2013年11月24日日曜日

愛岐トンネル群の紅葉

今年の紅葉狩りはどこにしよう?と思っていたが、24日の日曜日は仕事ということもあって遠出は当初から諦めていた。

身近な所も一通り行ってしまった感もあり、かと言って超有名な場所は混むに決まっている。
そんなことをふつふつと考えていたら、先輩が「愛岐トンネル群」の事を教えてくれた。

明治33年に中央本線の定光寺~古虎渓(ここけい)に14ものトンネルが作られた。
その路線は山の間を庄内川沿いに縫うように走っていた。
1966年中央線の複線電化に伴い路線は変更され、列車はもっと長い愛岐トンネルを通るようになり 、これらトンネルは廃止された。
1960年頃には定光寺あたりを走っていた蒸気機関車が崖の上から落ちてきた岩と接触し土岐川(庄内川)へ転落する事故が起きており、そのことも長大なトンネルを建設する一因になったのかもしれない。

これらのトンネルはそのまま40年間放置され、人々の記憶からも消えてしまったが数年前から、愛岐トンネル群保存再生委員会 の尽力によって秋の数日間だけ公開される事となった。

と言っても、私自身は中央線に蒸気機関車が走っていた頃には乗った事が無い。
登山を始めて中央線に頻繁に乗車するようになったのは、電化複線が済んだ暫く後のことである。 

先輩からは朝は混んでいるので、午後からにした方が良いというアドバイス通り、昼過ぎから出掛けることにした。
駐車場は無いとのことだったが、名二環を高針から小幡まで走らせ「高蔵寺」まで行き、そこで駐車場を見つけ車を預けた。駅に行ってみると「高蔵寺」から「定光寺」までは一駅だ。
先輩は高蔵寺の住人なので、これは全く地元のイベントだったのだ。

愛知県人とは言え、どうもこの辺の地理には疎い。定光寺そのものも紅葉で有名であり、そこへは過去に行ったことがある。その時には瀬戸市だと思って出掛けたのだが・・・春日井市??

多治見までは名古屋の通勤範囲内であり、電車の数も多いのでさほど待つ事もなく、乗車。
高蔵寺駅をでると直ぐに景色は一変した。山また山である。
おー!これは旅情を楽しめるな!と思ったのもつかのま「次は定光寺、定光寺」とアナウンスの声が聞こえる。う~ん、何と言っても一駅しかないからなぁ・・・残念!

初めての定光寺は想像以上に山深かった。
駅そのものが山と川に挟まれた狭い土地にへばりつくように存在する。
ただし、降客は多い。みな目的は同じと見た。
ホームから階段を下りて川側の出口に向かうと、やたら数多くの駅員さんが「切符の方は右側、ICカードの方は左側にお並び下さ~い!」「帰りのキップは販売致しておりませ~ん!」と大声で案内している。
ほーっ!ICカードも使えるの?
と思ったら、JR東海さん、常設では置いていない小型の機械を、どうやら持ち込んでいるらしい。
切符の自販機は無いのに。

電車を降り、川沿いに歩くと、急斜面を登る階段へと誘導される。
ほとんど垂直の階段を登ると100円の徴収所だ。
このイベントはNPOが主催しているのだが、それなりにコストも掛っている。
100円は安過ぎるくらいかも?
「3時には閉めますから、気を付けて下さい」と言われた。
山の中のこと、3時を過ぎれば暗くなって危ないということか。
しばらく歩いて行くと最初のトンネルだ。

最初のトンネル

確かに煉瓦積みの古いトンネル。なかなか風情がある。
LEDの懐中電灯を点け、トンネル内部に入る。

実は今日のために懐中電灯を新たに購入した。今までの物は何年か前のものであり、電池をやたら消費する割には暗い。
久しぶりに電気屋に行って懐中電灯も進化していることを初めて知ったものだ。
全ては当然LEDになっている。ソーラ式の物もあれば手動の物もある。
結局私は電池式を購入した。
電池式といっても馬鹿にできない。随分進化しているのだ。
単一、単二、単三、単四と全ての乾電池に対応している!
災害時には、リモコン等手近なものから電池を抜き去り、懐中電灯に入れ替えて使うということを想定しているらしい。
この方式には何だか妙な説得力があり、私は迷わずお買い上げ!

通路はトンネル内のみならずレールと枕木は全て撤去されているが、足元には線路特有の砕石が残っており、この上を歩くのはなかなか難しい。
下手をすれば足を挫いてしまうかもしれない。
故に懐中電燈は必携なのだ。
あるいはこの砕石、その綺麗さからして新たな物を敷きつめたのかもしれないが・・・

寒さを意識して、ダウンジャケットで行ったのだが、気持ち悪いほど暖かい。
足元の不確かな所を歩いていると、汗が出てくるほどだ。

トンネルを抜けると、午後の陽光に照らし出された秋の光景が広がる。
川の水は透明で、対岸の景色を映し出している。


が、肝心な紅葉はイマイチっぽい。
色付きが「残念」な感じなのだ。
緑が多く残っている物があると思えば、既に茶色く変色が終わってしまったものもある。
いわゆる鮮やかな赤が観られないのだ。


少しでも赤い所があればすかさず狙います



逆光だと青葉もそれなりに綺麗です

お気に入りの写真

実は周囲に人がうじゃうじゃ居るのだ


二番目のトンネル



本当はもう少し美しい

空の青さは綺麗でした





トンネルに蜂の巣のようなものが・・・


対岸の様子が川面に映って綺麗です



第二トンネルを抜けると立派な楓の木が立っています

古い古いレンガにトンネルの看板が掲げられていますが、殆ど判読不能。






竹林越しの紅葉。スマホ・カメラの発色が悪いのが残念です。
午後3時近くになり、人も徐々に少なくなって我々も帰路に着くことに・・・
紅葉の色には残念だったが、久しぶりに自然の中で過ごすことができ、気持ちもリフレッシュできた。


帰り際「定光寺」駅から写真を撮っています

普段は無人駅ですがその日は少なくとも10人の駅員さんがいました

帰りは高蔵寺から、東谷山フルーツパークの前を通り、森林公園の真ん中を突っ切って長久手経由という懐かしい道を通りながら帰宅した。

明日は6時前起床で大阪まで行かねばならない。
早寝、早寝!!

2013年11月9日土曜日

B-1グランプリ 参戦?


「参戦」とは決して大袈裟ではなかった。
殆ど戦場と言って良い程だったからだ。

ここ数日の報道に怖じ気づいた妻は昨夜棄権を表明した。
何しろ「駐車場が無い!」「電車もメチャ混み!」「お料理が途中でなくなるかも・・・」「チケット買うのも並んで大変」という内容ばかりだから無理もない。

とどめは「18万人の町に60万人が訪れる」・・・だった。

どう考えても異常!!
二日間とすると一日30万人が訪れる。18万人の町に30万人ということは人口に比べ1.66倍の人数が一日に訪れるということだし、5会場に分散しても6万人の人が一つの会場に溢れかえる。
しかも日曜日は雨との予想は誰もが知っている。誰もが今日行くだろう。
本当か?
私自身もいささか心が萎える。

しかし、独りなら独りで身軽に動けば良い、と考え直し単独で行くことに決定。
但し、車は止めて電車で行くことにした。やはり駐車場は不安だし、独りなら電車のほうがコストは安い。
棄権した妻に名鉄駅まで送ってもらうことにした。

8:25
名鉄知立駅に到着。
名鉄電車なんて何年ぶり?
慣れてないので、ナビの駅名入力を間違えた為、時間をロスってしまった。
この焦る気持ちは「愛知万博」以来だろか?
電車が見えたので、走ろうとしたが・・・満員電車の光景に思わず足が止まってしまった。
満員電車に全く乗り慣れていないのだ。
心が折れる、心がひるむ、心が・・・
いや、ここまで来たのだ。少しでも進むしかあるまい!
もう、私にとっての心の戦いは始まっていた。

8:40
豊橋行き名鉄電車に乗車。
奥に乗ってしまえば案外余裕はあるものだ。
Kindleを読みながら行けば大したことはなさそうだ。

9:25
名鉄「豊川稲荷」到着
改札口に出るのも、相当時間がかかる。
帰りのことを考えてManacaカードのチャージをしておこう。
皆について行けば安心です
半分ホコ天の道をぞろぞろ、全員が会場に向かう。
下車直後の豊川駅






10分も歩けば一番近い「豊川稲荷大駐車場会場」に到着。
ここのチケット売り場は大きいので、まずはここでチケットを二千円分購入した。
計算どおり即座に買えたのは嬉しい。
まだ、開場したばかりなのか、スムースに事が運ぶ。

しかし、ここは即刻退去し目的の「稲荷公園会場」に・・・

第一の目的である「日生カキオコ」にまっしぐら。

徐々に近づいて参ります。
一生懸命作っています

期待以上に大きな牡蠣が乗っかっています。

9:45
並びはしたものの、スムースな流れで「日生カキオコ」をGet!
こんなにスムースなの?
味は、正直な感想を言わせてもらうと、強烈なソースのおかげで、せっかくの牡蠣の風味・味わいがあまり感じられなかった・・・私的にはちょっと残念!

片手しか自由にならないので
マヨネーズをかけるのも大変


ここまでは余裕だったのだ。

問題はここからだった。
どうやら「カキオコ」を食べている間に状況は一変していたらしい。
いたる所に長い行列ができ、行列に並ぼうとしてもその最後尾が分からないのだ。
次のターゲットである「津山ホルモンうどん」の最後尾には「行列制限」と書かれ、担当者は「並ぶことはできません」と言っている。
一体これはどういうこと?


10:15
状況を把握できないまま、手近に見つけた「対馬とんちゃん」の行列を発見!
この際、四の五のとは言ってられない。
とにかく最後尾に並ぼう。
あの対馬だ。まさに国境の島である。
そういう理由からでもあるまいが、ミリタリー調の若者が多い。少なくとも全員が迷彩パンツをはいている。
しかしすこぶる元気が良い。
煙に霞む中を行列が進む。
TV局の取材も入っているようだ。

作る方はゴーグルにマスク
お兄さん、何で?

コンバットのような若者が取材を受けている

11:10
それでも一時間以内に『対馬とんちゃん』をゲット!
いや、これは美味しい!
「とんちゃん」ってよく分からなかったけど、豚の肩ロースらしい。
お肉も大きくて、野菜とも相性がよく、平凡と言えば平凡だけど、とにかく美味しかった。

片手で料理を持ち、
片手で写真を撮るのは意外と難しいのだ。


食べている間に、四方八方から情報が入る。
どうやら「野球場会場」は既に会場そのものに入れないらしい。
どうなってるんだ?

11:35
再び「津山ホルモンうどん」の最後尾(?)を発見!
しかし先ほどと同様「行列制限」あり。

大人気!
隣の津ぎょうざ
買わなかったけど、このピアニカ演奏が上手かった。
やはり「もう並べません」とのことだが、よくよく話を聞くと、ようやく意味が分かった。
決して「料理が無い」という状況ではないらしい。
通路をきちんと確保するために、行列をこれ以上伸ばさないという措置らしい。
だから、この看板以降の順序は保障しないとのこと。

意味が分かれば安心だ。
「順序は保障しない」とは言っても、そこは日本人。
きちんと前後の関係は保ったままアン・オフィシャルな行列が続くのだ。


マイクからアナウンスが入った。
当日チケット完売とのこと。
「もう無くなったの?」

一旦、テリトリーに入ってしまえば
ゆったりしている。


12:15
岡山県「津山ホルモンうどん」ゲット!
列の長さの割りに早かったなあ。
ビールも買って少し落ち着いて食べるとしよう。


ビールがやたら美味しい!
初めての水分だ。

12:50
さて、そろそろこの会場を脱出して大駐車場会場に移動しよう。
その前に投票だ。
投票は割り箸でする。各会場にある投票所に行き、自分が気に入った料理の箱にその割り箸を入れれば良い。一人一票だ。
お箸を一本ずつ別の料理に投票しても構わない。

私は迷わず「対馬とんちゃん」に投票した。
最後の目的である「八戸せんべい汁」は昨年の覇者であり、今回は投票の対象とはならないらしいからだ。

13:00
「豊川稲荷大駐車場会場」に移動した。
「八戸せんべい汁」の最後尾を発見して並ぶ。
ここも行列制限だが、さすがに係員がきちんと説明しているのは素晴らしい。





13:30
「八戸せんべい汁」ゲット。
さっぱりして実に美味しい。
実は、昨年B-1グランプリの様子をTVで見た時にこの「八戸せんべい汁」が食べたいな!と思ったのが今回の参戦のきっかけになっているのだ。
この会場では、駒ヶ根の「ソースカツ丼」郡上八幡の「カレー」等、興味を引くものも多々あったが、地元に近い物はいつでも食べられる。
お腹もそろそろ出来上がっており、訪れる可能性の低い「八戸」が最優先だ。

一味を振りかけて
野菜たっぷり


同じ青森県でも八戸と津軽は仲が悪いという話を思い出した。
昔は津軽藩と南部藩と異なる藩だった。
言葉も、或る小さな川を境に、南部弁と津軽弁と違っており、我々には多分その違いは理解できないだろうが、地元の人にとっては今でも違和感があるらしい。

13:45
お腹いっぱいだ。
「料理の提供終わりました」というテナントもぼちぼち。
早いなぁ!もう終わっちゃったの?

私は会場を脱出し、帰路に着いた。



帰りだというのに、団子屋、メロンパン、ソフトクリーム、果ては鰻屋までが長蛇の列…
皆さん食べて来たんじゃないの?

今から会場に向かう人もいる。

豊川稲荷は敷地も広くなかなか立派だった。
子供のころ一度初詣で来た事がある。
当時は周囲の道路が舗装されておらず、私は車に酔ってしまった思い出がある。

14:15
名鉄「豊川稲荷」を出発。
帰りも同様、混んでいる。

15:10
名鉄「知立」到着。
少し早い時間だが、慌しい一日が終わったような気がする。
それにしても、4食頂いたが、どれも甲乙つけがたい美味しかったというのが正直な感想だ。
郷土の誇りを賭けて参加している気持ちが、こちらにも充分伝わってきたことが嬉しい。


2013年11月5日火曜日

こおりやま音楽祭「楽」

明けて11月4日、我々のライブ本番である。
昨夜はお酒で眠くなり、少し早目に自室に切り上げたので、お酒も残らず睡眠時間もたっぷりとって爽やかな起床。

ホテルで無料のパンと紅茶、ゆで卵を食べて10時半に会場に向けて出発。
「郡山城ホール」はナビ検索で一発OK。

慣れたもので、勝手に楽屋を探して入室。鍵は内部にちゃんと置いてあった。
去年より広い部屋だ。
11時半頃からのリハーサルを前に少し声出し練習。
皆やはり声は出ない。
それぞれがストレッチをしながら、身体を覚醒させている。
我々の今日の出番の前後はプロだ。
昨夜、吉岡委員長が言っていた「東京からも」というのは、この人達かな?
それぞれ、関西出身のようだ。
あらゆるコネクションを使って出演者を集めているらしい。

我々のリハーサルの前は「ヤナキク」という女の子二人組。バックの演奏はカラオケを使うようだ。
唄い方や振りが、昔の「ウィンク」を思わせる。「パクパクキンギョ」という歌が面白い。
これが金魚で有名な大和郡山との縁だったのかもしれない。 
プロらしく演出に細かなこだわりを見せている。

さあ、我々のリハーサルの開始だ。
モニターの返しも程良い感じ。
大きな会場の場合、案外ドラムスの音が聴こえなくなるが、それも注文してスネヤの返しを上げて貰って良い感じに・・・・問題はこれが本番でどうなるか?だ。
沢山のバンドが出入りする訳で、それぞれの演奏者の注文を完璧にリハ通りに再現できるとは思えない。
それでも、大きなホールで演奏できるのは気持ち良いものだ。
ひょっとして、この体験に味をしめているから、アゴ・アシ自己負担無報酬でわざわざ名古屋からはせ参じているのかもしれない。

しかし、今一つできが良くない。
阿修羅像を観に興福寺に行くか?筒井から案外近い法隆寺に行こうか?と個人的には思っていたが、この出来で本番を控えてどうも気持ちが落着かない。観光旅行は諦めた方が良さそうだ。

昼食を摂りに外に出る。
隣のバスパークも屋外の会場になっている。
昔っぽいフォークのサウンド聴こえて来たので、近寄ってみたらやはりオジサン達だった。
今時、アコギだけガチャガチャ演ってるのは大抵オジサンしか居ない。
市役所の南側も会場になっている。ここは若い人が唄っていた。若い人のバンドには最低限Dr,EG,EBは入っている。
駅前に行っても、食べる所が無い!
昨夜飲んだお店はお昼は営業していない。仕方なく駅の近くの食堂で親子丼650円也。
味は「う~ん!?」ってとこ。
どうやら京都のI君も既に会場に来ているらしい。

我々も会場に戻って、I君と合流。一緒にレセプション・ホールを覗いてみる。
やはりオジサンのバンドだ。
しかし一曲目が「吾亦紅」
えっ?って感じ。
ま、一曲ぐらいは許そうか?と思っていたら、二曲目がアリスの「チャンピオン」。
続いてジュリーの歌をどうしたこうした・・・・・?
カラオケボックスでやってくんない?勘弁してくれっ!
私は電子書籍を取出して読み始めた。他のメンバーも目をつむって「寝られれば寝るぞ」という体制を整えている。 
次のバンドもちょっと許容範囲外ということで、失礼ながら退散させて頂いた。
そう、そう!楽屋に戻って練習しなくては!

午前中よりは少しマシになっている。

昨夜飲み屋で御一緒だったスタッフの女性は、今日ゴスペル・コーラスで出演するので、その本番を拝見させて頂くことにした。
我々と同じ小ホールのステージだ。
客席には行ってみると、観客が少ない。
先刻ロビーで長蛇の行列を見かけたのだが、それは高校のマーチングバンドの出演で、家族・学校関係者が総動員されて応援に駆け付けていたようだ。
そういう観客はその演奏が終われば、汐が引くように去って行く。
定番「Oh! Happy Day」では、我々のバンドメンバーは立ち上がって応援した。
気持ちは通じたかな?
今日は天気も良く、客足も良いと思っていたのだが、意外と集客は難しかったのかもしれない。
出演者の割に観客数が少なく感じてしまう。
もちろん、我々のライブでも観客動員は難しいのだから、これほどの規模になると大変なのだろう。
観客動員は今後の課題かも?

楽屋に戻って最後の練習をした後は、着替えをして本番を待つ。
I君にはビデオ撮影をお願いした。




Tさん、お腹がヤバイぞ!

いよいよ、出番だ。
ドラムス、アンプ、マイク全てセッティングし直しだから時間がかかる。
我々の楽器はスムースにセッティングし終わったが業者さんの仕事が遅れがちになる。
スタートが遅くなるのは予測できていたので、MCは殆どせずに演奏を続けていく事に決めてある。
モニターの感じはやはりリハと全く違う。でも、仕方ない。Go!!

まあまあの滑り出し?
私の目の前にタイムキーパーの女の子が陣取っていたが、我々の演奏に合わせて口が動いていた。若いのにBeachBoysを知っているのか?
その娘が「Wendy」の途中で「あと10分」という紙を掲げた。
この曲が終わればあと二曲。
私はその娘に”大丈夫!”というアイコンタクトをし、彼女も納得してくれた。
「Help Me Rhonda」が終わった時に「あと5分」。JUSTだ。
最後の「Surfin USA」のイントロが始まると彼女も安心した顔を見せた。何せ3分以内の曲が殆どだからねぇ!
そうして、我々は楽勝時間通りに演奏を終えた。
昨夜観た、酔いどれ不良やさぐれオヤジバンドにくらべて、我々は何と上品で管理の行き届いた優等生バンドなのだろう?
ま、これも持ち味というべきか。

撤収して楽器を車に積み込み会場を後にしたのは19時を回っていた。
案の定、亀山から四日市まで渋滞だ。連休最終日なのだから覚悟の上。
K君を自宅前まで送って、自宅にたどり着いたのは23時に近い頃だった。
疲れていたのか、24時には熟睡していた。 


2013年11月3日日曜日

11月3日 ライブ前泊

大和郡山市の音楽祭「楽」への出演は今回で三年連続、三回目になる。
四年前の志摩ヨットクラブのクリスマス・パーティーで演奏したことがご縁で、それ以降毎年誘われている。

今回は初めての泊まりがけだ。
誰が言い出したかは定かではないのだが「合宿」という言葉に惹かれた。
宿泊施設は直ぐに大和郡山市内に手配して貰った(勿論、自己負担である)のだが、練習スタジオが見つからない。
奈良市内、天理市とその検索範囲を広げてみても条件に叶うスタジオが無いのだ。
狭かったり、ドラムが置いてなかったり、アンプが置いてなかったり…また、全般的に時間単価が高いとのこと。名古屋市内の約二倍もするそうな。
奈良県の若者はロックしないの?

ただし言っておかなければいけないのは、この音楽祭の出演者のレベルが非常に高いという事だ。
特に際立つのは管楽器。
筆頭は何と言っても創価高校のマーチングバンドだろう。金管楽器の迫力と一糸乱れぬ行進の動きは、其処に居る者を圧倒する。
そんな伝統が影響しているのか、昨年観た女性だけのサキソフォン・バンドの演奏も素晴らしかった。そのなかの一人はプロになるべく上京すると言っていたが、その後はどうなったのだろう?
そんなレベルの高い音楽祭から、何故我々に声が掛かるのかは今もって解らない。

結局、今日はいつも使っている名古屋のスタジオで練習して、その後、大和郡山に移動しホテルにチェックインした後は宴会。
明日は午前中にリハーサル。本番は夕方6時という段取り。
小ホールのトリと言えば聞こえは良いが、演奏を終え着替えを済ませれば19時。
そこから連休最終日に名古屋に向けて車を走らせるのだから、しんどい事には間違いない!
さて、予定通りに練習を終えた私達は名古屋高速に乗り、一路大和郡山へ…
17:30にホテルにチェックインし、明日のライブ会場である「郡山城ホール」に向かう。

実行委員長の吉岡さんに挨拶をして、我々はレセプションホールでライブを観た。
若い人達によるロカビリー・バンドに続いて、60年代オールデイズバンド。リーダーの酔いどれやさぐれぶりに、いささか辟易。
今日のライブのトリは、またまたロカビリー・バンドだ。全員がリーゼントもしくはハンチングといういでたちもさることながら、演奏も大したものだった。
特にベースは高評価。ウッドベースながらしっかりしたアタック音を出しており、ドラムと共にリズムを支える。
リードギターはリバーブの効いた音をフィンガリングで奏でる。
途中参加のサックスも非常に上手く、会場のあちらこちらで踊り出している。
このバンドは本当に聴いて得したという気にさせてくれた。

演奏が終わった後は吉岡さんと共に居酒屋『一心』に行き、他のスタッフ等と合流した。料理も美味しく、焼酎のお湯割に大葉と唐辛子を入れて飲むという独特な飲物も気に入った。その様子から『金魚』というらしい。話によれば今の市長のまがままからできた産物とのこと。
近鉄電車で一駅南の「筒井」に戻った。駅名はやはり筒井順慶から来ているようだ。先程のホールの近くには平城京の羅城門があったとされるように、此処はなかなか歴史的な街だ。今残っているのは城跡くらいしかないが、スタッフの話からこの街に誇りを持っていることは伝わって来た。

明日は10時前にホテルを出発。
京都から同期のI君が聴きに来てくれるらしい。

近鉄電車に乗って筒井に帰る、飲んだくれオジサン7人です。

2013年10月27日日曜日

トホホ・・・の週末

実にトホホ・・・・である。

木曜日の夜から、My PCはどこか妙だったのだ。
インターネットは問題ないのだが、ローカル・ファイルへのアクセスがやたら遅い。
そのうちには、待てど暮らせど帰ってこない。

タスクマネージャーを立ち上げて、余計な処理を行っているかをチェックしてみた。
そうしたら、セキュリティ・プログラムの「マカフィー」がスキャンしている。
そのせいで、CPUには100%近くの負荷がかかり、Diskは回りっぱなし。
マカフィーのスキャンは木曜日の午前4時に設定しているので、こんな時間にスキャンしていること自体が異常だ。
終わらせてもマカフィーは終わらない。一心不乱である。
シャットダウンも何のその!

でも翌日は仕事だしなぁ、ということで、無理やりスイッチ長押しで電源を切り就寝。

金曜日に帰宅して電源を入れてみると、「Windowsを起動しています」まで出たのだが、その後再びブートして、今度はWindowsの起動までも来ない。
HPのユーティリティが自動的に立ち上がって来た。
そのプログラムでハードウェアをチェックすることにしたのだが、Diskのチェックにはやたらと時間がかかるのだ。
無理もない、1TBのハードディスクのスキャンテストなのだから・・・・・Diskが大きくなるのは便利なのだが、回転スピードは昔と大して変わってはいないのだから、こうした異常処理は容量に比例して時間を要する。
結局、その夜はスキャンテストで終わってしまった。
結果は「異常なし」。
だろうな・・・とは思っていたが、翌日はバンド練習なので、とにかく寝ることとした。

翌朝、電源を入れてみるとやはり、Windowに起動まで行かず、HPのユーティリティ(リカバリー・マネージャだったけ?)が立ち上がる。トホホ・・・・
しかし、そのメニューの中に「データのバックアップ」というのがあった。
私は小躍りした。
きっと、Windowsは起動しなくてもデータファイルは救ってくれるんじゃない?と思った訳である。
私は、それを選択してDVD8枚を費やしてファイルのバックアップを作った。
「さあ、これで安心だ!」と、バンド練習に出かけたのだ。

しかし、やはり気になっていた私は、練習後の飲み会に参加せず、家路を急いだ。

「データのバックアップが取れているんだから、あとは時間との格闘だけだね」とタカをくくっていたのだが、その期待は程なく裏切られた。
Diskを初期化してWindowsのリカバリー・ファイルからWindowsは簡単に復旧でき、くだんのバックアップファイルを戻してみると、「なに、これ?」状態ではないか!
特定のフォルダを勝手に作り、そこにデータを戻しておいたから、あとは自分で好きな場所に戻しなさいね、という感じだ。それはそれで良いとしても問題は中身である。
一言で言えば、「歯抜け」状態だ。

しかし、マメにバックアップしていない私が悪いことは確かだし、本体のDiskは初期化してしまったのだから諦めるしかない。

腹を括って、地道に行くしかない!
ソフトはインストールするとして、データファイルの復元元は
(1)くだんのバックアップファイル
(2)今年の春頃に外付けDiskにバックアップしたもの
(3)今年の夏に無料クライドサービス「Nドライブ」にコピーしたもの
以上、3つしかない。しかしバックアップされている対象が同じとは限らないから話は複雑になる。
これらを比較しながら、抜けがないか?どれが最新のものか?
少しずつ戻していくが、その確認に必要なソフトはその都度インストールをする。
コピーに時間が掛かる時には本を読んで気を紛らわす。

結局作業が一区切りついたのは今日の夕方。
最新の写真ファイル(先月のイタリア旅行のもの)はまだSDカードに残しておいたので助かった!
これが無くなっていると、恐らく妻からの風当たりは相当強かっただろうことは予想に難くない。
音楽ファイルは殆どスマホと同期が取れていたので、スマホのMicroSDから戻した。
楽譜ファイルに関して、一曲救えなかったが、PDFをメールでメンバーに送った時のものがGmail上に残っているので、まあ、それも良し!
後は、必要に応じて、必要なソフトを都度インストールしていけば良い。

今から思えば、Diskを外して他の部屋にあるPCにUSBで繋いげば、データファイルは全部救えたのだと思う。焦っていたとは言え、判断ミスは否めない。
しかし負け惜しみのようだが、PCの中の掃除ができたと考えようと思う。
聴く時間のあての無い、ラジオ番組の録音は全滅したけど、私が一日にそれらを聴く時間より、圧倒的に録音している時間が長いのだから、いつかは破綻していたのだ。そう思えば、諦める良いきっかけになったのだろう。

しかし、バックアップ問題は大きい問題だ。
私の仕事でも顧客がサーバーのデータを深夜バックアップしていたら、朝出社してもそのバックアップが終わってなかったという事例もあり、今後ますますデータファイルは大きくなりDiskもそれに応えるように容量は大きくなるだろうが、このバックアップ問題は深刻だ。
個人のPCでも、音楽・画像・映像のデータは大きくなる一方。
カメラの性能が上がるということは、すなわちファイルが大きくなる、ということを意味する。
などと言って自分の無用心さを棚に上げるつもりは無い。
やはり、いろいろな手段を使って、マメにバックアップはしないといけない。
PCは壊れる。実に簡単に壊れるモノだから。

それにしても、まだまだWindowsのUpdateは果てしなく動いている。
それが終わると、今日何度目の再起動になるのだろう・・・・?






2013年10月6日日曜日

オーストリアと私

音楽好きな人間同士は、時々「音楽の原点は何だ」ということを話題にする。
私の場合、それは「ウィーン少年合唱団」だと応えるだろう。

それは小学校4年生の時『美しき青くドナウ』という映画を観た時から突然始まった。
確か、ディズニー配給だったと思う。

美声のトニー少年が新しく入団する。
年上の少年ピーターはいつも主役級であるが、新たなトニー少年の出現が面白くない。
ピーターは美声のトニーへの嫉妬心から嫌がらせをする。
このピーター少年が変声期を迎える事からドラマは急展開。
声変わりは退団を意味するのだ。
しかし、トニー少年達の訴えもあり、ピーター少年は公演会で「美しく青きドナウ」でタクトを振ることになった。
そしてこの曲でエンディング…だったと思う。

私はドラマの展開にハラハラドキドキしながらも、同世代の少年達の美声にすっかり魅了されてしまった。
私もその頃は変声期前で、高い声には自信があったので、映画を観て家に帰った後も両親に「どうしたらウィーン少年合唱団に入れるの?」と質問し困らせたものだ。

少なくとも、私が最初に買って貰ったLPレコードはウィーン少年合唱団の作品だった。
その中にシュトラウス「美しく青きドナウ」が入っていたのは言うまでもない。
それ以外にもシューベルトの歌曲を合唱に編曲したものが数多く入っていた。
ドイツ語の歌詞は全く分からなかったが、メロディーは直ぐに覚え、私は彼らと一緒に何度となく歌っていた。

この次に強烈なインパクトを残したのは中学に入ってからの「サウンド・オブ・ミュージック」だった。
アルプスの山々がシネラマ・スクリーンいっぱいに広がり、それが徐々にズームしやがてはテーマ曲を高々と歌うジュリー・アンドリュースに迫る。
初めて見る美しいアルプスの山々、ホルンから始まる少し控え目なオーケストラの音、突然ジュリー・アンドリュースの伸びやかな声が重なる。このシーンだけで、私の心は鷲掴みにされていた。
もちろん、即刻LPレコードを買って何度も聴いた。英語の歌詞も多少は理解できるようになった私は、歌詞カードに首っ引きになりレコードに合わせ歌った。
また、舞台となったザルツブルクにも憧れて、いつかはきっとザルツブルクに行く、と思っていた。
つまり、私の音楽の深い所にオーストリアは関わっていたのだ。

しかしその後、私はグループサウンズやロックに夢中になり、いつしかそんなオーストリアへの夢を忘れてしまっていた。

しかし、そのオーストリアから今朝未明、メールが来た。

先日のイタリア旅行最終日にローマのレストランで隣り合ったオーストリア人母子の母親からだ。
私は彼らに写真を送ることを約束していたので、旅行から帰って数日後メールに写真を添付して送ったのだが、それに先立って彼等の住んでいるEbensee(エーベンゼー)の街を調べてみた。
それはまるで絵葉書のように美しい山々に囲まれた街であり観光地だったのだ。
が、それに混じって悲惨な画像が現れた。
第二次世界大戦の頃オーストリアがナチス・ドイツに併合され、Ebenseeに強制収容所が建設されたのだ。写真はその時の凄惨な姿を今に伝えていた。
私はその事実を初めて知ったことを伝え、日本にもその大戦では多くの悲惨な歴史を持っていることを伝えた。そして私達が平和な時代に知り合えた幸福を伝えた。

彼女からのメールは、一緒に話が出来たことの喜びと、写真を見ながらあの旅行のことを、そして我々と出会って話をしたことを二人で思い出している、と綿々と書かれてあった。
私の脳裏には母子が仲良くPCの画面を見ながら、思い出話をしている姿が浮かんできた。
あの二人にとっても素晴らしいイタリア旅行であったに違いない。

映画の「サウンド・オブ・ミュージック」は、一家が国境を越えてオーストリアを脱出する場面でエンディングとなっているが、実際のトラップ家は、渡米した後にも大変苦労をしている。
しかし、脱出していない多くのオーストリア人が、トラップ一家とは比較にならないほどの悲惨な体験をせざるを得なかった事を考えると、山々や湖の綺麗な景色も、単純に感動してはいられない気がしてくる。

Ebenseeでは既に木々が色づき始めているという。
彼女はこんな季節に山歩きをすることが一番好きなのだそうだ。

いつの日かザルツブルグを・・・という夢をもう一度復活させるのも本当に悪くない。


友からの便り

彼の名は「山田さん」。
しかし、彼の苗字が山田という訳ではない。

大学時代のサークル仲間のなかには、本名を連想させないニックネームを持つ友人が三人居た。
私が「ヒロ」と呼ばれることなど、即刻本名が連想できる、実にとるに足らないニックネームだ。

一人は、哲学専攻だったから「哲人」。これは比較的分かり易い。

二人目は、少しややこしい。
入部からほどない頃、サークル主催のコンサートの準備をしていた。
私達新入生が広報用の立て看板を作っている時、台に登って上の方を担当していた一人がいきなり叫んだ。
「ちょって、ガバリ取ってくれ!」
そこに居た全員の手が止まり、一瞬の沈黙が走った。
しかし、本人はその沈黙を全く感じていない。
「ガバリだってば、ガバリ!」
それ以来、彼はガバリと呼ばれた。

ガバリとは画鋲のことらしい。
「画張り」なのか「画針」なのかは今も不明だか、今も彼はガバリと呼ばれ続け、今も一緒にバンド活動をしている。

そして三人目が真打ち「山田さん」なのだ。
もちろん、立派な苗字は持っているのだが、或る先輩が彼を「山田さん」と命名したのだ。
「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する「山田さん」に似ているというのだ。もちろん妖怪ではなく人間だ。
確かにあの飄々とした雰囲気は似ていなくもない。
とにかく、それ以来、彼は先輩からも「さん付け」で呼ばれることになったのだ。

彼はバンドではドラムを担当していたが、我々が音楽活動に見切りを付けた後も、一緒に登山をしたり、卒業後も一緒にスキーに行ったりもした。
特にスキーの腕前は我々ビギナーとは全く次元の違うレベルであり、脱サラ後、或るスキー場ではあの大女優「吉永小百合」さんのエスコート役を務めたという逸話まで残っている。

その後も彼は自分の進むべき道を模索し、結局一人渡米した後はレストランで働き、現地で家庭を持った。
今はデンバーでアメリカ人として生きている。

水木しげるさんが「ゲゲゲの鬼太郎」の中で『典型的な日本人』として描かれた「山田さん」だったが、私達の「山田さん」はそれとは全く違う生き方を選んだのだ。

メールアドレスも住所も知ってはいたが、余りに生活圏が異なり会う機会も期待できない中、いつしかお互いに音信不通になってしまっていた。

それが、先日突然懐かしくなった私はGoogle+で彼の名前を検索(もちろん本名で)したのだ。
出てきた!出てきた!
しかも、そこには私が知っているデンバーにある彼の住所が記載されていた。
そうなると、余計に懐かしさはこみあげて来るものらしい。
メールを出して、待つこと二日。

彼が決してデジタル型人間ではないことを知っていた私は、返信にもう少し日数がかかることを覚悟していたので、昨日の未明にそれが届いていたことには大いに驚嘆した。

彼も、彼の家族も元気にやっているらしい。
何はともあれ、一安心だ。

この年齢になると、何でもないそんな便りがとても嬉しい。

再会を信じながら、今は”今度はどんな返信を書こうかな?”と考えている。