2016年1月27日水曜日

そして今日僕は退院した

唐突だった。
整形外科病棟が満床なので退院して欲しい、と言われたのは昨日の朝。

術前と術後の画像を比較し、「ここをのみで削って・・・」との説明。
「のみ」って?少々チカラが抜ける。
心の準備は全くなかったが、主治医に大丈夫と言われて抵抗する術もないし、抵抗する意味もない。
不安はある。ここからどうやって筋力・体力を増強していくかだ。
それに対しては医大の別施設である「療育センター」を紹介してくれた。
ここと、いわばスポーツジムのような場所であるが、患者のカルテ情報等が共有され、理学療法士の元で個々のプログラムが組まれる。

午後からのリハビリも突然の退院を前にし、自分で行うストレッチ方法などを急遽教えて貰うことになった。
リハビリセンターも基本的には入院患者のみを対象とするのだが、無理を言って暫くは付き合ってもらうことにした。まあ、それくらいの我儘は聞き入れてもらおう。

夜、担当理学療法士が顔を出してくれた。色々気を使ってもらい感謝している。
その後、ドクターも顔を出した。
急な退院を詫びるとともに、外来での再会を約束した。
彼が羨ましがるような旅行を企画せねば!

あー、これで一人のんびりと眠ることができる。

今朝は初めて寝坊をした。
看護師に起こされてしまった。
昨日から荷物を減らしていたので、準備にも時間はかからない。

11時前にに妻が迎えに来た。
久しぶりの外界の空気は本当に冷たかった。今日はまだましだと言う。ふーん・・・

途中でお昼を食べていくことに・・
「思いっきりジャンキーな物が食べたいなぁ!」
「味噌煮込みうどん」vs「香辛料たっぷりのハンバーグ」で迷ったが、結局ハンバーグに決定!
あー、身体に悪そっ!旨い!

家に着く前、近所の池の横を通った。
鶴と亀が居た。
咄嗟には何なのか分からなかった。
しばらく、言葉が出なかった。
妻にそのことを告げたのは、通り過ぎた後だ・・・・
あれは幻だったのかもしれない。

2016年1月25日月曜日

22日 忙しい入院Life(後編)

お昼を食べた後はリハビリ。
今日は3階のリハビリテーションセンターまで一人で歩いて行かねばならない。
ゆっくりと手摺の近くを歩いて辿り着いた。
昨日と同じように、世間話をしながら軽いストレッチをしてもらった後は、歩行訓練。
一人である行く姿を後ろから見てもらった。
昨日よりはずっと力強くなっている、という評価にすっかり気を良くした。
「次は階段です!」
え?もう?
「ゆっくりで良いですよ。手摺を持って、だけど一段ずつ下まで降りて下さい。」
言われるまでも無く、ゆっくりとしか進めない。
下まで行ったら、今度は上りだ。
予想以上に体力が要る。
今日はここまで。
明日・明後日は土日でリハビリはお休みとなる為、できる範囲で良いから体を動かすように言われた。
コツとしては、息を吐ききってお腹を引っ込める。その態勢をできるだけ維持したまま運動を行うということ。要はインナーマッスルを鍛えるということらしい。
また、手摺に摑まったままで良いので、軽いスクワット・片足立ち・かかと上げなどを行えると良いとのこと。


部屋に帰って休んでいると、浜松からUさんが”オー!”と言いながらやってきた。
会うのは去年の9月以来だろうか?
彼は、元居た会社の一期先輩であるが、病気に関しては大先輩である。
私が知っているだけでも、糖尿病と胃癌。
病気の話は今までにも沢山聞いているが、自分がその立場に立って聞く話は、恐らく今までとは随分臨場感が違うのだろう。
ラウンジに移って、遠慮なく声を出す。

仕事の話もちょっぴりした後は、当然二人の病気自慢である。
話は本当に尽きない。今回の体験は勿論語ったのだが、Uさんの話の方がバリエーションが豊富な分圧倒的に面白い。
途中からは妻も加わり益々話に花が咲く。
妻とUさんも既知の間柄なので、お互いに遠慮なく話せるのが良い。

箇条書き風に特に印象深い彼の話のタイトルだけでも記するとしよう。
1.今までに7回入院した。
1-1.うち1回は原因不明の下肢の痛みで検査入院(一か月間) 長すぎだろ! 
1-1-1.途中で症状が無くなったので退院しようとしたが、病院が検査したがった。興味本位?
1-1-2.「心電図」と「筋電図」は混同し易いが、全く別物
1-1-2.恐怖の「筋電図」体験
1-1-2-1.手に畳針くらいの針を刺された。ギェッ!
1-1-2-2.「」事前に言ってよ」とクレーム入れたら看護師「言ったら皆さん嫌がるから~」爆笑
2.胃癌はステージ3Cだった。
2-1.術前の調べでは五年後生存率は20%。ダメだろうと覚悟をした。そうだよね
2-2.去年夏前に5年後を無事迎えた 二人で年季明けのささやかなお祝いしました
3.糖尿病
3-1.胃癌の手術以来、糖尿病の数値が改善されている。
3-2.胃を全摘しているので栄養の吸収率が悪くなり、それが糖尿病改善につながっている。
3-3.逆に、ここ数年低血糖に陥り、倒れることに。 それはそれでヤバイ
3-4.なので人工透析になる事はないと思う。 なら良いけどね
4.胃癌の手術の後も痛みコントロールができていて、入院中傷口一度も痛くなかった いいなぁ
5.尿路ドレーンを自分で抜こうとしたが出来なかった。馬鹿かっ?普通しないぞ!

それ以外にも3人はランダムに喋りたいことを喋りまくった。
そう言えば、妻のマルタ島旅行報告もまともに聞いていなかったっけ。
「ドバイのトイレは面白い!」
「トイレは文化だ!だからTOTOが頑張ってもヨーロッパにウォシュレットは普及しない」
「マルタ島到着初日に行方不明者を出してしまい、現地警察まで出動した」
「旅行中、隣の友達のイビキが酷かった!」
「でも友達だから言えないし・・・・」
「オレだって、同室の部屋の人のイビキすごいんだぞっ!」

Uさんは、最近「腓骨神経麻痺」の疑いで悩んでいる。
そのおかげで足の親指を骨折してしまったが、整形外科医も「腓骨神経麻痺」のことはさっぱり解らないらしい。
最後に、私の主治医に「腓骨神経麻痺」の事を尋ね情報収集する約束をし、U氏を見送った。

実に楽しい時間を過ごすことができた午後だった。


2016年1月23日土曜日

22日 忙しい入院Life(前編)

寝不足だ!
四人部屋でしかもオッサンばかりなので覚悟はしていた。
しかし、それは尋常では無かったのだ。
普通のイビキなら多少は許せるが、そいつは違った!
「絶対に無呼吸症候群だ」
暫く無音が続いたと思ったら、突然フグヮー!と獣の雄叫び。
そのあと、酸素を取り戻そうとばかり、必死な細かい呼吸が少し続くのだが、また無音に・・
聞いているほうも気が気ではない。
規則正しければ多少ましだが、結構不規則。予想もつかない(予想つけなくても良いとは思うのだが・・)のだ。
自分の知識レベルを超えた本を読むと眠くなるという習性を利用して物理学の本を読んだが、それでも眠くならない。
クソッ今日は妙に物理が頭に入るぜ!
こいつ整形外科じゃなくって、別の診療科に行けよ!
質の悪いことに、そういう奴に限って寝付きが良いときているから堪らない!
こりゃ、明日以降も心配だ。

朝食後ドクターWが回診に来た。
術後から何となく感じていた左足の違和感について話をした。
左足の甲の感触が術前と比べ、また右足に比べ明らかに鈍い感じがするのだ。
勿論、看護師にも理学療法士にも伝えてある。
ドクターWにも話してあったが改めて話をした。
特に左は癒着していたので、神経にも触ったのだという。
やむを得ない処置ではあるが、何らかのそれの影響だと考えられるとのこと。
「たまに会う姪っ娘だと思って下さい。」
その心は?
「毎日見てると成長って分からないもんでしょ?」
お後がよろしいようで!
それだけ時間をかけて観察していかなければいけないということなのだ。
使いまわしの定型句を使ったのか、文学的才能が有るのか良く分からないが、即座に納得した。
彼が仕事してたのはそこまで。

ドクターの視線が、私の読んでいたプログラミング関連の書籍に止まった。
「あれー!本当にエンジニアだったんですね?」
「そりゃ、そうですよ。せっかく時間があるんだから勉強しようと思いましてね」
医者のIT好きは私もよく知っている。
そこから二人の私的な会話が始まった。
私の職歴に始まって、実は去年は二度も海外旅行の予約をコイツ(腰)のお陰でキャンセルする羽目になったこと。

私が無類のイタリア好きであることを告げるとドクターもそうだという。
「イタリアへはいつもミラノから?ローマから?」
「そりゃ、ローマでしょ?何度行っても良いですからね!」
話は一気にイタリア談義、そしてヨーロッパ談義へと向かった。
勿論、彼の場合は学会での仕事であることは明確だ。
43歳、いい年頃だ。比較をしては失礼だが、私が当時勤めていた会社を飛び出す前の歳ということになる。男が生涯で一番良い仕事ができるのは、正にこの年齢なんだろうと思う。
奥さんも勤務医をしており、夫婦での海外旅行などは考えられないとのことだ。

そして話は社会文化論に・・・面白い話が聞けた。
海外の医者からすると相当日本という国、日本人という民族は特異に映っているらしい。
極東のそのまた端っこの国が、結構先端的な医療に挑んでいて、それはアジアという括りでは語れないものを持っているし、中国とは全く違うということを、彼らは明確に解っている。
ところが、実際に日本に来てみると、誰も英語すら話せない。そのギャップが特異なのだろう。
「日本に住んでりゃ英語なんて必要ないですもんね!」
ヨーロッパ全土のモダリティ(CT,MRI等の画像診断装置)の全台数と、日本の全台数はほぼ同数なのだそうだ。
また、ヨーロッパの医療では何かあれば、即ドイツということになるらしい。
予測通り、彼は名古屋大学の出身であり今もその影響下にある。その関係で海外での学会への参加、講演のチャンスを得ているのだという。
「そのことに私自身は誇りを持っているし、日本からもっと海外に発信していきたいですね。そういう意味では医療ツーリズムなんてこれから日本の基幹産業に十分なり得ると思いますよ。」
「その意見には私も大賛成。私が昔よく出入りしていた名古屋K病院でも・・・」と言うと
「名古屋K病院、私昔ちょっと居たんですよ!トップが先輩でもありますしね」

そこから話題は名古屋K病院に・・・・
そして、自然と人工透析の話題に・・・
「人工透析、殆ど自己負担なしでやってるの、日本ぐらいなもんですよ!」
彼の持論によれば、「自業自得」なのだとか。なかなか辛辣である。
確かに透析患者の大部分は糖尿病性腎症から来るのだから、多くは当たってる。
「だから保険制度が赤字になるのは当然ですって!」

「で、腰治ったら、今度はどこ行くんですか?」
「今度はポルトガル!食べ物が美味しいんだって!」
「へぇ~!良いなぁ!ポルトガルは行ったことない」
「じゃ、帰ってきたら土産話お聞かせしますよ」
「3月には行って貰って全然構わないですからね!」
「え?3月に大丈夫なの?」
「全然、大丈夫!」

自信満々なドクターとの会話を楽しんで元気を貰った午前中だった。

2016年1月22日金曜日

21日 とうとうWireless !

午前中に11階から12階に移動した。
本来の整形外科の病棟は12階なのだが、満床状態が続いているらしい。
それでもようやく空きができたとみえる。
昨夜は背中の痛みで苦しかった。
寝返りをうつたびにうめき声を挙げてしまう。まあ、病院なのだから許して貰おう!

午後からリハビリとの指示が入った。
と、いうことはそれまでに点滴外れるのか?と期待していたが・・

点滴とご一緒に車椅子でリハビリ出勤。
それでも、刻一刻と背中の痛みが和らいでいるのが良く分かる。
理学療法士は優しいお兄さん。
柔らかなストレッチの後、歩行訓練。
やはり点滴タワーにすがって歩いてる、との指摘だ。
分かっちゃいるけど、怖いんですよ。じいさんは!
どうしても猫背ぎみになってしまう。
それに左右のバランスも悪い。
少しずつ肩甲骨の運動をして、胸を張るようにしよう、と言われた。
今日のところは、軽いメニューだ。
コルセットは常時着けるよう指示が有った。寝る時も、だそうだ。うん、確かに結果としてはその方が楽だったのだ。
せっかく作ったオーダーメイドのコルセット、使い倒すぞ!

部屋に戻って、昨日電話を貰った浜松のUさんに電話した。入院日を正確に知らせてなかったらしい。
「暇だから明日行くわ!」
ヒマかよ?
楽しみが一つ増えたな。

夕方になって看護師が来て、いきなり
「点滴おしまいにしましょう!」
心の準備が要るじゃん!
まだ残ってるじゃん!って思いながら大賛成だ。
テープをはがし、いとも簡単に引っこ抜いた。
いささか、普通の注射針とは違う抵抗だ。
別に望んでもいないのに、嬉しそうに僕に見せる。あんたどSか?
ハッチャー!痛い訳だ!!
これでは刺されたときに「ウァオー!」と叫んだのも無理はない!と妙に納得。
それはそれは恐ろしい姿をしていた。
鋭利な刃物で斜めにカットされた穴空きスパゲッティがトマトソースの中から取り出された直後、といった様相である。
しかも長さは4cm はあったろう。
それが手首の少し上に刺さっていたかと思うと、チカラが抜ける。

しかし、兎に角これで私はWireless になったのだ!

20日 Wired な病室

地獄のICU からは無事脱出できたが、私の身体はなおWired な状態だ。

11階の病室からは名古屋の雪景色が一望のものに眺められる。が、ベッドの上からでは充分に堪能できなかったし、第一に私にその気力が無かった。
ドレーン(誘導菅)が入っている不快感、手術の傷口の痛みは、確実に私から気力を奪っていたのだ。

本を読む気にもなれず、ただぼんやりと窓の外を眺めるだけの時間が過ぎる。

術前のアンケートで「パイナップルが苦手」と書いたことで、若干神経質な器具が使われていたようで、看護師が時々見学に来る。
ドクターの話によれば、
「パイナップルが苦手」=「トロピカル・フルーツが苦手」となり更には
=「ゴム・アレルギー」
となり、特殊な器具を使うことになったらしい。
見せ物じゃ無いって!

浜松の友人から電話が入っていたが、話をする元気も無いので無視し、メッセージだけを返信しておく。

夕方近くになってドクターの回診があった。術前にあった脊柱菅狭窄特有のお尻からふくらはぎ外側に走っていた痛み・痺れは綺麗さっぱり消えている。
この報告にドクターも「合格点貰えますか?」
私は思わず「花丸💮ですよ!」と返しておいた。
傷口も良好とのこと。
「じゃあ管、取りましょう!」
早速背中から出ていたドレーンが外される。血腫を防ぐ為に入っていたのだが、極、浅い場所から出ていたドレーンなのでダメージは殆んど無い。

ドクターが去った後、尿管から出ていたドレーンも外される。あ~、不快なんだろうな~!
看護師は事も無げに処置する。
外される瞬間、言い様の無い不快感が下半身を走る。
「男性は尿管が長いから不快でしょうね?」軽く言うなって!
女子の尿管がどうなっているかはつまびらかでないが、女子だって不快には違いない!
「最初オシッコする時ちょっと痛いですけど心配ないですからね~」
確かにそうだった。

兎に角、これで繋がっているのは点滴だけになったのだ!この解放感!
点滴タワーにすがって部屋の入口を往復してみる。
歩ける事は素晴らしいことだ!

夕方になって妻と娘が来た。
少しは明るくなった表情が見せられたかな?
娘のキツ~い一言
「お父さんのねぐせ、笑える!」

2016年1月21日木曜日

19~20日 魔のGICU

何がGeneral なのか良く分からないが、とにかくICU の前にGeneral という文字が付いていた。
ただ、私にとってはGeneral だろうがSpecial だろうがどっちでも良い!
兎に角、一刻でも早くその場所から脱出したかった。

手術後すぐにICU に直行。
気が付いた時には、傍らで妻が「ICU には7時半までしか居られないから」と言っていた。
という事は少しだけ寝てたのか?

妻も去り、孤独な戦いが始まった。

痛み止の麻薬が効いているらしく、痛みはさほど感じないが、それでも身体は自由にならない。前もって「自分で寝返りをうってはいけない」とも言われている。

うつら・・うつらしていると、定期的な検温に看護師がやって来る。
「お熱計りますね~」
「血圧計ります~ね」
「足の指は動きますか~?」
「足首動きますか~?」
「寝返りは良いですか~?」
と言いながら、私の身体に繋がった管を点検する。そうだ!私はWired なのだ!何本?分からない!

私は弱々しく「今、何時です?」
「9時ですね~」と優しく応えてくれる。
「夜の?」
「そうです。」
あ~まだ夜の9時なんだ・・

こんなやり取りを何度繰り返した事だろう?
ひょっとして永遠に朝は来ないんじゃないか?
朝が来る前に、俺は狂ってしまうんじゃないだろうか?
と、何度思った事だろう?

「1時ですね~」
の次が「5時ですよ~」に変わった時、「稼いだ!」と思った。
その時、看護師が言った
「雪が積もってますよ」
あ~そうか・・雪降るって天気予報にあったな~と思い出した。が、ICU からその景色を臨むべくもない。

昼担当の看護師に変わった。
何となく朝の冷気を運んできてくれた。
私の意識も少しずつはっきりしてくる。
「雪降ってるんだって?」
「雪積もって通勤が大変だったんですよ」
そうか・・外は大変なんだ。

「何時に病棟戻れるんですか?」
「はっきり分かりませんが10時頃には戻れると思いますよ」
あと3時間。
あの殺風景な病室が懐かしく思える。

ようやく10時近くになった。
「病棟行きますね~」
この言葉をどれ程待ったことか!
しかし、相変わらずWired ではある。

19日 手術ライブ?

さすがに手術前は緊張していた。
というより、正確には、手術時間がはっきり告げられない為に、不安と所在無さがない交ぜになったものだったろう。
妻と冗談で「執行を待つ囚人の気分」と話をしていた。
だからむしろ「3時半に決まりました」と言われてからは落ち着いた。
ところが、予定の45分前になり「早まりました。今からです。」と告げられた時には慌てるしかない。

それまでの普段着のまま、スタコラ看護師と歩いていく。
妻とはオペ・エリアの前であっさりバイバイだ。
名前と生年月日を確認して、いよいよオペ室に。

スタッフが5~6人も居たろうか?
その中の一人が「宜しくお願いしま~す」と気楽に声を掛ける。くだんの主治医だ。私も反射的に「お願いしま~す」と返す。
看護師が「ここに座って下さ~い。」
思わず、「え?ここ?このままの格好で?」ドラマで見る厳かな雰囲気と余りにかけ離れている。
私は狭いベッドの上に足を投げ出して座り、上半身の洋服を脱いだ。
一人の看護師が私の左手を取って「点滴打ちますよ~」
「ウァオー!」予想を超えた痛さに思わず、冗談混じりの声をあげた。
「手術の点滴はちょっと太いですからね。入れてきますね。」
私が覚えているのはここまでだ。

次の瞬間はドクターからの「終わりましたよ~!」だった。
神経とその周囲の靭帯組織が癒着して痛そうで、痛かったのも無理はないそうだ。
思わず、ドクターと握手した。
妻に確認したら、40~45分程度かかったらしい。

さて、この後に地獄のような時間帯が待っていようとは、この時思わなかったのである。