしながら軽いストレッチをしてもらった後は、歩行訓練。
一人である行く姿を後ろから見てもらった。
昨日よりはずっと力強くなっている、という評価にすっかり気を良くした。
「次は階段です!」
え?もう?
「ゆっくりで良いですよ。手摺を持って、だけど一段ずつ下まで降りて下さい。」
言われるまでも無く、ゆっくりとしか進めない。
下まで行ったら、今度は上りだ。
予想以上に体力が要る。
今日はここまで。
明日・明後日は土日でリハビリはお休みとなる為、できる範囲で良いから体を動かすように言われた。
コツとしては、息を吐ききってお腹を引っ込める。その態勢をできるだけ維持したまま運動を行うということ。要はインナーマッスルを鍛えるということらしい。
また、手摺に摑まったままで良いので、軽いスクワット・片足立ち・かかと上げなどを行えると良いとのこと。


部屋に帰って休んでいると、浜松からUさんが”オー!”と言いながらやってきた。
会うのは去年の9月以来だろうか?
彼は、元居た会社の一期先輩であるが、病気に関しては大先輩である。
私が知っているだけでも、糖尿病と胃癌。
病気の話は今までにも沢山聞いているが、自分がその立場に立って聞く話は、恐らく今までとは随分臨場感が違うのだろう。
ラウンジに移って、遠慮なく声を出す。

仕事の話もちょっぴりした後は、当然二人の病気自慢である。
話は本当に尽きない。今回の体験は勿論語ったのだが、Uさんの話の方がバリエーションが豊富な分圧倒的に面白い。
途中からは妻も加わり益々話に花が咲く。
妻とUさんも既知の間柄なので、お互いに遠慮なく話せるのが良い。

箇条書き風に特に印象深い彼の話のタイトルだけでも記するとしよう。
1.今までに7回入院した。
1-1.うち1回は原因不明の下肢の痛みで検査入院(一か月間) 長すぎだろ! 
1-1-1.途中で症状が無くなったので退院しようとしたが、病院が検査したがった。興味本位?
1-1-2.「心電図」と「筋電図」は混同し易いが、全く別物
1-1-2.恐怖の「筋電図」体験
1-1-2-1.手に畳針くらいの針を刺された。ギェッ!
1-1-2-2.「」事前に言ってよ」とクレーム入れたら看護師「言ったら皆さん嫌がるから~」爆笑
2.胃癌はステージ3Cだった。
2-1.術前の調べでは五年後生存率は20%。ダメだろうと覚悟をした。そうだよね
2-2.去年夏前に5年後を無事迎えた 二人で年季明けのささやかなお祝いしました
3.糖尿病
3-1.胃癌の手術以来、糖尿病の数値が改善されている。
3-2.胃を全摘しているので栄養の吸収率が悪くなり、それが糖尿病改善につながっている。
3-3.逆に、ここ数年低血糖に陥り、倒れることに。 それはそれでヤバイ
3-4.なので人工透析になる事はないと思う。 なら良いけどね
4.胃癌の手術の後も痛みコントロールができていて、入院中傷口一度も痛くなかった いいなぁ
5.尿路ドレーンを自分で抜こうとしたが出来なかった。馬鹿かっ?普通しないぞ!

それ以外にも3人はランダムに喋りたいことを喋りまくった。
そう言えば、妻のマルタ島旅行報告もまともに聞いていなかったっけ。
「ドバイのトイレは面白い!」
「トイレは文化だ!だからTOTOが頑張ってもヨーロッパにウォシュレットは普及しない」
「マルタ島到着初日に行方不明者を出してしまい、現地警察まで出動した」
「旅行中、隣の友達のイビキが酷かった!」
「でも友達だから言えないし・・・・」
「オレだって、同室の部屋の人のイビキすごいんだぞっ!」

Uさんは、最近「腓骨神経麻痺」の疑いで悩んでいる。
そのおかげで足の親指を骨折してしまったが、整形外科医も「腓骨神経麻痺」のことはさっぱり解らないらしい。
最後に、私の主治医に「腓骨神経麻痺」の事を尋ね情報収集する約束をし、U氏を見送った。

実に楽しい時間を過ごすことができた午後だった。


2016年1月23日土曜日

22日 忙しい入院Life(前編)

寝不足だ!
四人部屋でしかもオッサンばかりなので覚悟はしていた。
しかし、それは尋常では無かったのだ。
普通のイビキなら多少は許せるが、そいつは違った!
「絶対に無呼吸症候群だ」
暫く無音が続いたと思ったら、突然フグヮー!と獣の雄叫び。
そのあと、酸素を取り戻そうとばかり、必死な細かい呼吸が少し続くのだが、また無音に・・
聞いているほうも気が気ではない。
規則正しければ多少ましだが、結構不規則。予想もつかない(予想つけなくても良いとは思うのだが・・)のだ。
自分の知識レベルを超えた本を読むと眠くなるという習性を利用して物理学の本を読んだが、それでも眠くならない。
クソッ今日は妙に物理が頭に入るぜ!
こいつ整形外科じゃなくって、別の診療科に行けよ!
質の悪いことに、そういう奴に限って寝付きが良いときているから堪らない!
こりゃ、明日以降も心配だ。

朝食後ドクターWが回診に来た。
術後から何となく感じていた左足の違和感について話をした。
左足の甲の感触が術前と比べ、また右足に比べ明らかに鈍い感じがするのだ。
勿論、看護師にも理学療法士にも伝えてある。
ドクターWにも話してあったが改めて話をした。
特に左は癒着していたので、神経にも触ったのだという。
やむを得ない処置ではあるが、何らかのそれの影響だと考えられるとのこと。
「たまに会う姪っ娘だと思って下さい。」
その心は?
「毎日見てると成長って分からないもんでしょ?」
お後がよろしいようで!
それだけ時間をかけて観察していかなければいけないということなのだ。
使いまわしの定型句を使ったのか、文学的才能が有るのか良く分からないが、即座に納得した。
彼が仕事してたのはそこまで。

ドクターの視線が、私の読んでいたプログラミング関連の書籍に止まった。
「あれー!本当にエンジニアだったんですね?」
「そりゃ、そうですよ。せっかく時間があるんだから勉強しようと思いましてね」
医者のIT好きは私もよく知っている。
そこから二人の私的な会話が始まった。
私の職歴に始まって、実は去年は二度も海外旅行の予約をコイツ(腰)のお陰でキャンセルする羽目になったこと。

私が無類のイタリア好きであることを告げるとドクターもそうだという。
「イタリアへはいつもミラノから?ローマから?」
「そりゃ、ローマでしょ?何度行っても良いですからね!」
話は一気にイタリア談義、そしてヨーロッパ談義へと向かった。
勿論、彼の場合は学会での仕事であることは明確だ。
43歳、いい年頃だ。比較をしては失礼だが、私が当時勤めていた会社を飛び出す前の歳ということになる。男が生涯で一番良い仕事ができるのは、正にこの年齢なんだろうと思う。
奥さんも勤務医をしており、夫婦での海外旅行などは考えられないとのことだ。

そして話は社会文化論に・・・面白い話が聞けた。
海外の医者からすると相当日本という国、日本人という民族は特異に映っているらしい。
極東のそのまた端っこの国が、結構先端的な医療に挑んでいて、それはアジアという括りでは語れないものを持っているし、中国とは全く違うということを、彼らは明確に解っている。
ところが、実際に日本に来てみると、誰も英語すら話せない。そのギャップが特異なのだろう。
「日本に住んでりゃ英語なんて必要ないですもんね!」
ヨーロッパ全土のモダリティ(CT,MRI等の画像診断装置)の全台数と、日本の全台数はほぼ同数なのだそうだ。
また、ヨーロッパの医療では何かあれば、即ドイツということになるらしい。
予測通り、彼は名古屋大学の出身であり今もその影響下にある。その関係で海外での学会への参加、講演のチャンスを得ているのだという。
「そのことに私自身は誇りを持っているし、日本からもっと海外に発信していきたいですね。そういう意味では医療ツーリズムなんてこれから日本の基幹産業に十分なり得ると思いますよ。」
「その意見には私も大賛成。私が昔よく出入りしていた名古屋K病院でも・・・」と言うと
「名古屋K病院、私昔ちょっと居たんですよ!トップが先輩でもありますしね」

そこから話題は名古屋K病院に・・・・
そして、自然と人工透析の話題に・・・
「人工透析、殆ど自己負担なしでやってるの、日本ぐらいなもんですよ!」
彼の持論によれば、「自業自得」なのだとか。なかなか辛辣である。
確かに透析患者の大部分は糖尿病性腎症から来るのだから、多くは当たってる。
「だから保険制度が赤字になるのは当然ですって!」

「で、腰治ったら、今度はどこ行くんですか?」
「今度はポルトガル!食べ物が美味しいんだって!」
「へぇ~!良いなぁ!ポルトガルは行ったことない」
「じゃ、帰ってきたら土産話お聞かせしますよ」
「3月には行って貰って全然構わないですからね!」
「え?3月に大丈夫なの?」
「全然、大丈夫!」

自信満々なドクターとの会話を楽しんで元気を貰った午前中だった。

2016年1月22日金曜日

21日 とうとうWireless !

午前中に11階から12階に移動した。
本来の整形外科の病棟は12階なのだが、満床状態が続いているらしい。
それでもようやく空きができたとみえる。
昨夜は背中の痛みで苦しかった。
寝返りをうつたびにうめき声を挙げてしまう。まあ、病院なのだから許して貰おう!

午後からリハビリとの指示が入った。
と、いうことはそれまでに点滴外れるのか?と期待していたが・・

点滴とご一緒に車椅子でリハビリ出勤。
それでも、刻一刻と背中の痛みが和らいでいるのが良く分かる。
理学療法士は優しいお兄さん。
柔らかなストレッチの後、歩行訓練。
やはり点滴タワーにすがって歩いてる、との指摘だ。
分かっちゃいるけど、怖いんですよ。じいさんは!
どうしても猫背ぎみになってしまう。
それに左右のバランスも悪い。
少しずつ肩甲骨の運動をして、胸を張るようにしよう、と言われた。
今日のところは、軽いメニューだ。
コルセットは常時着けるよう指示が有った。寝る時も、だそうだ。うん、確かに結果としてはその方が楽だったのだ。
せっかく作ったオーダーメイドのコルセット、使い倒すぞ!

部屋に戻って、昨日電話を貰った浜松のUさんに電話した。入院日を正確に知らせてなかったらしい。
「暇だから明日行くわ!」
ヒマかよ?
楽しみが一つ増えたな。

夕方になって看護師が来て、いきなり
「点滴おしまいにしましょう!」
心の準備が要るじゃん!
まだ残ってるじゃん!って思いながら大賛成だ。
テープをはがし、いとも簡単に引っこ抜いた。
いささか、普通の注射針とは違う抵抗だ。
別に望んでもいないのに、嬉しそうに僕に見せる。あんたどSか?
ハッチャー!痛い訳だ!!
これでは刺されたときに「ウァオー!」と叫んだのも無理はない!と妙に納得。
それはそれは恐ろしい姿をしていた。
鋭利な刃物で斜めにカットされた穴空きスパゲッティがトマトソースの中から取り出された直後、といった様相である。
しかも長さは4cm はあったろう。
それが手首の少し上に刺さっていたかと思うと、チカラが抜ける。

しかし、兎に角これで私はWireless になったのだ!

20日 Wired な病室

地獄のICU からは無事脱出できたが、私の身体はなおWired な状態だ。

11階の病室からは名古屋の雪景色が一望のものに眺められる。が、ベッドの上からでは充分に堪能できなかったし、第一に私にその気力が無かった。
ドレーン(誘導菅)が入っている不快感、手術の傷口の痛みは、確実に私から気力を奪っていたのだ。

本を読む気にもなれず、ただぼんやりと窓の外を眺めるだけの時間が過ぎる。

術前のアンケートで「パイナップルが苦手」と書いたことで、若干神経質な器具が使われていたようで、看護師が時々見学に来る。
ドクターの話によれば、
「パイナップルが苦手」=「トロピカル・フルーツが苦手」となり更には
=「ゴム・アレルギー」
となり、特殊な器具を使うことになったらしい。
見せ物じゃ無いって!

浜松の友人から電話が入っていたが、話をする元気も無いので無視し、メッセージだけを返信しておく。

夕方近くになってドクターの回診があった。術前にあった脊柱菅狭窄特有のお尻からふくらはぎ外側に走っていた痛み・痺れは綺麗さっぱり消えている。
この報告にドクターも「合格点貰えますか?」
私は思わず「花丸💮ですよ!」と返しておいた。
傷口も良好とのこと。
「じゃあ管、取りましょう!」
早速背中から出ていたドレーンが外される。血腫を防ぐ為に入っていたのだが、極、浅い場所から出ていたドレーンなのでダメージは殆んど無い。

ドクターが去った後、尿管から出ていたドレーンも外される。あ~、不快なんだろうな~!
看護師は事も無げに処置する。
外される瞬間、言い様の無い不快感が下半身を走る。
「男性は尿管が長いから不快でしょうね?」軽く言うなって!
女子の尿管がどうなっているかはつまびらかでないが、女子だって不快には違いない!
「最初オシッコする時ちょっと痛いですけど心配ないですからね~」
確かにそうだった。

兎に角、これで繋がっているのは点滴だけになったのだ!この解放感!
点滴タワーにすがって部屋の入口を往復してみる。
歩ける事は素晴らしいことだ!

夕方になって妻と娘が来た。
少しは明るくなった表情が見せられたかな?
娘のキツ~い一言
「お父さんのねぐせ、笑える!」

2016年1月21日木曜日

19~20日 魔のGICU

何がGeneral なのか良く分からないが、とにかくICU の前にGeneral という文字が付いていた。
ただ、私にとってはGeneral だろうがSpecial だろうがどっちでも良い!
兎に角、一刻でも早くその場所から脱出したかった。

手術後すぐにICU に直行。
気が付いた時には、傍らで妻が「ICU には7時半までしか居られないから」と言っていた。
という事は少しだけ寝てたのか?

妻も去り、孤独な戦いが始まった。

痛み止の麻薬が効いているらしく、痛みはさほど感じないが、それでも身体は自由にならない。前もって「自分で寝返りをうってはいけない」とも言われている。

うつら・・うつらしていると、定期的な検温に看護師がやって来る。
「お熱計りますね~」
「血圧計ります~ね」
「足の指は動きますか~?」
「足首動きますか~?」
「寝返りは良いですか~?」
と言いながら、私の身体に繋がった管を点検する。そうだ!私はWired なのだ!何本?分からない!

私は弱々しく「今、何時です?」
「9時ですね~」と優しく応えてくれる。
「夜の?」
「そうです。」
あ~まだ夜の9時なんだ・・

こんなやり取りを何度繰り返した事だろう?
ひょっとして永遠に朝は来ないんじゃないか?
朝が来る前に、俺は狂ってしまうんじゃないだろうか?
と、何度思った事だろう?

「1時ですね~」
の次が「5時ですよ~」に変わった時、「稼いだ!」と思った。
その時、看護師が言った
「雪が積もってますよ」
あ~そうか・・雪降るって天気予報にあったな~と思い出した。が、ICU からその景色を臨むべくもない。

昼担当の看護師に変わった。
何となく朝の冷気を運んできてくれた。
私の意識も少しずつはっきりしてくる。
「雪降ってるんだって?」
「雪積もって通勤が大変だったんですよ」
そうか・・外は大変なんだ。

「何時に病棟戻れるんですか?」
「はっきり分かりませんが10時頃には戻れると思いますよ」
あと3時間。
あの殺風景な病室が懐かしく思える。

ようやく10時近くになった。
「病棟行きますね~」
この言葉をどれ程待ったことか!
しかし、相変わらずWired ではある。

19日 手術ライブ?

さすがに手術前は緊張していた。
というより、正確には、手術時間がはっきり告げられない為に、不安と所在無さがない交ぜになったものだったろう。
妻と冗談で「執行を待つ囚人の気分」と話をしていた。
だからむしろ「3時半に決まりました」と言われてからは落ち着いた。
ところが、予定の45分前になり「早まりました。今からです。」と告げられた時には慌てるしかない。

それまでの普段着のまま、スタコラ看護師と歩いていく。
妻とはオペ・エリアの前であっさりバイバイだ。
名前と生年月日を確認して、いよいよオペ室に。

スタッフが5~6人も居たろうか?
その中の一人が「宜しくお願いしま~す」と気楽に声を掛ける。くだんの主治医だ。私も反射的に「お願いしま~す」と返す。
看護師が「ここに座って下さ~い。」
思わず、「え?ここ?このままの格好で?」ドラマで見る厳かな雰囲気と余りにかけ離れている。
私は狭いベッドの上に足を投げ出して座り、上半身の洋服を脱いだ。
一人の看護師が私の左手を取って「点滴打ちますよ~」
「ウァオー!」予想を超えた痛さに思わず、冗談混じりの声をあげた。
「手術の点滴はちょっと太いですからね。入れてきますね。」
私が覚えているのはここまでだ。

次の瞬間はドクターからの「終わりましたよ~!」だった。
神経とその周囲の靭帯組織が癒着して痛そうで、痛かったのも無理はないそうだ。
思わず、ドクターと握手した。
妻に確認したら、40~45分程度かかったらしい。

さて、この後に地獄のような時間帯が待っていようとは、この時思わなかったのである。

2016年1月17日日曜日

そして明日僕は入院する

イタリア以来のキャリーケースを開いたら、思い出が色々出てきた。

 ・ リボンで結んだホテルのスリッパ。
 ・ ルフトハンザのウェットティッシュ。
 ・ 現地調達したワイン・オープナー。
 ・ そして「ミルキーはママの味」。

落語もPCからスマホにダウンロードしたし・・・
荷物はパッキングを終え、明日の入院準備は万端。
あとは入浴して寝るばかり。

雪さえ降らなければ良いのだが・・

2016年1月14日木曜日

忙しい一日

今日は三日分生きた気がする。
なにせ、朝から大忙しだ。

朝一番は月一定例の会計事務所訪問。
そろそろ確定申告の時期も気になり、いつもより書類が多い。
その書類を預け、私は銀行に。
いつもは月末に行っている銀行処理だが、月末はどうなっているのか分からないので、今日に繰り上げだ。
その上「銀行行くなら、これも!」とばかり、税金の納付書が渡された。
はいはい、一緒にやってきましょう。
ローカル銀行と長い付き合いになると、見知った顔が多くなって、どうも居心地が悪い。いつも顔を隠すように窓口に行くのだ。
それでも営業担当が奥から声を描ける。
「どうしたんですか?」
ここでも事情を説明。
「全身麻酔だから、行ったきりになったら後は頼むね!」

会計事務所に戻ったのは一時間後。予定通りである。
実は、会計事務所の担当者のお父上は、私と同じくA医大病院で頸椎の手術をして、その後はピンシャンとのこと。何週間か前にそれを聞いて私は安心していた。
彼女の父上の場合、街の整形外科に一年以上投薬治療をしていたが一向に良くならず、それも的外れな薬を飲まされていたようで、人の勧めで別の整形外科に行ったら「即、手術が必要」となり、A医大に行った、という経緯である。

私も、整形外科クリニックに大いなる不信感がある。
実は紹介状には「椎間板ヘルニア」とあったのに、A医大病院で検査後についた病名は「脊柱管狭窄症」に変わっていたのだ。
しかも、昨年撮ったMRIの状況と、A医大で撮ったMRIの状況とでは殆ど変わらないと言われた。
ということは、同じような画像を見て、全く違う診立てがされたということなのだ。
月一通っている内科医にはその事を話した。
そうしたら、その内科医は得意気に
「そうでしょう!症状からそう思ったもん!だから、その薬出したでしょ?」
実は、整形外科には内緒で「脊柱管狭窄症」の薬を出して貰っていた。

不信感一杯の二人は、「街の整形外科はどうなってんだ?」と息巻いた。
大体、「ボールペンの芯一本分」の太さしかないのに、投薬だけで治ると思ってたのだろうか?
それを信じていた私も愚かだったが、プロがそんなものなんだろうか?
ましてや、「脊柱管狭窄症を直します」と謳っている整体師とかいるけど、それって何をどう直すのだろう?

さて、会計処理が終わった私は午後の予定「木曜会」に30分遅れで駆け付けた。
さあ、いよいよピエロの仕上げだ。
例によって周囲構わず黙々と描き続ける。
大先生が巡回して初めて私の作品を見た。
「わぁ、奇麗!この人形・・元々の人形より全然奇麗じゃない?」
「済みません!顔変えてしまいました」
その後も、黙々と・・・・

大先生は巡回して来る度に
「これは絶対に額に入れて飾ってくださいよ!」
「わぁ~楽しみだなぁ!」
「これは完成度高いよ!」
と派手な賛辞を与えてくれるので、徐々にプレッシャーが加わる。
そんなに上手くないのに・・・・・

時間も押し、あと30分程となった頃、大先生がやって来て
「バックはどういう風にしよかね?」
まだ、バラは描きかけなんですが・・・?
「この色と、この色と、この色と、あ間違えた、この色を混ぜてぇ・・・水たっぷりね!」
と私の筆を手に色を作り出した。
「で、平筆で、こうやって」
描きだした。
確かに水たっぷり!!
「でさ、この上に塩蒔こ!」
来たかあ!
この先生、塩を使うのが結構お気に入りらしい。
私も塩の事は知っていたし、確かに面白い効果を表す。
が、それはもう少し立派な作品になってから、と思っていた。
「これが良いんだわぁ!」
と、ごく普通の食卓塩を持って来た。乾いており粒子が一定なので良いそうだ。
塩をばらまく。
色が塩の粒子に集まる、独特な効果だ。
いつも間にか完成品にさせられていた。
バラなんぞ、まだ「塗り絵」なんだけどなぁ・・・・

塩入絵具が乾かないから仕方なく、水平に保ったまま家に持ち帰った。
今度の土日に、細かい部分をもう少し手直しできると良いのだが・・・・



2016年1月13日水曜日

心配事

30年来の顧客がある。
2歳年上のその担当者とは、若い時分からの付き合いだ。
今は、そこと商談が起きているので、定期的に訪問している。

今日は入院・手術の事を報告することが主目的。
腰痛自体は以前から報告してあるので、入院日・手術日、そしてしばらく安静が必要だという事を報告した。
すかさず担当者から「車はダメらしいよ!」
そうとは知らず
「え?そうなんですか?」
彼のお姉さんが昨年12月に、やはり腰痛で入院したとのこと。
「そうやって医者から言われたんだって。だけどさぁ、車に乗れないってことはどうやって家に帰れば良い訳?ってことよ」
そりゃ、そうだ!
つまり車に乗っても良いが、運転は駄目という事らしい。納得。
しかし、運転できないってことは、私の行動力に相当なブレーキがかかることを意味する。

彼のお姉さんの入院期間は10日と、私の場合とほぼ同じ。
うん、そうか、そうか・・・

「本人は、まだ痛いのでもう少し入院したかったけど、病院から追い出されちゃった」
ま、急性期病院なら仕方ないかと思ったが、「まだ痛い」が気になった。
「で、今はどうしてる?ピンシャンしてんでしょ?」
「ううん・・・全然!杖ついてるもん!」
あん?
「お姉さんは、前から杖ついてたの?」
「いや、退院してからだよ」
「ええっ~!そうなの?」
なんか嫌な感じ・・・
「退院の2・3日前にお見舞いに行ったけど、なんかしんどそうだったなぁ!」
全然楽勝じゃないじゃん!

一方で、彼の後任である若い担当者は、昨年12月に入院したばかり。
胆石を口からの内視鏡で取ったそうだ。
十二指腸からの鋭角を思うと、大変なことである。
「私も退屈すると思って、色々遊び道具を持って行ったんです。」
そうだよね。私も同じだ。
「本もいっぱい持ち込んだけど、とてもそんな気になれなかったですよ。」
「なんで?」
「いやぁ、痛くて、痛くて・・・・。」
彼の場合、遊び道具に手が伸びたのは退院直前だったそうだ。

そういえば、手術後は寝返りを打てないって言われてたなぁ。
いつまでだろう?
「床ずれ」できないかなぁ?
体験談を聞いていると、嫌なことばかり想像されて気が滅入ってしまう。
「そんなに、脅さないでよ!話変えよ!」

不遜にも半分旅行気分に考えていた私は、冷や水を浴びせられた。
少し手術後が心配になってきたぞ。

帰り際に「A医大の看護師は可愛いお姉ちゃんが多いらしいから・・・」と言われたのがせめてもの救いかな?



2016年1月8日金曜日

知らなかった事ばかり

今年最初のデッサン教室は15分も遅刻してしまった。
寝坊をした為だ。

教室に入って、前回自分が座った席に着こうとしたら、他の男性が既に座っている。
やっべ!
あ~、こういうことは予想できたのに。
特に、今日は同一モチーフの二回目なのだから、前回と別の席ではマズイのだ。
でも仕方なく、その隣に座ろうとしたら、同じテーブルの女性二人が
「あら~、この人が前回座ってたから、代わってあげて」
と、その男性に訴えた。
私は「いや、遅刻した私が悪いんですから、結構ですよ」
と、一応ポーズとして断ったものの、その御婦人方には感謝である。
その男性も
「私ら、早く起きてすることないもんだから、いつも一番ですよ」
と気よく変わってくれた。
そうだよ大体、前回いなかった人が、二回目に何で別テーブルに移るんだよ?

例によって、一心不乱に描く。
どうもこのガラス器は捉えきれない。
同じ席に座ったのに、前回とどうも違うぞっ!
面倒くさいので、大胆に消し込み描き直す。
今日は今日の気分で描けば良い。

どうもガラスの感じが出ない。
気が付いて横を見たら、くだんの男性が絵具を取り出している。
「水彩を描くんですか?」
「だって、色をつけないと面白くないもん!」
そうりゃ、そうに決まっとるわい!
わがままなヤツだなぁ!!
私の修行僧魂がそう毒づいた。

終盤に入り、先生が一人ひとりの作品を巡回し加筆していく。
同じテーブルに来た時、「練消し」の話が出た。
「練消し」には種類があるんだって?
ゲッ!知らなかった!!
「柔らかい」「普通」「硬い」の三種類だそうだ。
で、今回のようなガラスとか金属の表面に出る鋭い光は、硬いものでス~っと引く。
ぼんやりした光を表現するには、柔らかいもので優しく拭き取る、ということらしい。
ヘーッ!そうなんだ。

別の席では、「クロッキー」の話題が出た。
どうやら、その生徒さんはクロッキー用のスケッチブックを買って来てしまったようなのだ。
紙が全く違い、トレース紙のように薄い。
こちとら恥ずかしながら「デッサン」と「クロッキー」の違いすら知らない。
チャンスとばかり先生に尋ねると答えてくれた。
「例えば裸婦とか描くじゃないですか。
そうするとモデルさんは10分経つとポーズを変えるんですよ。
それをどんどん、描きとっていく。筋肉の線とかね。
まぁ、特訓ですよね。」
ほ~。
私ら、4時間たっても形が捉えられないのに、10分ですか?
しかも人体?

先生が別のテーブルに移った時にはこんな話もしていた。
「立体を表現するのに、あえて平面的な技法で表現する場合があるんですよ。
それが面白いんですね。典型的な例が浮世絵です。」
なるほど・・・・そうか。
深いなぁ!
練消しの種類すら知らなかった私が、今日は色んな事知った。

帰りは、割と仲良くなったオッチャンと連れ立って駐車場に行った。
彼も絵画の経験は相当長そうだ。
クロッキーの話が出た。
インターネットの動画ではクロッキーの実演があるとか、30秒経つとモチーフが変わってしまうアプリがあるとか、色んな事を教えてくれた。
確かに面白そうだ。
野球で言えば千本ノックのようなもんか・・・一度挑んでみるべか?!
少しはガラスっぽく見えるかなあ?!
後で聞けば、これは上級者用のモチーフとか?



2016年1月7日木曜日

入院の予定

Miles Davisを聴きながら鉛筆を削っている。
私はこの時間が結構好きだ。
武士が戦の前日、刀の手入れをしているのと同じ・・・なんて言うと、カッコつけすぎだと笑われる。
木の部分を削りながら、芯の長さを想像する。
三菱鉛筆の木は比較的硬い。
それに対し、ドイツのSTAEDTLERの木は柔らかい。
ところが、芯はその真逆だ。
同じ2Hでも、STAEDTLERの芯は硬く、描く時にも三菱のそれとは全く違う。
いずれにせよ、明日のデッサンに備えて、気持ちを空っぽにして芯を研ぎ澄ませている時間は楽しい。
それを12本繰り返す。

昨日は、A医大での初診があった。
久しぶりに訪れるその病院は、私の記憶を簡単に裏切った。
一昨年に建替えられたらしい。
以前の、だだっ広いフロアからすると、幾分コンパクトになり、その分、上に伸びたようだ。
土地の起伏を利用し、1階のロビーで受付のあとは、地下2層にある各々の診療科に行くという以前の構造も美的であり私は好きだった。

ただ、システムは相当改善されており、NAVITなる端末を持たされ、各診療科、検査科、最後の精算に至るまでその端末がキーとなる。
この病院のシステムは以前からF通だったが、今でもそのようだ。
残念ながら、今の段階でこのNAVITは開発者の狙い通りに100%機能しているとは言い難い。
まだまだ、患者の名前を大きな声で呼んだり、プリントアウトに手書きを加えたりしなければ、病院として機能しないのだ。それはそれで良いと思う。
しかし、結果として病院としてのスピード化には目を見張るものがあった。

元々13時半の予定が、病院からの連絡で早まり私が病院に到着したのは12時少し前。
初詣以来好調な腰が有難い。
予定していた妻の同行も不要となり、車を駐車してからの歩行も何ら問題ない。
総合受付しNAVITを受け取ると、3階の整形受付に向かうよう指示が表示されている。
整形の診察も待ち時間が殆どなく待ってましたとばかり開始される。
今までの経緯を話しながらも、ドクターは完全に手術モード。
「ここ二日ばかり好調なんです」と言っても、不敵な笑いをするだけだ。
「で、手術、いつにしましょう?」
「妻が旅行で12日から18日まで不在なんですが・・・・」と言うと
「じゃあ、その間にしちゃいましょうか!?」
「え?」
「だって、完全看護だし、命に関わる手術でも無いですしね!?」
と軽く言う。
「ま、そうですけど・・・・ね?」
「要は、痛みをできるだけ早く取り除いた方が良くないです?」
「そりゃ、そうですよね」
ということで、家族の都合云々は二の次という事で考えようという事になった。
「ただ、この後の検査結果次第で手術できない・・・ということも有り得る訳ですから」
ということで、検査が始まった。
検尿、採血、心電図、フロアが変わりレントゲン、CT。
どこも殆ど待ち時間なしで検査できたことは奇跡のようだ。手術前検査は生まれて初めてだが、検査と言えばやたら待たされるというイメージがつきまとう。「退屈しのぎ」を色々揃えてきたが全く出番がない。それどころか、まるで追い立てられるようである。
おまけに、NAVITの運用が完全には機能していない為に、行く先々でプリントアウトが増え、次に移る際に忘れ物をしていないか不安になってしまう。
最後の検査を終え、整形外科に戻るとドクターが待ち構えていた。
途中で休憩も出来ないのか?

検査結果は良好。
18日入院、19日手術という事が決まった。
若干の迷いを見せた私に
「誰も好き好んで手術したいなんて思いませんもんね?手術が好きなのは医者ぐらいなもんですよ!」
と、また不敵な笑い。
予め私の職業を知っているドクターは
、「分かるでしょ?手術は作品みたいなもんなんです。エンジニアの方と一緒なんですよ!」
なかなか、こいつとは馬が合うのかもしれないぞ。

術後の替えの為にオーダーのコルセットを製作することを勧められ、その部屋に行く。
お腹周りにサランラップを幾重にも巻き付け、その上から溶かした石膏に浸したガーゼを何枚も巻き付け型を取る。石膏が固まる時の熱でお腹が温かい。逆に、固まった後、その石膏を取り除くと、お腹がスーっと涼しくなる。
このオーダーのコスセットも保険がきくので費用の7割は戻るらしい。

その後は、もう一度画像検査に行けという。
クリニックから持参したMRI画像は昨年7月の物なので、撮り直しましょう!だって。
そう言われればさっきはMRIは無かった。
最初から言えよ!
ところが、ここのMRIはやたら時間がかかった。
去年の7月に撮影した時の何倍もの時間がかかっている。
これは、ここの機械が余程旧式で遅いのか、あるいは精度が高く、丁寧な検査をしているか、どちらかだ。

検査終了後、整形の受付で終了処理をし、駐車券を機械に通して本日完了。
NAVITには、当初「計算中・・・」と表示され、その後は「計算終わりました。精算して下さい」との指示。
自動精算機にNAVITをかざし、クレジットカードを挿入すれば、清算完了である。
気が付けば、夕方の4時を過ぎていた。
色々な場所に追い立てられながら行ったり来たり。疲れた一日だった。

さて、今日は妻を同行し、
・麻酔
・入院
・手術
についての詳細な説明を聞いた。

どうやら全身麻酔らしい。当然リスクもあるのだ。
麻酔は点滴から行うという事で、ブロック注射のような痛みは避けることができた。ホッ!
眠ってしまってから、人工呼吸の管を喉に入れたり、消化器から逆流する物を排出するための管を鼻から挿入したりするのだそうだ。
ちょっと胃カメラを思い出した。痛そう!
親の手術等に立ち会ったことがあるが、確かに手術直後には色んな管が入っている。それを見る度に痛々しい思いがしたものだが、それらはそういう意味があったのだと、初めて知った。
手術の日はICUで一泊らしい。
家族は時間限定ながら、ICUで面会できるらしいが、看護師曰く「ま、ご本人は意識がぼうっとして、『誰かが来たなぁ・・・』程度しかわからないですけどね」
おいおい!ドクターが軽く言っていたイメージとちょっと違わないか?
「全身麻酔ですから」だって!

麻酔の後は「入退院支援センター」に行くはずが、ドクターが今すぐ来てほしいとのこと。
「喫煙履歴があるということなので、血流の検査をして来て欲しいんです。足の痛みは動脈硬化から来ることも有りますので・・・」
う~ん・・・追加の多いヤツだな!
しかも動脈硬化となると、いささか自信もないのだが・・・・

検査は意外に長時間に及んだ。
両腕、両脚には血圧ベルトを、胸にはマイク、両手首に脈拍用のセンサー(恐らく)を装着する。
二回ほどの圧迫の後には、足の親指にも血圧ベルトを巻いて更に検査。

入退院支援センターには随分遅れてしまったが、部署間のネットワークは有機的に機能していて、逐一患者の動きは管理されているので、全く問題ない。やっぱり休憩はできないということだ。
入院は18日13時ということになった。
妻が「私は来れないので・・・・」と言うと
説明していた女性職員は少し怪訝そうに
「え?」
「実は旅行で・・・」
「海外?」
「え、まぁ・・」
「良いわね~っ!奥さんっ!で、どこに行かれるの?」
と女同士で盛り上がる。
ま、私は体調が良ければバスで、悪ければタクシーで入院すれば良いだけの話だ。
手術があるので、最初の一日はパジャマではなく、寝間着が必要とのこと。
パジャマも前開きのもの。
オムツやら、T字帯なる訳の分からん物・・・・ちょっとイヤ~な予感がするぞ!
PCの持ち込みは調査通り可能だ。
有線LANにも繋げる。ケーブルは1mでは足りないとのこと。OK!3mで良いかな?

さて、最後はドクターによる手術の説明。
全ての検査の結果、腰痛以外はすこぶる健康とのこと。
この一言が、今日一日で一番嬉しかった。
画像を前に、4番と5番の間が神経を圧迫しているとのことだ。
背中を4センチほど切るらしい。
「血は全く出ません!なので、輸血パックも用意してません」
4センチ切るのに・・・そういうものなん?
今は神経の通り道がボールペンの芯一本分ほどしか無いのを、背骨の関節の骨を削ることで、人差し指一本程度に広げるのだと言う。
「痛みは取れます。しかし、しびれは残る可能性があります」
そうか・・・でも痛みが無くなれば歩くことはできる。はっきり言って貰っておいた方が良い。
手術の翌々日には歩くのだそうだ。大丈夫か?
手術後一か月は安静が必要とも言われた。
この「安静」が曲者だ。
勿論、寝ているだけの状態を指すのではない。
「歩いたり、座ったり」するのだそうだ。
「じゃあ、私の仕事は座ってするので、仕事はしても良いですか?」
「ダメです!」
あん?
その後、若干の禅問答になったが、最後にドクターはニタッと笑い「察してくださいよ!」
要はストレスを抱えるような事はするな、ということらしい。
だから、楽しんでする水彩画は問題ないし、楽しんでする「仕事」もOKなのだろう。

今日も4時間が経過していた。

2016年1月4日月曜日

初詣

とても穏やかなお正月だった。
今日4日も非常に温かだった。

昨年初詣に行かなかった事と腰痛とを繋いで考えることは無かった。
初詣に行かなかったこと自体を思い出すこともなかった。
ましてや、義母が亡くなった事と関連させたことすらなかった。
だが、それらはすべて事実だ。
確かに、昨年のお正月は事務所の移転の真っ最中であり、初詣という余裕すら無かったし、移転作業が終わった直後に義母の急変が伝えられた。
腰痛発生は、それから数か月後のこと。
そんな年は悪い事同士を関連させてしまう。

そういう事があって年末から「今度はきちんと初詣に行かなくちゃ!」とは家族の申し合わせになっていたのである。
特に信心深い訳でもないが、毎年の初詣は欠かした事がなかったと思う。
また特定の宗教に傾倒している訳でも無いから、その時その時に応じて神社でもイエス様の前でも、また阿弥陀様の前でも両手を合わせる事に何らためらいは無かった。
だが、昨年はそのチャンスを逃していたらしい。
「だから・・・」という事を言われても否定できない。

我が家の初詣は、「猿投(さなげ)神社」が恒例である。
それは私が子供の頃から続く行事であり、それがそのまま受け継がれている。
猿投山の麓にあるその神社は、幾分気温も低く、それがピリッとした緊張感をもたらしお正月に相応しい。
三が日は人出も多く、今年の体調ではとても無理な事は分かっている、さりとて6日のA医大の受診前には言っておきたい・・・という理由から今日になった。

腰痛は相変わらずであり、朝にモーラステープを二枚お尻に貼っての出発。
今日は実はもう一つ、去年の旅行のために新たに購入したカメラのデビューである。
結局、秋もクリスマス・シーズンも旅行には行けず、紅葉に至っては見頃もなく、デビューの機会を逸していたのだ。

初詣シーズンは普通停めさせて貰えない本殿近くの駐車場に、「歩けない」という状況説明をし停めさせてもらった。大鳥居を潜らない事が若干気がかりだが、それは勘弁して貰おう!
トランクには車椅子が積み込まれているが、砂利の上での車椅子は、できれば使いたくないなぁ・・・。

ところが、いざ駐車して外に出てみるとアラッ・・・?。
腰の痛みが殆どない!おかしいぞ?
よし!調子が良いうちにお参りを済ませるとしよう!
痛くなれば即刻戻れる距離に車はあるし、心の準備も出来ている。
手を洗い、本殿にお詣りし隣に並ぶ五つほどのお社にもじっくり参拝する。





今年は申年ということで
この「親子猿」が注目されていた




良いお天気!

まだ痛くないぞっ!

妻がお守りを買うのを待つが、その間も痛くない。なぜ?
妙な考えが浮かんできたのはその頃だ。
「ひょっとして神様の御利益?」
「うっそー!?」
「じゃあ、大鳥居をくぐろう!」


200~300メートルある参道を通って一旦鳥居を出て、改めて一礼をしたうえで鳥居をくぐる。
写真を撮りながらということだから、随分のんびりしている筈だ。

「もう一遍お詣りする?」
「お賽銭ももう一度上げようよ!」

決して綺麗ではなかったが、
秋のリベンジだ!


お正月らしいですね


不思議なことに、参詣の間、一度も腰痛を感じなかった。
信じられない事である。確かに朝は痛かったのだ・・・。
友人にその事を「どうせ明日には復活してしまうだろうけどね」とメールしたら
「きっと神様の御利益!良くなることを信じてますよ~!」
と返ってきた。
そう信じたい。