2013年10月6日日曜日

オーストリアと私

音楽好きな人間同士は、時々「音楽の原点は何だ」ということを話題にする。
私の場合、それは「ウィーン少年合唱団」だと応えるだろう。

それは小学校4年生の時『美しき青くドナウ』という映画を観た時から突然始まった。
確か、ディズニー配給だったと思う。

美声のトニー少年が新しく入団する。
年上の少年ピーターはいつも主役級であるが、新たなトニー少年の出現が面白くない。
ピーターは美声のトニーへの嫉妬心から嫌がらせをする。
このピーター少年が変声期を迎える事からドラマは急展開。
声変わりは退団を意味するのだ。
しかし、トニー少年達の訴えもあり、ピーター少年は公演会で「美しく青きドナウ」でタクトを振ることになった。
そしてこの曲でエンディング…だったと思う。

私はドラマの展開にハラハラドキドキしながらも、同世代の少年達の美声にすっかり魅了されてしまった。
私もその頃は変声期前で、高い声には自信があったので、映画を観て家に帰った後も両親に「どうしたらウィーン少年合唱団に入れるの?」と質問し困らせたものだ。

少なくとも、私が最初に買って貰ったLPレコードはウィーン少年合唱団の作品だった。
その中にシュトラウス「美しく青きドナウ」が入っていたのは言うまでもない。
それ以外にもシューベルトの歌曲を合唱に編曲したものが数多く入っていた。
ドイツ語の歌詞は全く分からなかったが、メロディーは直ぐに覚え、私は彼らと一緒に何度となく歌っていた。

この次に強烈なインパクトを残したのは中学に入ってからの「サウンド・オブ・ミュージック」だった。
アルプスの山々がシネラマ・スクリーンいっぱいに広がり、それが徐々にズームしやがてはテーマ曲を高々と歌うジュリー・アンドリュースに迫る。
初めて見る美しいアルプスの山々、ホルンから始まる少し控え目なオーケストラの音、突然ジュリー・アンドリュースの伸びやかな声が重なる。このシーンだけで、私の心は鷲掴みにされていた。
もちろん、即刻LPレコードを買って何度も聴いた。英語の歌詞も多少は理解できるようになった私は、歌詞カードに首っ引きになりレコードに合わせ歌った。
また、舞台となったザルツブルクにも憧れて、いつかはきっとザルツブルクに行く、と思っていた。
つまり、私の音楽の深い所にオーストリアは関わっていたのだ。

しかしその後、私はグループサウンズやロックに夢中になり、いつしかそんなオーストリアへの夢を忘れてしまっていた。

しかし、そのオーストリアから今朝未明、メールが来た。

先日のイタリア旅行最終日にローマのレストランで隣り合ったオーストリア人母子の母親からだ。
私は彼らに写真を送ることを約束していたので、旅行から帰って数日後メールに写真を添付して送ったのだが、それに先立って彼等の住んでいるEbensee(エーベンゼー)の街を調べてみた。
それはまるで絵葉書のように美しい山々に囲まれた街であり観光地だったのだ。
が、それに混じって悲惨な画像が現れた。
第二次世界大戦の頃オーストリアがナチス・ドイツに併合され、Ebenseeに強制収容所が建設されたのだ。写真はその時の凄惨な姿を今に伝えていた。
私はその事実を初めて知ったことを伝え、日本にもその大戦では多くの悲惨な歴史を持っていることを伝えた。そして私達が平和な時代に知り合えた幸福を伝えた。

彼女からのメールは、一緒に話が出来たことの喜びと、写真を見ながらあの旅行のことを、そして我々と出会って話をしたことを二人で思い出している、と綿々と書かれてあった。
私の脳裏には母子が仲良くPCの画面を見ながら、思い出話をしている姿が浮かんできた。
あの二人にとっても素晴らしいイタリア旅行であったに違いない。

映画の「サウンド・オブ・ミュージック」は、一家が国境を越えてオーストリアを脱出する場面でエンディングとなっているが、実際のトラップ家は、渡米した後にも大変苦労をしている。
しかし、脱出していない多くのオーストリア人が、トラップ一家とは比較にならないほどの悲惨な体験をせざるを得なかった事を考えると、山々や湖の綺麗な景色も、単純に感動してはいられない気がしてくる。

Ebenseeでは既に木々が色づき始めているという。
彼女はこんな季節に山歩きをすることが一番好きなのだそうだ。

いつの日かザルツブルグを・・・という夢をもう一度復活させるのも本当に悪くない。


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