空は快晴。気持ち良い朝だ。
残念ながら俳句の主宰に超々忙しい森田はここでお別れだ。
さて、今日のスタートは同志社から。
今出川御門から御所に入れば、既に紅葉も始まっている。
それにしてもこんなにしっとりとした素敵な場所だったのか?
50年前には何の感慨も無く過ごしていた自分が実に恥ずかしい。
確かに、猿が辻も松が大きくなって、ここで輪になって歌うという事は難しいのだろう。
同女大お花畑(またの名をロマンスロード)の前を通って出町柳に向かう。
歩道が広くなっているのが嬉しい。市電が無くなった効用か?
同女横で 治療に通っていた歯医者が残っていたのが個人的には奇跡だったが「ほんやら堂」「月餅」は影も形も無い。「王将」も無くなっていたということは今時の学生は「王将」の餃子は食べないってこと?
しかし出町柳の商店街は以前に増して盛況だ。
当時は無かった京阪出町柳駅前を通り百万遍に。
JEANS SHOPの「HALF」は既に無い。
但し飲食店は圧倒的に増えている。逆に言えば当時の京大生は飲食はどうしていたんだ?学食がメインだったのかな?
古書店が昔に比べ減ってる感じがする。昔、見栄を張って三木清の「哲学入門」を買った事を思い出す。何行読んだか覚えがないが。
農学部前を通る。
当時は「ちょっとダサいなぁ」などと不届きな想いで通っていたが、今や最先端だ。自分の不明を恥じるばかり。頼むぞ、農学部!
思い出いっぱいの銀閣寺道では、「NOANOA」でお茶休憩。3年間をここで過ごしたが、この店は私は初めてだ。アパート近くでお茶したりイタリアンを食べるなどという事はとても贅沢の極みだった。
ここでもやはり各自がエピソードを繰り出す。誰かがそれに被せて後を継ぐ。実に話は尽きないのだ。
そろそろ銀閣寺を避けて哲学の道を南に向かおうか。
紅葉が美しい。
足腰に疲れが出てきたチンペイとそれをサポートするガバリはここから別行動をとることにした。チンペイの体力が気にかかる。
法然院は相変わらず地味に美しい。昔も観光客の穴場になっており、僕は何度も独りで静けさに心癒やされに来た思い出の場所である。
更に南下して哲学の道も終端に近づこうとする頃、事件は起きた。
気がついたら僕は落合と2人になっていた。後ろを振り向くと哲人と山田さん、更にはJason君が姿勢を低くして何かを凝視している。50m戻るということは100m歩くということだ。なかなか決断できずにいたが、向こうも状況は変わらない。やむを得ず戻ることにしよう。
なんと、哲人は階段を降り始めた。尋常ではない。
山田さんの傍らで高齢女性がうずくまっていた。体調が悪いらしい。
哲人は救急車を呼び、更に救急隊を先導しようとして、車道に出て待機しているようだ。
幸い若い医師が様子を見に来た。
さすがにプロである。要領よく女性から状況・病状を聞き出し、嘔吐に対応する。また女性の家族に連絡を取り、再度の連絡を待ってもらう。なかなか救急車は来ないが、ここでできることは何もない。
ようやく救急隊がきて、哲人も戻って来た。
救急隊が頑丈なシートで3人がかりで女性を階段から座った状態で降ろすことを確認して僕達はその場を離れた。聞けば女性は76歳とか。決して他人事とは思えない。
鹿ケ谷通に出ると、未だ救急車がパトライトを点滅させて停まっていた。まだ病院に向かっていないのか?不安が残る。
南禅寺から地下鉄に乗るころには既に2万歩を超えていた。
今日はカラオケは止めよう。さりとて他の愉しみ方は?
とは言っても食事だけで終わる訳もなく、行き当たりばったりのBarで喋り、コンビニで「最後のワン・ショット」を買ってホテルのロビーで喋り、挙句の果て「もう少し静かにして頂けませんか?」とホテル従業員に叱られた。やっちまった!
皆といると自分が高齢者である事を忘れてしまうのだから仕方ない。
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