2013年6月19日水曜日

イタリア語と電子書籍

とうとう、手を出してしまった。
始めから断っておくが、決して成就することはないのです。と、エクスキューズからスタートしたのは…もちろん大層自信が無いからである。
勿体ぶるまでもなくタイトルを読めば一目瞭然なのだが、何ともこれが気恥ずかしい。
まともに英会話も出来ないのに何がイタリア語だよ~!という気持ちが長年私を支配していて、それでいて英会話を学ぼうともせず、今日に至ってしまったというのが正直なところだ。
あ~それなのに、それなのに、自らの怠惰な性格も省みず、禁断の毒入りリンゴに手を出してみようと思い立ったのは、ある人のブログを読んだからだ。
サンジミニャーノとシエナの旅をどうしようかと考えてネットで情報収集して見つけたブログだ。筆者は私と同年輩と思しき男性。やはりバスの乗り換えが大変だった事が書かれてあり、私としては有益な情報に違いないのだが、それ以上に興味を持ったのは、彼の奥さんがNHKラジオのイタリア語講座を一年間勉強したおかげで、バスを待つ間、現地のお爺さんと親しげに話していた、という一文だ。
NHKのラジオで?
たった一年間で?

だって、こちとら10年も英語を学習したにも関わらずこの何ら実践に役立ったという実感がないのだから。
一度なんて「スピードラーニング」試してみようかな?と思った事もある。
だが、世の中にはマスコミ等では大騒ぎなのに、身の周りでは全く体験者が居ない、という事象はよくあるもので、このスピードラーニングもそんな一つだ。
CMでは、学校の先生兼住職の人がさもスピードラーニングで英会話ができたみたく言ってるけど、ネットで調べてみれば「聞くだけで英語が喋れるようになる訳が無い!」と断言している人が大勢だ。「英語を聞いているだけでペラペラ喋れるようになったらノーベル賞ものよね?」って誰かは言っているかも知れない。
まあ、「スピードラーニング」の真偽の程は置いておいて・・・話が脱線した。
問題は、同年輩ご夫妻イタリア旅行のブログです。
『じゃあ、ひょっとして自分も?』って思い込むのも無理はないっしょ?
悪魔の耳元でささやくのだ”お前にもできるよ”って。
気持ちは直ぐに決まった。
(その奥さんがどの程度の会話をしたのかは定かではないのだが・・・・)

毎日決まった時間にラジオを聴く事は無理だ。また、PCでラジオ番組を録音する事も可能だが、NHKも不測の事態には予告なしに番組編成を変える事があるので不安が残る。それに、教育番組は4月スタートが多く、こんな中途半端な時期から始めるにはバックナンバーが要る。
なら、CDを購入するよりない。1ヶ月分1,580なり。Amazonなら送料無料。
テキストはどうするか?
一カ月分の紙テキストは本体400円に送料が60円。合計で460円である。
それに比べ、電子書籍だと350円と大幅に安い。こりゃ電子書籍に決まりだね!


実は私は既に電子書籍の利用者である。
使っている端末はAmazonのKindle。
数年前iPadを購入した時には、電子書籍に大いに期待したものだったが、当時は未だ日本の出版社にはそれを迎え撃つ体制が全くできておらず、まともなものと言えば、著作権の切れた古典のみだった。(そのお陰で漱石や芥川を久々に読むことができたのだが…)
あれから数年が経ち、状況は変わった。Koboを始め廉価なリーダーも増え、対象となる書籍も増加してきた。
書架に収まりきらない自分の本に困り果てていた私は決心をした。
これからは電子書籍だ!



Amazonの製品に決めたのは、それまでもAmazonのサイトで本を購入していたからという単純な理由である。
しかし、今のところこれで満足している。
電子ペーパーなので、液晶に比べても目に優しい。
また、ページめくりの時とバックライト以外には電池を消費しないという。一度の充電で、軽く3週間はもっているようだ。
それに何と言っても、寝る前の読書には最適なのだ。紙の本だと、どうしても部屋の明かりを点けなければならず、同室者に遠慮も必要。ところが、電子ペーパーは輝度調整も簡単なので、暗闇の中でも最低の輝度で読めば眼は疲れない。 
眠くなったら、カバーを閉じれば自然に電源は切れる。

もう一つ優れた点を挙げるとすれば、それは辞書機能が連動する、という点だ。
分らない言葉に出くわした時、その言葉を選択すると、辞書が勝手に起動され、その意味が表示されるのだ。
「自分で辞書を引きなさい」とは、子供の時分から母親に良く言われた事だが、ヨミすら分からない漢字に遭遇した時の辞書を引く手間ときたら、 ミラノへ行くのに香港トランジットで10時間待たされるようなものだ。
「自分で辞書を引くから身に着くのよ」と言われた言葉は、「はい、その通りです」としか言えないが、「効率良く身に着けますので」と勘弁してもらうしかない。

もちろん、電子書籍になっていない著作物も多い。
作家さんによっては、紙本にこだわっている作家も少なからず居ると聞く。
その気持ちは私にも充分理解できる積りだ。
私が好きな宮部みゆきさんもその一人か?
しかし、人間何十年も生きてれば、読んだ本の量もハンパ無く、さりとて好きで買った本を売り払うことにも抵抗がある。
こんな庶民の事を考えて、少しは電子書籍化に前向きになってくれないだろうか? 

さて、話を戻すとしよう。
NHKテキストは、Kindleコンテンツとしては販売されていなかった。
私が選んだのは、「雑誌オンライン」というサイトである。
メリットは、ここの購入したコンテンツはPC、iPad、iPhone、Android全てで(残念ながらKindleは対象外)読む事ができ、しかも印刷可能だった事である。

さあ、これで道具立ては整った。
あとは、自分の努力次第。
冒頭から逃げ腰なように、さっぱり自信は無いが、自分のイタリア好きを奮い立たせて頑張ってみよう。
まあ、来年あたりの旅行に少しでも成果が出ると良いのだが・・・・・



 

2013年6月17日月曜日

フィレンツェの宿

ようやくフィレンツェの宿が決まった。

結局はホテルに落ち着いた。 

ついこの間まで、アパートに泊るつもりでいたのだが、現実はなかなか思い通りにはならないものだ。
 最大の問題は、「エレベータ」の有無だ。 勿論、エレベータ付きの部屋も有るには有るのだが、既に空室がなかったり、エレベータは有っても、ドアを開けるとすぐに階段を上がらないといけない、という状況だ。
トランクをゴロゴロさせて行く年寄りにとっては、自力でトランクを持って階段を登ることなど到底不可能だ。
 ホテルなら、ボーイに少々のチップを払って部屋まで運んでもらう事も可能だが、それもアパートメントでは不可能。
それともう一つ、フロントというものが無く、宿の人が24時間居ないということだ。 チェックインとチェックアウトの時間を知らせておいて、その時刻に管理人(或いはオーナー?)が来るのだそうだ。 ということは、フライトの都合で到着時間がずれたような場合、自分で管理人に連絡をしなければならない。 これは言葉が不自由な身としては、なかなかハードルが高い。
実は、フィレンツェには在住の日本人がアパートの斡旋をしているケースもある。 こういう場合には連絡も日本語でOKだし、滞在中も何かと心強い。
私としてもそこを狙ったのだが、なかなか条件に合う物件が無かった事が残念だ。

どうしてフィレンツェには短期滞在型アパートメントが多いのだろう?
ひょっとして、フィレンツェ以外も多いのか、今まで私が気付かなかっただけなのか?
以前、インターネットの記事でイタリアの現状をレポートした記事を目にした。
何故、そんな事を調べたか?と言えば、日本からイタリアへの移住は可能かどうかを確かめたかったからである。
答えは簡単・・・ほぼ不可能ということだった。
旅行における滞在期間も短く制限されている。
現地の雇用を創出できるなら、それは可能だろうということだった。
そんな中で出くわした記事だった。
タイトルは「頭脳流出」だという事だったと思う。
要するにイタリアでは優秀な若者が大学を出ても、それを生かせる就職先が見つからず、アメリカに渡るケースが非常に増えているということだ。
若者はイタリアでは夢が叶わないと言う。
また、イタリアの若者は給料が安く、なかなか結婚できないともいう。
 だから、パートナーが居ても親元に同居するケースも多いとか。
そういう状況を考えてみると、なかなか都会の立派なアパートには住める人は減少しているのかもしれない。
それが、短期滞在型アパートメントという形で宿泊客に提供するということに繋がっている。
そんな気がしてならない。

日本人の中には、イタリア人は怠惰だと誤解している人も多い。
しかし、実際には私はむしろ「イタリア人は勤勉だ」という印象の方が強い。
確かに休み時間は多いし、バカンスも長い。
しかしそれは長い歴史が育んだ伝統である。
勤務時間中は非常に真面目に、責任感と誇りを持って仕事をしている。
勿論、都会では油断のならない輩が旅行者の懐を狙っていることは確かだが、それは世界中どこに行っても同じだ。
少し都心を外せば、人懐っこいイタリア人に触れることができだろう。
それが私のイタリア旅行の楽しみでもある。

ま、とにかくこれでフィレンツェの宿が決まり、一安心。
ホテルは Hotel Exective
オルヴィエートと同じくアーモイタリアのお世話になった。
ホテルからウフィッツィ美術館の予約を入れてくれるのも嬉しい!

残るはローマの宿の手配と、途中の列車の目途を立てておくこと程度かな?

2013年6月13日木曜日

同級生を探せ! ・・・・解決編

同志社校友会の低次元な対応から6日経過した昨日、昨年来のテーマであった「同級生を探せ!」がいきなりの解決をみた。

もちろん、同志社校友会の御尽力お陰...ではない。

ただ校友会での唯一の収穫であったフルネーム情報の取得が大きな貢献をした、ということからすれば、感謝すべきなのか?

同級生Kのフルネームを知り得た私は、京都から帰った当日、疲れ切った身体でインターネットでの検索を試みた。同姓同名の人も日本中には居るもので、私は更に検索条件を加えた。「大阪市」という単語である。それは勿論、彼の出身地が大阪市であり 、存命ならば今もその場に居住している可能性が高いと考えたからだ。
当たった!
それは、大阪市の宗教法人リストだった。
そこには、宗派を問わない施設の住所と代表者名が記載されていたのである。そしてその代表者にKの名前があった。
彼の実家は仏教寺院だったのだ。
そして、彼には兄弟が居なく、父親の跡を相続している可能性が高いと私は踏んでいたからだ。
小躍りする気持ちを抑え、堀を少しずつ埋めていく作業にとりかかった。


次は、その寺院の住所と名前で地図検索をした。
するとどうだろう・・・まさに40年前に訪れた、彼の実家へのルートが思い起こされるではないか。人の記憶というのは、実にいい加減なところもあるが、時として驚くべき力を発揮する場合もある。これはまさに後者であろうか?梅田(東通商店街?)で痛飲し、若干フラフラしながら、彼に連れて行かれた、その場の空気が蘇る。
思わず、私はGoogleストリートビューを駆使して、あたりの風景を見回してみた。
日頃、ストリートビューなんぞというものは不要の長物と思っていたものの、こういう場面では実に役立つものだ。文明の利器恐るべし。
鉄筋コンクリートの寺院らしくない建物。
併設されている幼稚園。
私の記憶通りだ。

期待は確信に近づいた。
更に寺院名だけで検索をしてみた。
お寺のホームページがあるかと思ったからだ。
見つかったのはブログだった。
やはり写真が何枚か掲載されている。
これはもう間違いない。
同じブログの別ページを見てみた。
山登りっぽい記載が有ったり、仏像の写真が載せてあったりと彼の趣味に合致する内容もあるのだが、ハワイ旅行の記載もやたら多い。
ん~?
なにか違和感を感じてよく考えてみたら、自分が運営している寺院名を、特定の日のブログタイトルに使う訳は無い、とようやく気付いた。
何の事は無い、お寺好きで、山好き、ハワイ大好き人間のブログだったわけだ。

とにかく、これで連絡をすることはできるという確信を持った。

しかし、同志社校友会にくだんの依頼をしている以上、もう少し待とうと考えた。
それが仁義だろう。
何せ、校友会事務所では「直ぐに連絡をとります!」と言ったのだから・・・・・・

そうして昨日まで待った。
相変わらず校友会からは何の連絡も無い。
もう仁義など気にすることはないだろう・・・同志社校友会の「直ぐ」が何日を現しているかは不明だが。

電話番号は直ぐに分った。個人名義の電話番号では無いので、それは簡単だ。
仕事が終わり社員も退けた19時。相手も仕事は終わっているだろうし、失礼にもあたらない時刻だ。
ドキドキしながらプッシュボタンを押す。5回程コールした。
決して狭い家ではないので、それは仕方ない。
出た。
「XX寺です」
彼の声?多分間違いない。
「私、粟倉と申しますが・・・そちらの御住職さんはKさんと仰いますか?」
「はい、そうです、私ですが・・・」
「あ、そうですか・・ひょっとして同志社大学ご出身でしょうか?」
「はい・・・そうですけど?」
「美学・芸術学に72年入学ですか?」
「はい、そうです」
ビンゴ!!
ようやく探し当てた!

彼には全く心の準備ができていなく、戸惑いながら始まった会話だった。
やはり同志社校友会からは何の連絡もなかったのであろう。
私が昔のエピソードを語っても、彼はなかなか思い出せない。
私が詳しい状況を少しずつ語って行くと、彼も少しずつ思い出す・・・こんな風に話が進んでいく。
長い間、閉じられたままだった記憶の扉が少しずつ開いていくのが伝わってくる。
30分近くも語り合っただろうか?
彼も他の美学の友人とは音信不通らしい。
携帯電話も嫌いらしく、持ってはいるが使わないとのこと。
うん、うん!こういう頑なな性格だった。
嫌いな物は頑として受容れない。
何にでも流されていく私は、彼のそんな性格が羨ましくもあり好ましく思ったものだ。
そんな事も思い出していた。
私の携帯番号を伝え、再会を誓い合い私達は受話器を降ろした。

仕事で大阪に行く機会はめったに無くなったが、何とかして機会を作りたいものだ。
最近知った、憧れの居酒屋「ながほり」で飲むのも悪くない。
(彼はお酒飲まないのだが・・・)
いや、やはり東通商店街か?

しかしながら、今更思う。
同志社校友会とは一体何者?
今回の同級生探しに校友会の力を借りようと思ったきっかけになった「卒業生同士の旧交を温める為のお手伝いをする。これも校友会の仕事ですから」という言葉が、宙をさまよう。
もし、その言葉に訂正が無いのだとしたら、実際の対応・活動はその任を怠っていると断ぜざるを得ないのである。

話は変わって・・・・誰も「梅雨のズル休み」だなどと言わなくなった。
笑い事では済まされない状況だ。
昨日の台風3号の接近も、名古屋周辺には殆ど影響が無かった。
このままでは水不足が心配である。
お茶碗にラップを貼って、その上にご飯を盛って食べた事を思い出す。

2013年6月6日木曜日

充実の二日目

携帯のアラームをOFFにしていたので、起きたのは8時過ぎになってしまった。
家族は起きていたが、昨日の運転疲れを気遣ってか、起こさずにいてくれたようだ。

のんびり部屋で支度をして、部屋を出たのは10時半になっていた。
昨日は「9時半に出て、新島旧邸には10時に着きたい」と言っていたのは全く嘘になってしまった。
一応、新島旧邸の予約は10時から13時までの間となっているので、差し障りはない。

ナビで新島旧邸を検索したが、全くヒットしない。
ナビが悪いのか、はたまた新島旧邸がナビの情報として公開していないのか?
っとに、役に立たないヤツだ!とイラッ!
しかし、場所は分かっているので、手探りでセットし、スタートだ。
ナビによれば出町まで行き、そのまま河原町を行かせる。

<北白川DONQ>
河原町通り?と思ったが、ナビの誘導を無視して、私は白川通を南下して銀閣寺道まで出るルートを走ることにした。
何せ、白川通は学生時代に良く歩いた懐かしい道だったからだ。
特に北大路から南の白河通は良く歩いたものだ。
そして、途中にあるDONQでバゲットを買って銀閣寺のアパートに帰ると、プチ贅沢な気持ちになったものである。
あのDONQはまだあるだろうか?危ないと分かっていても、ついついキョロキョロしてしまう。

京都は歩行者も強い!走っていると、道路の中央分離帯に何人も立って、隙あらば渡ろうとしているではないか!
どうなってんだぁ?ビュンビュンの車に、ママチャリがスイスイ、歩行者ウロウロ。
これでホントに愛知県より事故少ないんですかねぇ?

あった、あった!DONQがあった!
建物はもちろん新しくなっている・・・しかも店舗がどう見たってデカくなってるぞ!
40年前は普通にマンションのテナントとして入っている程度だったと思うのだが、今のは専用一戸建てで立派すぎる。やはり40年の月日の流れは決して小さくはないようだ。

今は「白川通今出川」とその交差点を呼ばせるらしい。
昔は絶対「銀閣寺道」だったと思う。
ナビは天王町まで行かせて、そこから丸太町を西進させるつもりらしいが、私は迷わず今出川通りを西に向かう。市電に乗って、あるいは歩いて、たまにはタクシーで毎日通った道である。京大の前を通って百万遍、そして鴨川を渡る。

寺町通りの市営駐車場に車を留めることができた。
数ヶ月前に家内が友人と来ていて、駐車場の場所まで覚えている。
なかなか使えるナビである。

<新島旧邸>
新島会館の周囲には、既に何人かのジジババがたむろしている。
はやり此処もジジババばかりのようだ。

旧邸見学の前に展示物を見学。
最初に出迎えてくれたのは八重さんのイラスト・キャラクタだ。
既に八重さんのお姿を写真で見ているのだが、このキャラクタを見たとたん思わず吹きだしてしまった。案外ご本人に似ているのだ。ゴメンナサイ。
新島会館ではあるが、今の主役はやはり八重さんのようだ。
手紙などを拝見するにつけ、実に美しい字を書かれていたと感心してしまう。
もちろん襄先生しかり。昔の人はそれだけで本当に素晴らしい!
当時の旧邸の写真もある。今の新島会館の場所は何も無く野菜が植わっている写真だ。この写真は何度か目にしていたが、実際にその場所に立ち当時の風景を想像してみる。これだから観光は素晴らしい。決してインターネットや書物では味わうことの出来ない体験がそこには在る。

そしていよいよ旧邸内部へ。
袋に入れた靴を持参しながら中に入る。入口はどうやら台所らしい。
一般的に見る「へっつい窯」より焚口が上にあって、しゃがみ込まなくても火の管理ができる。
流しは木製で八重さんの腰高に合わせて少し低い。
実に合理的にできているものだ。
各部屋にある家具・調度品がどれも凝った作りで見ごたえがある。和室の襖の引き手も凝っている。また鏡台の可愛らしさが時代を感じさせる。
書斎の机は実に立派なものである。書架の本は当時学生の図書館代わりに使われたというから、きっと私達の大先輩は此処に立ち寄り、貪るように本を読んでいたのだろう。そんな事を思い浮かべているだけで楽しいものだ。



<同級生を探せ!>
ようやく、今回の主目的である、同級生探しが始まる。
家族をロビーに待たせて、私は少し緊張した思いで校友会の受付窓口に向かった。
タイミング悪く、お昼時だったらしい。
しかし、別に窓口には何も但し書きが無かったので、かまわず声をかけた。
食事中だった女性職員が窓口に来てくれた。
「実は消息不明になっている同級生に連絡を取りたいと思っているんですが、以前、こちらの方にメールで確認したら、メールで教えることはできないが来て貰えれば名簿の閲覧も可能だという回答をもらったですが・・・」
「えっ?・・・・ちょっと待って下さい」
と奥の男性職員に確認を取り始めた。
出てきたのは50才台とおぼしき男性職員。ニタニタ薄笑いを浮かべながら
「そういうことはできないんですよ。個人情報ですからね~・・・・同窓会かなんかですか?」
「いいえ、あくまでも個人的な問題です」
「じゃあ、できませんね。」
「しかし、以前、こちらの職員の方にメールで確認したら、問題無いし、むしろそういうお手伝いをすることも我々の仕事ですから、と云ってくれたんですがねぇ!」
「こちらに名前を書いてくれれば、先方さんに我々から連絡を取ってみて、了解が得られればその連絡先をお教えする、という形を取ってますんで・・・・」
一枚の紙が渡された。しかもコピーを何度も繰り返して文字が潰れたような紙切れだ。
「分かりました・・・・」
と渋々自分を納得させた私は自分の名前・住所・電話番号等を記入する。
おや?大切な事を書く欄が無い。
卒業年度、学部、学課、専攻・・・等の情報を記入する場所が無いのだ。
これでは私の確認すらできないではないか?
仕方なく、欄外に私は「文・文・美芸 76卒」と勝手に記入した。
「で、探したい方のお名前は?」と訊かれるが、当然そんな事を書く欄は無いし、相手は何の指示もしない。仕方なく、私は紙を裏返ししてそこに友人の苗字を書き込んだ。
「下の名前は?」
「忘れてしまったんですよ・・・もう40年も前のことですから」
「分かりました・・・ちょっと待って下さい。調べますから」
と言い名簿を見にその場を離れた。
少し時間が経って
「おタクの卒業年度はいつでした?」
「76年です。そこに書いてあるでしょ?」
「あ~、これね?文学部・・はぁ、はぁ、美学ですか?」
書く場所が無いから、こっちとら気を利かせて言われる前に書いたんだ。
ひょっとしてそんなこと書く必要も無く、口頭で言えば良いってわけか?
なんだ、こいつら?何様のつもりだ?
結局、女子職員と二人がかりで、すったもんだの末に私の確認と先方の確認ができた。
「じゃあ、こちらから連絡を取ってみますから、了解してもらえればこちらからまた連絡します」
顛末としてはこれだけのことだ。
しかし、大きな問題点を感じたので、敢えてここで揚げておきたい。
(1)個人情報云々が障害になることは充分予想されので事前にメールでその点の確認をし、名簿閲覧の了解を得ていた。しかし、実際の対応は180度違っていた。
(2)個人情報を楯にする割に、私は身分証明書等の提示を全く求められなかった。この事は矛盾しないか?
思い起こしてみると、旧邸の所々で監視している(決して案内している風ではない)中年男子職員の態度は全くなっていない。
私が靴を履くために椅子に掛けようとしたら、そこに持ち主不明の携帯電話があったので、近くにいた男性職員の一人に手渡した。
「これ、落し物じゃないですか?」それに対し中年男子職員は
「あ~、XXXXのかもしれん」とのんびりした反応だ。
と近くにいた別の客に確認を取り始めた。
結局、誰も持ち主は判明せず、その職員は
「ほな、落し物かな?」
それで終り。何かおかしい!
普通の常識的な人間なら、まず受け取った時に、もう少し慌てないか?
大体、何を監視しているのだ?
それに、それを発見した私に対し、感謝とは言わないまでも、それなりの対応があってしかるべきではないだろうか?
少なくとも最後には「落し物のようですから、こちらで預かっておきます」程度の挨拶があってもよかろう。
私は悲しい気持ちになってしまった。
上司以外に頭を下げるという経験をしたことが無い連中なのだ。
母校とはいえ、この非常識さは何なのだろう?恥ずかしい限りである。

しかし、収穫が無かったわけでもない。
すったもんだの渦中、友人のフルネームを知ることができたのだ。
同志社校友会の職員からは進展を望むことはできないが、フルネームさえ分かれば、一歩前進できるかもしれない。

気を取り直して、次のイベント「御所見学」に行こう!

<京都御所>
寺町御門から御所に入った。京都御苑の塀沿いを歩いていく。
ここも砂利が敷き詰められている。
それは良いとして、そこを警察の車が往復しているのだ。砂埃を巻き上げながら・・・
何の為に車を走らせているのか良く分からないが、どうせ走るなら、水を撒きながら走れよ!
懐かしい「猿が辻」は、遥か彼方だ。
昨日よりは多少涼しいとは言え、直射日光は厳しい。
蛤御門あたりからは砂利道を避け、大きくなった林の中を歩く。
林の中は別天地であるかのように涼しい。しかも足元は土の上に枯れた松葉が積み重なり、まるでクッションの上を歩くように足に優しいのだ。
気持ち良く歩き、内裏の清所門前まで来て時間まで待つ。
御所の予約時間は13時半となっている。
修学旅行生らしい男子高校生が清所門前に徐々に集まってくる。
何だよ・・・修学旅行生徒一緒かよ~参ったなぁ。
どうせ、こいつら喋ってばかりで、ろくにガイドの言うことも聞かないんだろうなぁ・・・うっとうしいなぁと思いながら、我々は一足先に入場した。

ここでも、昨日の修学院離宮と同じく、出発前にビデオを見せられる。宮内庁管轄なので、同じシステムと思われる。
来た来た~例の男子高校生の団体がさあ!
ビデオが終わると、ジジババ連は先を競って外にでた。
皆同じ気持ちなのだろう、修学旅行生がガイドさんに近い所を占領されたら、説明が聴こえなくなるって。我々も同じ行動を起こし、足早に外に飛び出し、ガイドさんに近寄った。
今度のガイドさんはメガネをかけた愛想良いおネエちゃんだ。
全員が集まるまで待っているのだが、高校生団体がなかなか集まらない。
おネエちゃんが、時間を気にしながらも、しきりと最後尾を気にしている様子だったので、私は間髪置かず「もう、良いんじゃないですか?」と言ってやった。ちょっと意地悪爺?
おネエちゃんは僕の助言どおり説明を始めた。それで良いのだ。

場所を買え、少しずつ説明を聞いていたが、案外高校生は静かだ。見れば、ワルっぽいヤツも居なさそうだ。家内の話だと早稲田の付属高校らしい。なかなか躾が行き届いており、よろしい!
紫宸殿での説明で興味を引いたのが、高御座(たかみくら)と呼ばれる玉座が承明門よりも大きいということ。また、昭和天皇まで即位式はこの京都御所の高御座が使われたこと。今上天皇(平成天皇)の即位式ではこの高御座を一度バラし、ヘリコプターで東京まで運び、東京で組み立てられ、そして即位式に使われたこと。はるか遠く、承明門越しに見ることしかできないので、その全貌は全く分からないが、伝統を守る皇室の姿勢がしのばれる。
奥にある御常御殿は文字通り天皇が寝起きしていた御殿だが、明治天皇までが実際にお使いになっていたらしく、カーテンレールがあったり、時折電気コンセントまでが見られ、生活者としての天皇を思い起こさせる風景であった。
昨日の修学院離宮と言い、今日の京都御所と言い、非常に簡素な印象を受けた。すこぶる上品ではあるが、決して華美ではないのだ。
このような皇室の考え方・伝統は今に生きていると思うし、日本人の感覚の基礎になっているのかもしれない。
私は大学入学直後の「5月の一般公開」以来の41年ぶりの御所見学だったが、やはり来てよかった。

<松屋常盤>
帰り道は寺町御門までを林の中を可能な限り直線コースを選んで、車ま
で戻った。
さあ、まだ企画はあるぞ!
次はナビをセットして味噌松風の「松屋常盤」を目指す。
御所からは目と鼻の先。
妻が思っていた店だったようだ。
車を店先に停車させ、妻と娘で味噌松風を買って来た。
日持ちはしないようである。















<東福寺>
次は最後の見学地「東福寺」。
あるサイトを見たときに「京都の名所ベスト50」という企画があって、上から順に見てみると、当然行ったことのある場所が多い。その中でベスト20の中で言ったことのない場所があったのだ。それが東福寺。説明を見たら、境内に木造の橋がある。そう言えば見たことあるぞ!
やはりその橋が印象的で、時代劇の撮影に良く使われるとか。
私が覚えていたのは、中越典子さん主演の単発スペシャルドラマ「初秋」だった。
役所広司が共演した年齢差のある恋愛物語がテーマだったと思うが、なかなか印象深く、その印象にこの東福寺も大きく貢献していた。
「松屋常盤」から二条に出てそれを東進。東大路を南下したまでは良かったが、九条辺りから妙に狭い道を行かされる。徐々に不安になるい気持ちを抱えながらもナビの仰せのとおり進むと、突然東福寺の駐車場前に到着。ふ~!きっと一方通行とかの事情で、ナビ君もやむを得ずこんなルートを選ばざるを得なかったのだろう。
駐車場代もかからないみたい。なんとラッキーな。
いや、これはきっと儲けている証拠だ・・・。
車を降りて暫し歩くと、前方に見覚えのある景色が・・・・オーッ!あの橋だ!
「臥雲橋」という名前がついている。

そこから本堂の方向を見上げれば、通天橋が・・・なんと美しい。
その二つの橋の間には無数のかえでの葉が雲のように横たう。
こりゃ、秋はたまりませんね!無論ワンサカ人が訪れるに違いありません。
こんなお寺、全くノーチェックだったという私は、あまりに世間知らずでしょうか?

今度は拝観料を払って、上の通天橋から臥雲橋を見下ろします。
もちろん、これも表現できないくらい美しい景観。
残念ながら、4時半にはもう閉まってしまうので、他の建物の中は見学できなかった。
今度また、と家族でリベンジを誓って、車に戻ったのありました。
大きな拾い物をしたようで、得した気分だ。




<ちりめん山椒やよい>
京都での最後のイベント「ちりめん山椒を買う」である。
これも妻が以前購入したお店のが美味しいから、という事だけを頼りに、八坂神社周辺に向かいます。以前家族旅行で泊まった旅館の近くにあった、ということで、その辺りを目指す。
付近で車を止め、妻は店を探しに外へ。
やがて、合図があり、歩行者に気をつけながら向かう。
それは、八坂神社の南にありました。「やよい」だ。
愛想の良いおネエちゃんが、店の前にドーンと車を止めて良い、というので、遠慮なく店の前に車の留め店内に・・・ツーんと山椒の香りが鼻を刺激する。
色々な商品がありましたが、全て試食できる。
定番の「ちりめん山椒」はもちろんだが、妻は椎茸の佃煮がお気に入りの様子。
私と娘は、山椒の佃煮の一つで、実山椒の佃煮「鞍馬山椒」が大のお気に入りに。
ピリリと舌に残る味がたまりませんなあ。
結局、ちりめん山椒を二箱、椎茸を一箱、鞍馬山椒を一包み購入。
会社のお土産用にも買いました。
包んでもらってる間、お茶を頂き、京都の最後の時間を楽しんだのであります。

さあ、あとは一路帰宅。

帰りの運転はひどく疲れた。
途中で眠くもなり、いっそ実山椒を食べながらなら眠くもならないかも、などと考えながら、ひたすら家路を急いだ。

21時20分に帰宅。明日の仕事を考えれば良い時間だ。

今日の歩数は9066歩。

ちなみに、車の走行距離は395.6Km。旅行での平均燃費は29.7Km/L。
高速道路のウェイトが多いとは言え、AQUAの燃費、恐るべしである。
つまり、京都旅行一式で消費したガソリンは13.31Lということだ。
満足、満足!











2013年6月5日水曜日

修学院にて

8時20分、予定を20分遅れての出発。
京都への三人揃っての家族旅行は9年ぶり位にはなるだろうか。
とりたてて急ぐ旅でもなし、トイレに行くだの、仕事の電話が入っただの、お腹が空いただのと、その都度休憩である。
おまけにパーキングエリアでは珍しくもない物を、買うでもなくコメントしながら見て廻るのを我が家の女性陣は喜びとしているので、こちらとしても無駄な抵抗はしないのだ。

結果として、京都東インターを出たのは正午を過ぎ、最初の目的地である詩仙堂前の駐車場に車を止めたのが13時となった。
この時点で、京都ラーメン街で美味そうな店を探してラーメンを食べるという計画は、呆気なく頓挫したのである。

急ぐ旅ではないとは言うものの、15時には修学院離宮見学の予約を入れてある。それには間に合わせなければならない。
ようやく皆の気持ちに時間の意識が芽生えて来たらしぃ。
頑張って歩くぞ!
しかし、今日の京はとにかく暑い!
最近よく耳にする『梅雨のズル休み』というヤツらしい。
「ズル休み」って言う割には、愛想も無く強烈過ぎない?

<金福寺>
先ずは『金福寺』。松尾芭蕉ゆかりの庵を後の与謝蕪村が復興したらしい。
暑い中、人が少ない事だけが救いだ。
訪問客は、数組のみ。

鄙びた山庵に、のどかな空気が流れて行く。
やはり、この辺りの寺の繁忙期は秋らしく、見ればなるほど新緑のかえでが鮮やかである。
庵の少し上まで登ると、京都市内の北半分くらいは一望できる。

<詩仙堂>
さて、続いて詩仙堂。
名前はよく聞いていたが訪れるのは実は初めて。
門をくぐり抜けると、竹林が我々を出迎えてくれる。




建物の中に入ると、嘘のように涼しい。
ホッ・・・
!
暗い建物内部から美しい庭園を眺めれば、暫し暑さを忘れる。
詩仙堂は、非常に細かな白砂に囲まれており、庭園もそれを強調した配置だ。砂の白、新緑、皐月の花の濃いピンクが強烈な日差しに映えている。スリッパを借りて庭を散策してみると、所々にあやめなのか菖蒲なのかよくは判らないのだが、それ系の花が咲いている。
少し休憩をさせてもらった気持ちだ。

本当はもう一つ、曼殊院にだけは行きたかったのだが、そろそろ時間切れ。
次の機会としよう。

私は狭い路地をノロノロと修学院離宮を目指して車を進めるのだが、地元の車は結構ビュンビュン飛ばしている。怖いことこの上ない。
更には、京都では自転車が多い事も目をみはるのだが、実はこの自転車、車に負けていないのだ。前後に子供を乗せ涼しい顔をして車の隙間を走り抜ける。子供に怪我をさせてはいけないと、私は殆ど車を止めてしまう。
これでは絶対に事故を起こすなぁ~、と思うのだが、その実、愛知県が毎年交通事故死ワースト1付近をウロチョロしているところからすると、これは私の杞憂に過ぎないのだろうか?
京都のママチャリ、怖~い!

さて、狭い路地を抜け、修学院離宮の手前にある駐車場に落ち着く。
私も大学入学から1年近く修学院道付近に住んでいたことがあるので、来る道々の周囲を観察していたのだが、全く面影は無い。多分、街の様子が変わった事と、40数年前の記憶が遥か彼方に追いやられている事がそうさせているに違いない。
当時は田圃が広がった田園風景の中、川沿いを中心に住宅が立ち並ぶ、という程度の土地だったように思う。後から聞く「修学院村」という名前に相応しかったような気がする。

<修学院離宮>
修学院離宮の入り口まで歩いて行くと、15人程のジジババが所在無さげにたむろしている。訊いてみれば、皆さん15時に予約を入れた、我らのお仲間らしい。
う~ん・・・・ウチは結構若手かな?娘も居るし・・・
予約時間の20分程前になると「立入禁止」と書かれた柵が取り除かれた。
それぞれ予約票を見せて中へ。
受付では代表者の身分証明書の提示が求められ、人数を確認する。
なかなか厳重なチェックではないか。
受付を済ませると待機場所となっている建物に入り、開始10分前になると修学院離宮の概要を説明するビデオが流れる。
さて、定刻になると外に出され、ガイドのお兄ちゃんについて、25人程度のジジババ(我が娘を除いて)が歩いて回るツアーの始まり!始まり!
自己紹介に始まったガイドのお兄ちゃん、どう見ても「昭和」な子だ。
髪はストレートで、70年代のフォーク歌手のようだし(そうそう、デビュー当時のさだまさし風)、狭い肩幅からずり落ちそうな地模様の入ったドレスシャツ、グレーのスラックス、ほとんど無い腰にベルトを巻いて落ちそうなズボンをやっとの思いで留めているとった風である。
昭和くん
しかも目鼻立ちが、いわゆるお公家さん風なので、娘は思わず「この人貴族?」
歩きだして見てみると、昭和くん、摺り足なのだ。やっぱ貴族か?
あの~・・・・埃っぽいんですけど・・・・
修学院離宮は砂利が敷きつめてあり、そこに摺り足で容赦なく歩くものだから、後に続く我々は砂塵にまみれての行軍とならざるを得ない。
しかし、昭和くん、知識はハンバ無し、声も良く通る!
執拗な爺さん連中の質問にも臆することなくテキパキと答えていたのには驚く。
ガイドとしてはプロかな?

内部はさすがに宮内庁予算の賜物か、非常に管理が行き届いている。

昭和くんの説明は聴きたいのだか、スマホで撮る、デジカメも撮る、と大忙しの私は、後でパンフレット見ようと諦め最後尾に近い所を付いて行く。
私より後ろに人の気配が・・・・・胡乱な雰囲気を出している。
良く見てみると、胸に「POLICE」のバッジだ。
お~、胡乱なのは私でございました。
A POLICE MAN
昭和くんが鍵で或る区画の入口を開け我々を誘う。グループ全員がその区画に入りきったことを判断して、この胡乱な人物(いや、POLICE)が入口を閉めて封鎖してしまう。
その区画が終わると、ガイドが出口を開け、全員の退出を見計らってPOLICEが出口を閉じる。
このようにしてツアーが進められて行く。
私は、ディズニーランドのアトラクションと、昨年行ったミラノに「最後の晩餐」を思い出していた。
最後の場所では、写真を撮ることに夢中になっていた私はPOLICEに「皆さん、待ってるんで・・・」と、追い出しを食らってしまった。
「あ~、済みません!」と爺さんダッシュ!
それぞれの場所で人数もチェックしている。妙な場所に潜り込んだりしない為の最低限のセキュリティと見た。

楽しい1時間半のツアーだった。のどかな田園風景、整備された庭園、簡素であるが上品な建物・調度品・・・

でもさ、昭和くん!あの摺り足は止めた方が良いと思うよ。
爺さんは愛を以って彼にアドバイスしたい・・・彼の革靴も砂埃で真っ白なのだから。

さて、これでほぼ一日の予定は消化。
これから一旦ホテルにチェックインして食事に出掛ける予定だ。

16時半、「エクシブ京都離宮」を目指す。
途中、「三宅八幡」を通り過ぎる。この辺りも学生時代に友人が住んでいて、一度は訪れた事があるので、例によってキョロキョロ。
しかし、ぜ~んぜん面影無い!
だってあの頃、文字通り、この辺は何も無かったもんねえ!!
それが鉄筋コンクリートの建物が建っているではないか?
少なくとも道路沿いには住宅がみっちりだ。
40年なんて、過ぎてしまえばあっという間の人生の、片道に過ぎない想いだったのだが、やはり実際には街の風景を一変させるに充分な時が流れた、ということだ。

エクシブは、予想通り可も無く不可も無くという綺麗な建物。
チェックインして546号室へ。
既に足は疲れているが、ここでほっこりしてしまうと、食事に出掛けるのが億劫になるに決まっているでの、私は靴も脱がずに暫し休息し、17時半前に出発。

ホテルに来る前に場所は確認してあったので、迷わず「アルザス]へ。
近くのコインパーキングに車を留めた。丁度18時だ。
案外、京都にも駐車場はあるものだ。
少なくとも名所旧跡の周辺にはあるものらしい。今日はおかげで助かっている。
とは行っても、異様に細い道が多いので、「車庫入れ」には苦労する。
見てみると、駐車場のポールであるとか、柵には沢山の擦り傷があるのは、その難しさを物語っているようだ。小さい車にしておいて良かったなあ!

<アルザス(Alsace)>
さて、アルザスの店内は思った以上に狭い!
間口は270Cm程度か?
入り口全面開放!
入って左側の壁に向かい合わせの二人用デーブルが三組縦に並ぶ。
右側には4人掛けテーブルが二組。これが全て。
奥はキッチンになっていて、そこから愛想の良いマスターが迎えてくれる。
どうやら私達は今日最初の客だったようだ。
食いっぱぐれは怖いので予約してきたが、平日早い時間ならば飛び込みもOKらしい。
フレンチではあるが、レストランというよりビストロだ。全てはアラカルト・メニューで、ワインを飲みながら食事を進めるのが良さそう。私は無粋にもノン・アルコール・ビールが有るかどうか確認したが、さすがにNONとのこと。そうですよねぇ・・・・お水で良いで~す。
最初に頼んだのは、ココヤシのサラダ、ニンジンのサラダ、エスカルゴ、イワシの香草焼き。
最初にパンが運ばれる。それをかじりながらメニューを見て待つ。

ココヤシのサラダなんて初めてだ。評判が良いから頼んだのだが、これが期待以上。
例えて言えば、タケノコが成長する前の竹の新芽であるように、これは成長前のココヤシの幹とのこと。これにバルサミコ酢ベースのドレッシングがかけてある、と思えば良い。
これが実に美味しいのだ。しかもきちんとフレンチの味になっている。

ニンジンのサラダも同様なバルサミコ酢っぽいドレッシングで美味しい。
お皿いっぱいふんわり盛ったニンジンが見る見る減っていく。

勿論、エスカルゴは何をか言わんや。
少々小ぶりなカタツムリが6個だが、味付けはしっかりしている。
これが900円というから余りに安い!
当然だが、このエスカルゴのソースがまたイケるのだ。
たこ焼きキットのような鉄板に、少し細くしたパンを押しつけソースを染み込ませる。

イワシの香草焼きも、心配していた程の塩分は無く、オイルに付けられた味は案外上品である。

さて、そろそろ、他のお客も入って来た。
仕事帰りに買い物してきました風のオバちゃんが、「あとで娘と来るから」といって席の予約をして、「エスカルゴだけ取り敢えず頼んどきます」と言って出て行った。常連さんでもないみたい。
他に若いカップルが二組。一組は予約客らしい。
しかし、一人で店を切り盛りしている割に、段取りが良く、それほど待つ、という感じも無い。

一皿あたりのボリュームが判らないので、少しずつ注文していたが、追加の注文した「牛肉のホワイトソース煮」がいよいよ来た。
う~ん、これも美味しい!!
大きくカットされたお肉には下味がしっかりと付いている・・・・なんだろうな?
横にはライス。ドリア風に、しっかりと「しん」がある。
カリフォルニア米かな?とも思ったが、形状をみるとジャポニカ米のようだ。
その肉とライスの上にしっかり、多すぎもせずトロんとしたホワイトソースがかかっているのだ。
もう、大満足!!

あちらのテーブルでは母娘のエスカルゴが終わったらしく、マスタがタコ焼きセットを引き上げようとしたら、さすが母!
すかさずマスターの手を軽く遮って、笑顔で「これは・・・・」
誰も同じことを考える。
母娘で鉄板にパンを擦りつけていた。

さあ、ここらで大冒険!
「豚の血ソーセージ」なるものを頼んでみた。
ドイツの紹介番組などで、作るシーンは見た事がある。細かな肉片と血を集めて作るソーセージ。
まず色が凄い!どす黒いと言えば良いのか・・・・
家内は早々に退却宣言。
味も個性的である。決して血の臭い、血の味がするという訳でもないが、やはり味わったことの無い初めての味である。慣れればクセになるかも?

もう、この辺でお腹はイッパイである。
最後のシメは「コーヒー・アイス」なり!
コーヒー味のアイスではなく、アイスクリームにエスプレッソがかかっていると思えば良いのか。
一個600円でボリューム満点。
これが3個運ばれて来た時には、他のお客さんの視線はウチに集まっていた。歓声を上げている人も居る。訳の分んない優越感?
これが、絶品でした!
ひと匙ごとにエスプレッソのビターな味の絡み方が違い、それがアイスクリームの味の違いを生み出している。
3人とも、感動しながら一気に完食!

さあ、これでお会計は・・・・7,500円!
え?ウソッ?マジ?
なに?この安さは?
その後の家族の会話・・・・「こんなお店が近くにあったら、少なくとも毎月食べに来るのに」

お料理の味とボリューム、マスタの好印象に大満足の末、3人は大きなお腹を抱えてホテルに戻ったのであります。

<エクシブ離宮京都>
まだ9時だ。
さあ、お風呂だお風呂。
エレベータを乗換え、グランドフロアーの大風呂へ。
エクシブの特徴として、アップダウンの多い土地に建てるものだから、階数が分り難い。
この京都離宮も1階だと思っていたロビーは3階で、地下だと思っていた駐車場は1階。お風呂は更にその下グランドフロアーというわけだ。
帰りに同じエレベータに乗り合わせたオバちゃん連中も「上だ」「下だ」と大騒ぎ。
降りる時に私に「ホント、エクシブって分り難いですよねえ?」と。
「ですよね?」と穏便なお答えを・・・・見りゃ分るだろ!とは決して言わないのです。

部屋に戻ってみると、家内が「お部屋変わるから」と涼しい顔で言う。
聞いてみるとどうやらこの部屋には蚊が居て刺されららしい。娘も同様。
言われてみれば私も足首が・・・・
私が風呂に入っている間に、フロントに電話をしたらしく、電子蚊取機を持って来てくれたのだが、それでは収まらず、部屋を変えて貰うことにしたらしい。
リラックスした格好してるのに、また荷物をまとめて移動ですか?
ま、決まった事は従いましょう。
今度は同じフロアの522号室。
荷物持って短パンで移動です。
「ホテルの清掃が悪いのか?蚊君が悪いのか?交渉した家内が偉いのか?」と呟きながら歩いて行ったのであります。
おっ?今度の部屋はちょっと様子がおかしい。
電気をつけてみると、なんと今度の部屋は広いのです。
さらに、ソファーなどの調度品も無駄に豪華です。
いや~、何だか得しちゃったなぁ!
「蚊君、ありがとう!」と娘と私は、掌を反したように感謝したのは言うまでもありません。


これで、足首が布団からはみ出しても、痒くなることなく眠られます。

今日の歩数は7,330歩。歩いたなぁ!


2013年6月4日火曜日

オルヴィエート

イタリア旅行の概略が決まりました。
以前にも書いたように、往復のフライトは既に決まっているので、中身である。

<9月>
13日 10:00 中部セントレア発 ルフトハンザ
       18:10 デュッセルドルフ経由フィレンツェ着            フィレンツェ泊

14日 フィレンツェ観光                                              フィレンツェ泊

15日 フィレンツェ観光                                              フィレンツェ泊

16日 フィレンツェ観光(買物優先)                              フィレンツェ泊

17日 郊外観光 その1
       サンジミニャーノ、 シエナ
       交通の便が悪い。バスでは両方は難しい              フィレンツェ泊

18日 郊外観光 その2
       アレッツォ、 ルッカ
       鉄道が通っていて便利だが、方向が真逆              フィレンツェ泊

19日朝 フィレンツェ ⇒ オルヴィエート に移動(鉄道)
       昼前にオルヴィエート着
       その足でチヴィタ・ディ・バニョレージョ観光へ          オルヴィエート泊

20日 オルヴィエート観光                                           オルヴィエート泊

21日朝 オルヴィエート ⇒ ローマ へ移動(鉄道)
       ホテルにチェックイン後、ローマ市内観光               ローマ泊

22日 ローマ観光                                                      ローマ泊

23日 10:00 ローマ発ルフトハンザ

24日 8:35 デュッセルドルフ経由 中部セントレア着

色々課題があるのです。

課題①17日に予定しているサンジミニャーノとシエナ観光。
どちらもフィレンツェからバスが出ているのですが、A地点からB地点、A地点からC地点というアクセスは悪くなさそうなのですが、B地点からC地点となると一気に便が悪くなりそうです。
この場合のA地点はもちろんフィレンツェ。
イタリアに行ったら「バスを乗りこなす」という事が私達の目標の一つなのですが、郊外へのバスとなると、ちょっとした間違えが命取りになります。悩ましいです。
フィレンツェ発の日本語ガイド付き現地発ツアーが複数有るのですが、どのツアーも必ず「キャンティ工場でのワイン試飲」が付いています。ワインは好きだけど、工場で試飲したいとは思わないし、キャンティなら特に珍しくも無いし、「ワインを売らんかな」根性丸出しなのがちょっと気に入らない。
まぁ、この手のツアーには付き物なんですが、私には時間の無駄遣いとしか感じられないのです。
最後の手段としては、個人ツアーを頼むという方法もあります。もちろん日本から予約しておけば現地在住の日本人ガイドさん付きの素晴らしいオプショナルツアーが企画できることは間違いありません。
問題はコストです。今のところアーモイタリアでは人数に関係なく460€とのこと。運転手とガイドさんのコストですよね?
4人ぐらいお仲間がいれば問題無いどころか、パッケージツアーより安いくらいです。しかし客が私達二人となるとちょっとなぁ・・・・
何方か、よきアドバイスを!
う~ん・・・きっと誰も読んでないんだろうけど・・・

次の日の「アレッツォ」「ルッカ」も同様です。
この二都市は鉄道で行けるので、比較的時間も読めそうですが、フィレンツェを挟んで真逆の方向にあるのです。
旅行で一番難しいのは、どこでどの程度時間を費やすか分らない、ということかも?
この事は私がパッケージツアーを避け、個人ツアーを企画する理由の一つです。感動する場面は人によって様々なので、ベルトコンベヤーの荷物のように運ばれたくはないのです。
好きな場所で立ち止まり、心ゆくまで風景を楽しみ、風を感じ、想いを巡らせる。
ある程度はそれを実現してきましたが、限界も感じています。
働いている身としては、まだまだ時間的な制約も多く、一カ月も自由に放浪する、という事ができる立場にありません。それにイタリア語は全くNGで、現地での交渉能力が極めて低いと言う事を自覚しているのです。
だから、やはり予め旅行のフレームは決めておかないといけないのです。
だけど、旅行は出会いです。
この相反する欲求と制約の折り合いをどうつけていくのか?ということがこれからの課題ですね。
イタリア語も勉強しようかな?

ローマに行く前に二泊する「オルヴィエート」は今回の目玉の一つです。
オルヴィエートはかつて教皇の隠れ家として栄えたとも言われ、今では『世界一美しい丘上都市』として知られています。
オルヴィエートでの宿は決まりました。
B&B Orvieto Sant'Angelo
B&Bですが、ドゥオーモのすぐ裏手にあります。
4部屋しかない可愛らしいホテルとのこと。
日本語のホームページがあるということは、そこそこ日本人も泊っているということですね。

また、オルヴィエートから足を延ばす「チヴィタ・ディ・バーニョレージョ」も大きな楽しみです。
両街とも「天空の都市」と言われ、崖の上に街があります。
「チヴィタ・ディ・バーニョレージョ」はスタジオジブリ制作の「天空の城ラピュタ」のモデルになった街だそうです。「死にゆく町」とも言われ風化がすすんでいる、とのこと。
二都市ともに、日本人が少ないと言われていますが、最近はコアなイタリア・ファンも多いですから、どうなっていることやら・・・・・中国人も多いのかなぁ?
こういう場所にマナーの悪い団体客は来て欲しくないです。

最後のローマはこれは問題ないでしょう!
前回お気に入りになった「ピッツェリア」に絶対行くぞっ!
全然、観光客とは縁遠い場所にあるこのお店は、東洋人なんて見た事の無い人ばかりが集まっています。入って行くと、物珍しそうな視線が刺さる!刺さる!
でも、ピザが異常に美味しいのです!安いのです!
何度も行ったので、最後の方は店員さんもにっこり挨拶してくれるようになりました。

という大体の企画です。

実は明日は京都旅行。
家族3人で出掛けます。
きっかけは私の同級生探しですし、私自身の目的はそこにあります。
今でもサークルの仲間とは連絡も取り合い、頻繁に会って音楽を一緒に楽しんだり、お酒を酌み交わし、旧交どころか新交を温める程です。
しかし、学部の友達とは全くの音信不通状態になっているのです。
今のように携帯電話があるわけでも無く、キャンパスを歩いていると、何となく会い、お茶を飲み話し込み、次の約束をして別れる・・・そんな付き合いをしていたのです。
卒業の前年、クリスマスイブに卒論を学部事務所に提出して後というのは、正月帰省に入り、年明けも受験の早い関西の大学は、ほとんど閉校状態。私も卒業旅行の為に新京極でバイト三昧。
全く学校に行かずそのまま卒業してしまいました。卒業式も旅行中で欠席しました。

それがこの歳になると、妙に懐かしい。
今でもちゃんと生きているのだろうか?という不安が一瞬よぎる。
卒業生の為の組織「校友会」に連絡を取ってみたら、卒業生であれば名簿の閲覧は問題無いとのこと。本当は桜の時節に行きたかったのですが、なかなか宿の手配ができなく、明日になりました。
校友会は、折しもNHK大河ドラマのお陰で有名になった、新島襄・八重ご夫妻がお住まいになられた旧邸と同じ敷地にあります。

まぁ、京都に行くんなら・・・ということで
今回は修学院離宮と御所の入館予約を取りました。
また、明日の夜は修学院近くのフレンチ「アルザス」を予約。
美味しいと良いなぁ~!

2013年6月1日土曜日

バンド練習

今日は2週間ぶりのバンド練習です。
私達のバンドは7人編成の爺さんバンド。BEACHBOYSのコピーをしています。
いつもの今池BLstudio目指して地下鉄に乗って…。今池の地下商店街は去年すべて閉鎖されてしまいました。ちょっとさびしいね。



地上に上がってみると長蛇の列。BLstudioのBLはライブハウスBottomLineの略なので時々ライブ目指して人が大勢集まります。
「俺らのライブにもこれくらい人が集まってくれたらなぁ・・・」とはいつも思う事です。


今日の出演は誰なのかな~?なんて涼しい顔してエレベーターで5階に…3分前に到着だ!あれっ?誰もいないぞ…変だなぁ~?
カウンターのお姉ちゃんに確認すると今日は予約が入ってないとのこと。スマホでスケジュールを確認したら、なんと今日は栄の名曲堂でした。
急いでメンバーに連絡して急ぎ栄に向かったのであります。

おかげで約1000歩の運動GET!

今日の名曲堂は地下スタジオ。湿気が多いのが少々苦手。
しかも今日は残念ながら3名の不参加です。
しかし少人数の時はコーラスの練習を丁寧にすることができるので気持ちを切り換えて頑張ろう!

当面はライブの予定も入ってないので、出来の悪い曲、好きだけど苦手な曲を中心に・・・
でもリズム楽器が欠けているのは結構辛いものがあります。
みんな歳が歳だけにちょっと練習すると、直ぐに休憩をとります。
楽器が重いので仕方ありません。ヘヘヘ・・私はキーボード担当なのでその点は楽なのですが…



年寄りバンドは時間前に早々と練習を終えて、宴会に突入。
私は久々の宴会参加です。マグロのカマ焼き、初ガツオが美味しかったですねぇ~!
夏には恒例の「Endless Summer」ライブをすることが決まりました。

お酒の弱い私は心配をしていたのですが、今日は寝過ごすこともなく、無事に帰宅できたのでありました。

めでたし!めでたし!