2014年5月4日日曜日

還暦爺さんの冒険旅行 ~3~ ポンペイ&ナポリ・ツアー

朝の5時半にアラームをかけ、6時35分のお迎えに間に合わせなくてはならない。
今日のツアーは全額(ランチ込み)支払い済みなので、取り敢えずお金の心配は不要。

待ちかねてホテルの外で待っていると、小さなバンが停まり日本語で「おはようございます!」と挨拶が。

妻と共に乗り込むと、イタリア人ドライバー、日本人ガイド、更には日本人客二名が車に乗り込んでいた。
お客は二人ともご婦人。

共和国広場にある「My Bus」の営業所に到着し、他の送迎車の到着を待つ。
続々と入ってくる日本人!
どこに、こんなたくさん日本人が居たの?というのが実感。
My BusはどうやらJTB系の旅行会社らしい。

到着を待つ間にも、妻は同年輩の単独行ご婦人(A女史)と話し込んでいる。
このA女史、いつも一人で海外旅行を決行しているらしい。
大阪から来ているらしかったが、「朝日サンツアーズ」で来ているとか。
なかなかマニアックなツアーがあるのでお気に入りらしいが、お一人様参加の為、安からぬ追加料金を払っているらしい。さもありなん。
妻と二人で「卒婚?」などと、既に大いに盛り上がっていた。

さて、メンバーも揃い出発。
スタッフを除いて、ローマからは12人の旅立ちである。
メンバーはこのような顔ぶれ

  • 私より5歳程度上のご夫婦
  • 私より10歳程度若いご夫婦
  • 母と息子
  • A女史
  • B女史
  • C女史
  • D中年男子
  • 私達二人

途中、ナポリから三人合流するので、最終的には15人となるそうな。

本当にローマ市内の小ささを実感すべく、10分も走ればローマの城壁を抜け郊外に出る。
郊外に出れば、すぐに田園地帯が広がる。
ローマ市内を出ればこんな田園風景

バスの中では日本人ガイドである大場さん(男性)の名調子が弾む。

  • 大方のイタリア人は都会のアパートに住んでいる
  • 普通の人は郊外に別荘を持っている
  • 週末・休日は郊外の別荘で過ごす
  • 5/1メーデー、昨日・今日の週末と続いたので郊外から帰る車で帰路は混む
などと説明を受けながら車は緑の中を進む。
  • イタリアの国土は日本から四国を除いたくらいの面積
  • 人口は日本の半分(6千万人)
ゆったりしているはずである。
今、日本では少子高齢化が大きな問題になっているが、それは急激に人口が減ることが問題なのであって、ひょっとして人口が半分程度に落ち着いた後は案外快適な社会になるのかも?などと考える。
採石場。イタリアの建物は良質な石に支えられている。


高速道路がアッピア街道と交差する。
綺麗にイタリア唐笠松が並んでいる。
大場さんの説明によれば、日本の東海道に植えられた松と同様、日除けの為に植えられたとのこと。雨除けにもなっている。
日本と違うのはその街道を馬車が走ることを前提に考えられているので、松の下枝は切り払われているのだそうだ。

憧れのアッピア街道


ベスビオ山を左に見てバスはナポリ市内に入る。
ベスビオ山

ローマも大概汚いが、ナポリはそれ以上。
まるで街全体が大きなゴミ箱のようだ。
大場さん曰く「ローマも含めて北アフリカですからね~」

昔からイタリアの南北問題はよく語られるが、街の様子を見ればそれは一目瞭然。


ナポリ市内


ナポリにもガレリアがありました。



追加の3人を拾い、カメオ工房で時間を費やす。
カメオで作られたランプシェード

カメオは貝の層を利用して作る

昼食はポンペイ遺跡にほど近い団体様向けリストランテである。
居るわ、居るわ!アメリカ人、中国人、韓国人、日本人・・・全部団体。
正直、日本人がこんなにイタリアに来ているとは思っていなかった。
何せ私達は個人旅行をしているので、イタリア来ても日本人と出会うことはめったにない。
名古屋からヨーロッパの都市でトランジットするまでは結構居るのだが、トランジットした途端、日本人はどこかに消えてしまう。
今の日本人客は団体にしてもこじんまりとし、個人旅行が増えているのだと思う。
それに比べ中国人は老いも若きも団体パワー全開である。韓国人も団体が多い。
アメリカ人は若い人たちは個人旅行。中年以降の人たちは団体が多い。
とにもかくにも、今日は日本人に囲まれて(昨日はあんなトラブルがあっただけに)実にホッとしている。

食事はナポリのピザということで期待もしていたが、前宣伝ほどでは無かった。
団体向けリストランテでは無理もないか?

さていよいよポンペイの遺跡である。
外壁からこの街が海辺の町であったことが窺える。今は相当内陸なのだが・・・・
この街が豊かだったのは、ここが貿易拠点だったからであり、ナポリが貿易都市として発展するのはポンペイが消滅した後である。
常にガイドさんに近い場所を確保します。両端は達人B女史、C女史。

遺跡の入り口を抜けると

円形劇場


ガイドの大場さんとも段々親しくなり、彼が説明を始まる前に私が突っ込みを入れるので「今から説明するのっ!」とたしなめられる場面も何度かあった。

横断歩道


権力者の館

この写真はよく見ます。飲み屋ですね。


特に印象に残ったのは、お風呂の説明があった時。
ローマ人がお風呂好きなことは、今や映画で誰でもが知っていることだが、ポンペイにもその公衆浴場はあり、屋根を除いては全てが残っている。そしてその壁が二重構造になっている。
お金持ちの家もそうだが、当時から壁が二重構造になって床暖房、壁暖房が施されてあったということである。
日本が同時代を弥生時代と呼んでいたことを考えると・・・・・
脱衣室。両側の棚はロッカー。

二重構造になっているのがわかる


娼館にも驚いた。
畳2畳程度の個室に石のベッド。マットはどんな素材が使われているかは聞かなかった。
壁にはいわゆる「春画」が掲げてあり、その色彩も失われていない。
笑ってしまったのは、その娼館のアイコンである。
性については実におおらかだったのだそうだ。
厳格になったのはキリスト教以降とのこと。
なるほど・・・・日本も江戸時代以前はかなり大らかだったようだから。

リアル!

石のベッド



これが娼館のアイコン。全員が吹き出した。ここまでしなくても・・・

メインストリートには娼館の方角を示すアイコンまでが・・・アイコン?商魂?

パン屋も何軒かあった。
粉をひく石臼とパンを焼く窯が残っている。
その窯が、今のピザ屋の窯と全く同じなのには驚いてしまった。


今の窯と全く同じです


手前は石臼。奴隷がひくのです。



上水道が完備され今もその鉛管が残っている。弥生時代に上水道って?!
玄関のモザイクが綺麗に残っている


出口に近い館では一室を説明された。
壁全体に赤い絵が何枚か描かれてある。
少女がやがて男性と結ばれて一人前の女性になっていく様子が極彩色で描かれてある、と大場さんは解説していたが、この絵画の意味については諸説あるそうな。

何のためにそんな部屋が?
なんとも分りません。
別の旅行パンフレットをみたら、この建物「秘儀荘」というのだそうだ。ま、後付けでしょうが。








ローマのフォロ・ロマーノが政治的な中心地であったことと比べ、ここポンペイは人々の生活の場であり2千年前の人の息遣いすら感じられる。
本当に来てよかった。
ポンペイの遺跡が発見されてから400年。
相当ダメージを受けているようで、雨風、盗難にさらされているそうだ。
大規模な修復と盗難防止対策には莫大な費用が必要だ。
世界遺産だらけのイタリア政府も頭が痛い事だろう。

このツアーで参加メンバーとも適度な距離感を保ちながらコミュニケーションできたのも楽しかった要因かもしれない。
何と言っても驚きはご婦人単独行だ。
先に述べたA女史は団体ツアーで来て、オプションとしてこのポンペイ・ツアーに一人で参加している。

B女史はもっと凄い。「私、絶対に一人でしか来ないから!」と言い切る。
以前、友人と旅行してひどい目に逢ったから、とのこと。
友人の我儘に我慢できなかったそうな。きっとご本人の我儘もあったろうが・・・・
如何に仲の良い友達でも一週間以上も24時間一緒に居て、しかも逃げ場もない。
それに懲りて、以降は一人旅に決めたとのこと。
しかもツアー便乗型ではなく、私達と同じくエアーからホテルまで自分で全てを手配して来ている。荷物もリュック一つだけなのだそうだ。
下着類も予備は1セットのみで毎日バスルームで洗濯すれば翌朝には乾いているからとケロッとしている。
着替えは薄手のものを何枚か用意し、寒い時にはそれを重ね着をする。
どうみても私より年上だ。
荷物の少なさには敬服した。見習わなければ!

C女史も私と同世代のようだったが、平気で他の外国人客に話しかけている。
どうみても旅慣れている。
3人のご婦人に共通しているのは、中高年であるにも関わらず、スリムでパンツ姿がよく似合う。
柔らかく歩きやすそうな靴を履いて、頭には帽子、リュックを背負って身軽に歩き回っている。
そして、何より見事なのは他人との距離と取り方である。
もちろん、拒絶もしないし、妙にくっつきもしない。
恐らく、何度かイヤな目に逢った過去が彼女らをそうさせているのだろうが、それは実に見事である。ただただ敬服。

ピンボケだが向こうに見えるのがカプリ島
帰りのバスは全員寝たり起きたりで、途中の高速道路で渋滞があったものの、ほぼ予定通りにローマに到着。
楽しい一日であった。








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